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昨日、最高気温35.6℃を記録、今日も同じ位に上がるという。会う人ごとに「暑いですね」が挨拶がわりだ。
合歓の花が咲いている。
おくのほそ道の旅で松尾芭蕉も合歓の花に出会っている。それは、酒田港から北東に十里、山を越え磯を伝う先の地、象潟である。芭蕉が訪れた象潟の風光は、東の松島、西の象潟といわれるように海に浮かぶ小島が点在していた。いまその様相は一変している。
南に鳥海天をささえ、その陰うつりて江にあり。西はむやむやの関路をかぎり、東に堤を築て、秋田にかよふ道遥に、海北にかまえて、浪打入る所を汐ごしと云。江の縦横一里ばかり、俤松島にかよひて又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。
象潟や雨に西施がねぶの花
芭蕉が象潟に来た日は雨が降っていた。雨は夕方に上がり日がさしてきた。夕方に咲く合歓の花はその美しさをいっそう増していたことだろう。芭蕉は雨に濡れた象潟を、憂いをふくんだ美女である西施になぞらえた。
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1808年の大地震で象潟の景観は大きく変わった。陸の松島と呼ばれているように、かっての松の生える小島は、田の中にある。
合歓の花を詠った漢詩がある。江馬細香の「夏の夜」だ。
雨 晴れて 庭上に 竹風 多し
新月 眉の如く 繊影 斜めなり
深夜 涼を 貪て 窓 掩はざれば
暗香 枕に 和す 合歡の花
男女7歳にして席を同じうせず、という子弟の教育が行われていた江戸時代であったが、開明的な学問を目指した福山藩(老中 阿部正弘)では、すでに男女共学が行われ、男女平等の気風が知識人のあいだに広がっていた。
美濃にあった詩の結社白鴎社では、若い女性の江馬細香が堂々と男性に伍して詩を論じていたことが伝えられている。細香の父蘭斉は美濃大垣の著名な蘭医であった。美濃に女性の詩人がいることを知った頼山陽は、美濃を訪れ細香に会うと、大いに気に入り結婚を申し込んだ。江馬細香も有名な詩人である山陽に心を寄せたが、蘭斉は山陽の行状に疑問を抱き、この申し出を拒んだ。
江馬細香は結婚は諦めたが、詩を山陽から添削してもらい、生涯山陽と交流を持った。京都の別邸で山陽に会い、妻帯している山陽の愛人であることを憚らなかった。息子思いの山陽の母も、細香を嫁のように扱った。