蜜柑のおいしい季節になった。今年の蜜柑
は外れがない、会話でよく耳にする。なる
ほど、食べてみて甘みが強いように感じる。
幸い静岡に兄弟が住んでいるので、この季
節には、もぎたての新鮮な蜜柑を送っても
らえる。幸せななことだ。高校まで北海道
で暮らしていたので、蜜柑は子どものころ
の記憶に残っている。父親の姉が静岡、妹
が石川にいたので、正月には、蜜柑と柿が
送られてきた。どちらも北海道にはできな
いものなので貴重な食べ物であった。蜜柑
の木箱に温州蜜柑と焼き印が押してあった。
今思えば、それほど大きな箱ではなく、空
き箱は本棚に利用したりしていた。ひと箱
に何個入っていたか、多人数の家族がいた
ので、わけあえば数個ずつであったであろ
う。それでも今記憶に残っているのは、そ
れだけうれしかったのだと思う。
蜜柑あまし冬来ぬといふおもひ濃く
相生垣瓜人
蜜柑は日常的なものであるためか、小説の
小道具として登場する。尾崎士郎の短編
『蜜柑の皮』は大逆事件を題材にしている。
死刑を宣告された老政客金近陽介は、最後
のごちそうとして出された蜜柑の新しいも
のには手を触れず、だれかが食べ残した蜜
柑の袋をとってすすった。蜜柑の皮は自分
の信念と刑死という現実に揺れ動いた人間
の弱さのシンボルでもある。