晴天に恵まれた5月18日。午後16時すぎにミモロは、今出川通と河原町通の交差点にやってきました。「わ~お神輿~」
この日は、「御霊神社」の還幸祭が行われます。
出町柳駅から歩いて来たミモロ。河原町通で行列の御車を見つけました。
しばらくして、神輿が到着。「わ~お神輿見るの久しぶり~」と、コロナ禍でずっと中止になっていたお祭りです。
さて「御霊神社」は、延暦13年(794)の平安遷都と共に、桓武天皇が、早良親王の御神霊を祀り、都の平安を祈願するために創建されたと伝えられます。
毎年、5月1日には神幸祭、そして18日は還幸祭が行われ、神社には、いろいろな屋台が出たり、多くの参拝者で賑わうお祭りです。
「でも…ずっと中止で、今年は、規模を縮小して行われるんだって…ちょっと寂しいけど、でもお神輿の渡御があるから、うれしいなぁ」というミモロです。
例年通りなら、3基の神輿が氏子町をめぐるのですが、今年は、末廣神輿会の千木が屋根についた「中之御座」だけが渡御を行います。
明治12年に寄進された神輿で、菊の御紋がついた絹をまとった入母屋造りの屋根が美しい神輿です。
「えらいやっちゃ えらいやっちゃ」という掛け声…「これって、珍しい掛け声だよね~京都は、ホイット、ホイット~っていう掛け声が多いもの」。そう、東京では「ワッショイ ワッショイ…」ですが…。
神輿は、出町柳の桝形商店街の中を進みます。
商店街の人たちが、久しぶりの神輿を笑顔で迎えます。
そして再び今出川通から河原町通へと進む神輿。
途中から寺町通に入り、そこでしばし休憩するのです。
休憩中の行列に近づくミモロ…そこには大きな黒い牛…「あ、黒毛和牛さんだ~」
「黒毛和牛じゃないだよ~ホルスタインも入ってるから…」と牛のお世話をする方。
「あの~何歳なんですか?」とミモロ。「15歳になるから、もうおばあさんかな?」と。
ミモロは、「お疲れ様~」と牛をいたわります。
この牛は、「葵祭」「時代祭」など牛車が出るときに出演するのだそう。
「久しぶりの町歩きだから、疲れるよね~」とミモロ。「ウォ~」とまるで返事をするように鳴く牛でした。
牛が引く御車は、江戸時代初期に後陽成天皇から御寄進されたと伝えられるもの。
その時代の現存する御所車は、貴重で、他に「葵祭」の2両しかないそう。
「だれが乗ってるの?」と興味津々のミモロです。
休憩場所では神職さんを乗せる馬も休憩。
いずれも高齢の気性の穏やかな馬だそう。
「あ、尻尾に祭りの飾りがついてる…」
「さぁ、京都御苑でお神輿待とう~」とミモロは、京都御苑の中へ
「御霊神社」の神輿渡御は、「京都御所」へ参内するのが特徴のひとつ。
「来た、来た~」。今出川御門から神輿が御苑に入ります。
神輿の参内は、江戸時代から慣例になっていて、その姿を天皇や宮中の方々もご覧になったとか。しかし、その後、中断され平成21年に約140年ぶりに復活しました。
御所の北側の門の前に到着した神輿は、そこで神職による神事が行われます。
神輿の担ぎ手も座り、祝詞の奉納を…。
ご祭神の早良親王は、桓武天皇の弟。皇太子に擁立されるも、桓武天皇に息子が誕生したため、早良親王を藤原種継暗殺の首謀者として淡路へ配流、その途中、憤死していまいます。その祟りを恐れた桓武天皇が、御霊を鎮めるために創建した神社の神輿なのです。
「毎年、御所にいらっしゃる早良親王…御所の人たち怖かったんじゃないかなぁ~」とミモロ。
参内しても、御所の門は、開くことはありません。「ちゃんと仲直りしてるのかな?」と、心配するミモロです。
考えてみると、なんとも不思議な参内なのです。
「なんか豊臣秀吉と秀次の関係に似てるね~」と思うミモロでした。
決して開かない門の前で、神輿は差し上げられます。
そして、再び神社へと戻っていきました。
「お神輿って、やっぱりいいね~」と久しぶりに見たミモロは、感激して涙ぐんでいました。すっかり京都のネコになった証かもしれません。
今年は、祇園祭でも神輿の渡御が行われます。ほかの神社の神輿も、再び復活することでしょう。次第にコロナ前の京都に戻る様子です。
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そういう神社なのですね。うまく見にいくこともできないので、記事でちょっと見学気分をいただいています。腰がよくなりますように。
でも、ミモロ小さいから見つけにくいかも…
また。どこかで会えますように~
その時は、声かけてくださいね~