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常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

瀧山の雪

2018年12月10日 | 日記

雪雲が消えて、瀧山の雪が陽をうけて輝

た。南のベランダから、日々の瀧山の

様子を見ることができる。雪催いの日

は、刻々と景色を変えるので、うっかり

すると最高の景色を見逃すことも間々あ

る。

衰老は簾もあけず庵の雪 其角

『猿蓑』に見える、其角の付句である。

さな庵で留守居をしている老人は、も

ちろん枕草子の簾をあげて山の雪を見る

風流を心得ているわけでもない。耳も遠

く、客の用も立てずに帰してしまう。ぼ

うっとして冬の一日を過ごしている。 

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雪の晴れ間

2018年12月10日 | 日記

寒波が来て4日目、昨日夕方青空がのぞい

た。雪雲が消えると、青空が新鮮に見え

る。豪雪で有名な肘折は、積雪ゼロがこの

3日間で114㌢に達したと報じられている。

蔵王のスキー場も滑ることのできないスキ

ー場開きとなったが、この寒波が救いの神

となったであろう。

雪の日のゆたかに暮るる一画集 

福永みち子

もう遥かな昔になるが、学生のころ、阿部

襄という先生がいて、農学の講義を聞いた。

鶴岡からやってきて、週一度の講義であっ

たが、大きな声の元気な先生であった。そ

の先生が書いた随筆に『庄内の四季』とい

う本がある。先生は庄内の地吹雪の激しさ

を書き、そのなかで吹雪倒(ふきどれ)の

話を書いておられる。先生が子供の頃、村

に飴売りの少年がやってきた。12,3歳の年

ごろで、同じくらいの年なので、あまり話

はしなかったが、くるとお互い笑顔を交わ

すようになった。昼時などは廊下に腰をか

けて、握り飯を食べた。家のお婆さんが、

少年のためにワカメ汁を温めて出した。少

年の売る飴はおいしく、先生もお婆さんも

よろこんで食べていた。そうこうしている

内に少年はぷっつりと姿を見せなくなった。

はじめは風邪をひいたのだろうくらいに思

っていたが、やがて悲しい話が聞こえてき

た。飴売りの少年は、松嶺から山寺を飴を

売りながら竹田へと帰る道はずれに、雪に

埋もれて死体となって見つかった。道らわ

ずか一間ほどの雪のなかであった。ここは

田んぼの中の道で、吹雪になると2、3㍍先

も見えなくなる。背の飴箱には半分ほどの

飴が残っていた。当時、一冬に数人こうし

て亡くなる人がいた。わずか60年ほど前の、

雪国の冬の話である。

 

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