情報化時代といわれて久しくなります。今やインターネット全盛の時代です。
一方通行で情報が大きな組織から民衆にトップダウンに流れていた時代から、それが、インタラクティブに流れるようになり、組織と個、個と個がそれぞれネットを通じてつながりあう時代になってきました。
そして、誰もが、契約者として、それぞれ結び合っています。契約者として対等にお付き合いができる時代です。グローバルに活動が広まるにつれ、経済や社会はますます、複雑に個と個が結び合う時代です。
そのための、規格や法律も多種多様になり、一人の手ではなかなか理解できない現状で、多数の専門家を産んでいます。昔の六法全書は一冊の本になっていたことを懐かしく思います。今や膨大な量になり、本にすることが難しいのです。
また、情報も巷に飛び交い、どれが価値があり、ないのか、その判別すら難しい時代に私達は今、生きています。
物はもともと物質ですので、質量があり電送できません。これはいつの時代でも運送という手段で移動させなければ相手にはとどきません。ですので、この部分は、当分は昔のままだと思います。ですが、それを支えるインフラや仕組みは大きく変わってきています。宅配便ができたころはびっくりしましたが、今や、運送手段や日時、サービスも多種多様です。
しかし、情報だけは質量がありませんので、瞬時に移動ができます。この量たるや膨大なものになっています。
一億総白痴化といわれたテレビから、今では、広告も大きくシフトし、定時に見るのではなく、録画し、自分の必要とするとき必要なだけ、見ることができます。世界は時差を超え24時間グローバルに活動しています。為替は自由化され、瞬時に値を変えています。
先月、私は試しに、新聞をやめてみました。今の若者は、新聞をあまりみないと聞きます。ですが、結局私はまた、新聞を取ることに決めました。まだ、ネットでは得られない情報が新聞には詰まっていることを体感しました。人間の生活はやはり、アナログですね。
交流する手段も、手紙から、メールになり、ブログ、チャット、ライン、などSNSも全盛の時代です。最近では instagramなる写真を通してのSNSも現れました。やがて、動画を使って交流するやり方も出てくるのでしょう。一度やってみる価値はあるかと思います。
そんな時、私はいつも、simple is beautifulniに考えるようにしています。私流の言葉で言えば「どんなに複雑に絡まった糸も、もとをただせば、1本の糸です。」ということです。
ですので、たくさんの情報が飛び交っているのですが、その中で、自分に必要な情報をまず、フィルターで濾していくのです。その中から一般化し、普遍化という手順を踏んで、自分の血肉になるようにしていくのです。
自分の中でも多くの情報をいつも単純化しその共通点をみつけその部分を脳にインプットするのです。
昔、中国にこんな言葉がありました。「一匹の魚をあたえるより、漁の仕方を覚えよ」とね。まさに、これと同じことをするのです。
点と点で理解するのでなく、たくさんの点を結んで共通点でくくり、それを自分の記憶に入れるのです。そうしていけばどんなに点という情報が増えても消化できます。 頭の中はsimpleです。
発信する時は、そこから点を出していけばいいのです。コアな部分さえ、しっかりしていれば、点の部分は無限に出てくるものです。時代が変わればそれにより自分もカメレオンのように変えていくのです。どんなに情報量が増えても体はひとつ、時間は24時間ですからね。
その点、いつの時代でも、どう表面が変化しても、物事の本質をつかむことが大切です。