今日、12月12日は「漢字の日」。日本漢字能力検定協会が制定した記念日である。12を一字と語呂合わせてして、一字一字。漢字に親しもうということらしい。昨日の晴れた日、東根の水晶山からは、黒伏山から尾花沢方面の山が雪化粧をして素晴らしい眺望であった。山に山を重ねるというのはまさにこの絶景であろう。「山上復有山」詩の句があるが、出づるに路通ぜずという意味を込めた漢字遊びのようなものだ。
京都に「重山文庫」という記念館がある。広辞苑を編集した新村出博士の旧邸を保存したものだ。重山は新村博士の雅号になっているが、名の出の字が山を重ねていると解釈する向きもある。さらに詳しくその由来を尋ねると、新村博士の父関口隆吉は、明治6年山形県の権令となり、明治8年には山口県の県令となった。明治9年に生を享けた博士は、山形県で母の胎内に宿り、山口県で生まれているので、その二つの山を重ねた出(いづる)と父が命名しものであった。漢和辞典で出を引くと、足が囲みから出る形から出るを意味している。山を重ねたのは、必ずしも、この漢字を意味するものではないようだ。
新村博士に『琅玕記』という言葉についての随筆がある。そのなかで博士は「とても」とう言葉を取り上げている。大正年間に、「とても」という言葉が流行語になった。その発祥は、当時盛んになった日本アルプスの山登りの若者であったらしい。今では普通に使うが「トテモ面白い」というトテモが、山に行く若者たちが使いはじめ、都会でも目新しい言葉として多くの人に使われるようになった。それまでは「とても行けない」と否定に付ける言葉が急に肯定に使われるようになったのだ。今日で言う「全然駄目」の全然を、「全然大丈夫」という肯定に使うようなことが、大正時代にも起こっている。言葉は時代とともに変遷していく。使い方の乱れなどと否定する向きもあるが、多くの人が使うようになれば、辞典にも載る言葉として認められていく。
三浦しおんの小説に『舟を編む』というのがあった。出版社に勤める風変わりな若者が、漢和辞典の編集にのめり込んで行く話だ。言葉は海、その海を航海して行くための舟としての辞典。漢字の日に、そんな小説の存在が頭をよぎった。漢字の日には、清水寺で「今年の漢字」が発表される。去年はコロナの蔓延で流行語になった「密」であったが、今年はどんな漢字が選ばれるのだろうか。