想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

稲穂を見ると想い出す

2015年09月11日 | エッセイ

秋風にそよぐ、黄金の稲穂を見ると、いつも想い出すのが

実るほど、頭の下がる 稲穂かな

と、いう句です。よく父親が生前いっていました。稲は実るほど、腰がひくくなるよ。奢ってはいけないよ。ということです。父は酒飲みではありましたが、毎日、仏壇に手を合わせて、般若心経を朗唱していました。若い頃、色々な苦労があったのでしょう。ですが、愚痴一つ言ったことがありませんでした。もともと、家具職人であった父ですが、中途から、その技術を買われてピアノメーカーでピアノの試作品を作っていました。

 父の朗唱を毎日、聞いていた私も、いつの間にか、般若心経をそらんじてしまいました。私的にはこれをよく墓前や仏壇の前で声にだすわけですが、そのときは、できるだけ、意識的に天地と一体になるようにしています。もともと、なるべくして、生を授かった自分としても、そう、思うのであります。

 現在は人権の時代だと言われています。かけがえのない個を大切にするのはもちろんですが、その個を誕生させた天命についても考え無ければと思う次第です。天命などというおおそれたことは、答えなど見つからないものだかも、しれません。ただ、色々な経験を通していえることは、自分で生きているようで、実の所、生かされていた自分がいたと言うことです。

「人生は遠き道を、重荷を背負いて行くがごとし」と、徳川家康人生を総括しておられますが、あれだけの絶大なる権力を握った家康でさえ、そう考えたのかと思うと、人の一生も大変なものです。

 ですが、いくら、難しいことを考えても楽しく生きても一年です。そうなら、出来るだけ、プラス思考で考えるようにしています。心ほど、柔軟性に富んだものはありません。ハッピイ、ハッピイを連発して生きる人生こそ、この世をしたたかに生きる知恵かもしれません。

 ただ、最近は温暖化現象による、災害が頻発しています。このことを、どう、捉えていったらいいかと想うことがあります。これも、自然現象の一つといってしまえばそれまでですが、人災による部分はできるだけ減らす努力は怠らないようにしたいと想います。備えあれば憂いなしの言葉が浮かんで来ます。

 さて、この後、幾たび春夏を迎えることでしょう。私には分かりません。ただ、いえることは生きる価値があったから、この世に生をいただいていると言うことです。毎日毎日、どんなことがあっても、これは、必然であり、受容し、天地に感謝しつつ、生きることが、できるよう努めて行きたいものです。

見事な稲穂です。まさに黄金の国日本です。稲穂がたわわに実っています。どれも、その重みで頭を垂れています。

・うつむいて 何を思うか 稲穂かな

・黄金の 日本の心 稲穂こそ 

 風そよぎ 葉をゆらしつつも 
 稲穂は動かじ
 大地を見つめ 微動だにせず
 何を思うや 赤とんぼだけ知る

・早苗から 稲穂に転じ 黄金の
             大地に変わる 天地のことわり

 一粒の 米から育つ 
 一粒万倍 積小為大
 黄金の波 秋風揺らす
 その波動は
 天地をめぐり
 大地を潤す

 https://www.youtube.com/watch?v=o0yIiQoN2As  先日初めてカラオケで歌って見ました。

 


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