木瓜の花
2018年04月02日 | 花
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夏目漱石は、木瓜の花を「花のうちで愚かにして悟ったもの」と評している。咲いた花をじっと見ても、この花が何故愚かななのか、悟りをひらいいるのか、を知ることはできない。多分、華やかさに欠け、自己主張もない花故に気に入ったのであろうか。「拙を守って生きた入る人は、来世に生れ変るときっと木瓜の花になると信じていたらしい。陶淵明の詩に「拙を守りて田園に帰る」というのがあるが、漱石は愚直な生き方をよしとしていた。
其愚には及ぶべからず木瓜の花 漱石
しかし、漱石のように才能に恵まれていれば、そうした生き方に惹かれもしようが、自分のように、取り柄のない凡人の身にしてみれば、愚直に生きることが精一杯である。俗物であることを隠さず、生きるためには人間の醜さをさらけ出して句作に励んだ小林一茶のような人もいる。
山焼くや夜はうつくしき信濃川 一茶