今年も残すところ2週間を切った。一日のできごとのあれもこれもが今年の最後の体験となる。雪のない道の上の散歩、ムクドリの連隊飛翔、瀧山の雪と競う冬の月。こんな月を見ていると、何故か人生の歩いてきた道を思い起す。月を愛でるなどということとは、およそ縁遠い人生であったが、冬の淡い月の影がひどく貴重なもののように感じる。
雲をいでて我にともなふ冬の月風やみにしむ雪やつめたき 明恵
月には人を若返らせる変若水(おちみず)があるということが記紀の神話にある。万葉集にもそのことが歌われている。正月に若水を飲む風習も、この伝説がそのもとになっているらしい。
天橋も 長くもがな 高山も高くもがな 月夜見の 持てるをち水
い取り来て 君に奉りて をち得てしかも
反歌
天なるや月のごとく我が思へる君が日に異に老ゆらく惜しも(巻13・3245)
歌の意を記るす。(天に上る梯子でももっと長かったらなあ。天に上る山ももっと高かったらなあ。そこに上り、月の神が持っている若返りの水、その水をこの手に取って来て、若返りたいものだ。)
万葉の時代には、梯子や高山を伝って月に行こうという夢物語であった。今日、月の石を持ち帰ることが出来る時代になったが、そこにはをち水などないことが分かってしまった。月を夢見る古代人の楽しみや空想は、衛星の技術によってないものにされてしまった。