震災4年9月4日
何事も、何かをなそうとするときは、できるだけ本物志向でいきたいと思っています。しかし、すべて、そうしていたら世の中生きていけません。ですので、人は適度にその都度、妥協しながら生きています。妥協してもそのストレスを残さないようにするのが上手に生きるこつです。妥協はするのですが、本物はいつも心に秘めています。理想と現実です。妥協が上手な人は世渡り上手といわれます。
世渡り上手ならいいのですが、ずる賢いとでもなったらもう、世の中からドロップアウトです。このことに一生気づかない人もたくさんいます。
でも、どれも、程差加減が大切です。どちらかに極端に傾くとバランスを失ってこの世から転落します。そうです、生きるとは、この辺のバランス感覚が大切です。
<芸術論>
黒と白を混ぜ合わせると灰色になります。貼り合わせるときにはのりしろの部分があります。立体には空間があります。時の流れには間(ま)があります。朗読は間の芸術といっても過言でないでしょう。
よい作品を作ろうとする時、妥協はできるだけ禁物です。言葉を選ぶときも同じです。この言葉がいいかな、あの言葉がいいかな、この言葉の持つ質感はどうかな等、試行錯誤的に選びます。人に単に伝えるだったら記号の羅列が合理的です。PCでいうプログラム言語等がこれに当たります。
絵画で、このサツマイモの色は何色がいいかな…、色々試行錯誤します。そして、これでいいというところまでもっていかないと、自分でも納得がいかないと思います。
人は色というと一色しかないと思いますが、その中には何千何万という色合いがあります。それは、数の概念が1とか2とかという整数しかないと思っていることと同じです。整数と整数の間には無限に数は存在するのです。そうです。無理数という概念があります。数は0より無限大無限小が存在するのです。そうです、連続しているのです。
芸術家といわれる人たちは絶えずそのことを考えて表現していると思います。そうしないと人の心を動かすまでにいかないでしょう。
演奏家にすれば、ここの音色はバイオリンでなければならないと思うでしょう。トランペットではだめだ。明るすぎるとか…。演出家にしてみれば、ここは、坂本龍一でなければあの場面は表現できないだろうと、考えるだろう。服飾家にしてみれば、日本の麻ではだめだ、あのインドシナの麻の肌触りでなければ、その感じはでないだろうとか…。
私は芸術は最高だと思っています。論理を超え、すべてを包含する懐の深さがあります。デジタル社会も結局は、一過性のものであり、数字が一人歩きしていた時代から、どうアナログ化するという方向にいくものだと思います。
MY HP です。Drop in!
http://www10.plala.or.jp/dharma/index.html