
霧が深い朝だ。歩くと霧に包まれているような感覚で、寒さもさほど感じられない。視界が狭く、車の量も少ない感じだ。陽が登ると、霧は晴れてくると思っていたが、10時近くなってさらに濃度が深くなる感じだ。空気が乾燥しているせいか、消防車の出動の音が聞こえる。霧につつまれると、心も閉ざされたようで、憂鬱感も生まれてくる。ただ、そんな感情も一時のこと、高齢となって憂いに閉ざされるナイーブな心はすでにない。漱石の句に
春待つや云へらく無事はこれ貴人 漱石
禅に興味を持った漱石は、臨済禅師の言葉に共感を覚えたかも知れない。「求心歇処、即ち無事」。他に求めたり、内に求めることを捨て去った境地が無事ということのようだ。『吾輩は猫である』の苦沙弥先生は、ずぼらで懐手して座布団から腰をあげず「無事是貴人」と言う姿を、膝の猫からからかわれている。漱石の禅の境地も、さほど深いものでもなかったか。
一月十四日、今朝大雪。葡萄棚堕ちぬ。 国木田独歩
明治30年1月。国木田独歩は25歳、妻と別れ、東京市街渋谷村の住まいへ独り移った。武蔵野の自然は美しく、そこで独り、自由に暮らす生活に喜びを見出した。今、渋谷の自然は失われてしまったが、列島に大雪をもたらす自然の活動は続いている。この正月を無事に過ごしているのも、自然のふるまいに身をまかせている故であろうか。