ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

いよいよ12月2日まで。「秋の京都特別公開」。ノートルダム女学院の「和中庵」へ

2018-11-30 | 歴史・史跡

いよいよ12月2日までになった「秋の京都特別公開」。ミモロは、その期間でも1週間だけ公開される「和中庵(わちゅうあん)」をお友達と訪れました。
 
鹿ケ谷の「霊鑑寺」からさらに坂道を進んだ山腹に位置する和洋折衷の建築美で知られる歴史的建造物です。

「わ~紅葉キレイ~」そう、今年の京都の紅葉は遅く、今が盛りという感じ。楓の葉の色づきは、いっそう艶やかになっています。
「この建物が公開されるの~」

ここ「和中庵」は、1952年に創立された「ノートルダム女学院」の中学高等学校の敷地にあります。
そもそもこの土地は滋賀県の近江五箇荘出身の実業家 藤井彦四郎が取得し、開発、贅をつくした邸宅を作り、「和中庵」もその建物のひとつです。

「藤井彦四郎さんのお宅には、以前見学に行ったよね~」とミモロ。そう以前、近江五箇荘には、滋賀県人会のツアーで行ったことがあります。藤井彦四郎は、日本の化学繊維市場の基礎を築き、発展させた実業家。現在の倉敷紡績を興し、レーヨンの毛糸「スキー毛糸」で成功を納めました。

大正15年(1926)に、ここ鹿ケ谷に1万数千坪の土地を取得。そこに一族の住まいなどを建てました。
風光明媚な山腹の土地を利用し、見事な日本庭園なども作られ、贅を尽くした数寄屋造りの客殿と、洋館は渡り廊下で結ばれ、和洋折衷の見事な建造物「和中庵」は、その中心的な建物。戦前は、皇族の方もご宿泊されたそう。

そして戦争を経て、使われなくなった建物。

創業者の藤井彦四郎は、戦後の日本の復興および女子教育の推進のために来日したノートルダム教育修道女会のシスターと出会い、昭和24年に、当時使用されていなかった「和中庵」を譲ることに。
  

階段を上がり2階へ。「あ、天使のレリーフがある~」階段脇に、天使がお出迎え。
  


「わ~広い~」ここは、かつてシスターたちが祈りをささげた聖堂として使われた広間。


「ここ修道院だったんだって~」。
  
壁には、十字架が今も…。そして暖炉も当時の面影を残します。

修道院は、2008年に移転に伴い、その役割を終えます。

さて奥座敷とは、渡り廊下でつながっています。
 
「ここから紅葉キレイに見えるよ~」下には小川が流れていたよう…。

さて、奥座敷の「客殿」は、広々とした大広間。


そして、庭と山の紅葉がまるで襖絵のように美しく見える場所です。
 

「ノートルダム女学院」が創立され、ここは中学高等学校が作られます。歴史を刻む「和中庵」は、老朽化が進み、教育施設として使うには、多くの費用がかかることから、解体も決定されますが、その歴史的建造物の価値を思う多くの人により、保存することに。2015年からの2年間の改修工事を終え、昨年から特別公開されることになりました。

「歴史的建造物が保存されてよかったね~」と思うミモロです。

京都各所で、次々に歴史的建造物が解体され、ホテルなどに変わる現在です。「歴史的建造物を所有する人は、相続税や建物の修復などすごく維持費用がかかって大変だと思うけど・・・なくすのは簡単でも、二度と歴史は作れない…。いろいろ大変だよね~」と思うミモロです。


「紅葉素晴らしいね~」としばらく縁側で紅葉を眺めるミモロ。[京都の紅葉も今週末が最後かな~」11月中、紅葉狩りに走り回ったミモロにも、年末まではちょっと静かな時間が訪れるかもしれません。

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