昨日、父の日であった。子供たちから父の日のプレゼントをもらうなど絶えてなかったことだが、銀タラの西京漬けが送られてきた。世間では、母の日はしっかりプレゼントがあって父の日は忘れがちであるようだ。野球の大谷も、将棋の藤井聡太など、天才を生んだのも母親の話題が先行している。
かっての天才棋士に谷川浩二名人の時代があった。名人の父親は、神戸のお寺「高松寺」の住職であった。谷川名人の子供時代は、無口の子だったが、男兄弟2人は、お互いに気が強く、喧嘩ばかりしているよう兄弟だったらしい。何とか喧嘩をしない方法はと考えて、覚えさせたのが将棋であった。父は将棋を知っていたわけではない。盤と駒、将棋の指し方やルールを書いた本を与えた。浩二少年は兄が帰ってくるのを待つ間、一人で駒を並べて将棋に上達していった。
浩二が小学校の入ると、街の道場に通い始める。父が浩二を自転車の荷台に乗せて、道場まで送り、迎えをした。浩二が道場のなかで将棋を指している間、父はじっと外で待っていた。そんな姿を見て話しかけた人がいる。「将棋の腕前も相当なものでしょう?」「いやあ、私、将棋を知らないんです。」「将棋を知らないで送り迎えではつまらないのでは?」父の答えは、「いいえ、子供が喜んで将棋を指しているのを見るのが好きなんです。」
この逸話を聞いて、米長9段がはっと気づいてたことがある。父親のこんな気持ちが、谷川少年を強くし、その後、この世界の最高峰である名人の位に就かせたに違いない。