あけましておめでとうございます。2016年も胎動を始めました。今年がどんな年になるか神のみぞ知るですが、私たちも前向きにとらえて前に進みたいと思います。まず、手始めに高齢者の問題から考えてみたいと思います。
毎日、マスメディアで、認知症の問題が流れていないときは、ないくらいです。今では、高齢者の四人に一人は認知症だというデータがあります。今後は団塊の世代が後期高齢者となるころには、もっと、増加することでしょう。
高齢になると、気にかかるのが記憶力です。どうも、特定の単語がなかなか思い出せないときがあります。そして、高齢者は子どもの頃の記憶は覚えているが、最近の記憶は定かでないと聞いています。
最近思ったことに認知症が進むと、その、数分間前のことは覚えているが、数時間前のことは忘れていると言った話を聞きました。なるほどなと、思いました。
今を基準にして、何時間、何日間前迄のことまで覚えているかと言うことが、認知症判定の目安になるように思います。
また、記憶の衰えばかりが強調されていますが、記憶は衰えるが、心情的感覚的な面では衰えが少ないと聞いています。
このことが重要なポイントだと思います。いつでも、優しく相手の気持ちになって愛情をもって、接することの大切さを意味しています。
今後、益々増えてゆく高齢者と認知症の問題は大きな社会問題です。義務教育段階から、福祉で、この辺の実態と高齢者のものの考え方を体験に基づき、しっかり体系づけて教えて行く必要があると思います。
車いすに乗ったり、アイマスクをかけて、身障者の福祉を考えるのも大事ですが、同時に高齢者の施設を見学したり、介護のお世話をしたり、高齢者のお話を聞くなどの高齢者福祉の学習や体験も、もっと、取り入れていった方がいいように思いました。
21世紀は福祉の時代です。
たとえば、高齢者は高音が聞こえづらくなるために、特定の音で高音を含む単語や言葉が分かりにくいという問題があります。「キャ」「シュ」「チョ」「クヮ」のような言葉は高音域の言葉であり、聞きづらいのです。
よく、昔から、高齢者は悪口をひそひそ話でいっているのはよく聞こえるが、普通の会話は聞こえないふりをしているということを聞きますが、これなども、高齢者になると、高音から衰えて行くと言うことを理解しておれば、分かることです。悪口は小さな声だが低温でささやくようにしゃべるためによく聞こえるらしいのです。
大切なことは高齢者福祉は高齢者の身体的衰えと心情を理解することが大切です。若い人は若い人の立場から高齢者をみるので、見方を誤るのです。
相手の立場に入り込んでみて、やっと、高齢者の気持ちが分かるものです。その点、まだまだ、義務教育の福祉教育を見直してみるのが大切です。分かることと体験することの価値の重みをしっかり学習してほしいです。
認知症同士が二人で会話をしていると、お互いが数分前のことは忘れているので、おかしいと思わずにうまく会話が進んでいるという話をききました。
30分前に自分の生まれ故郷の話を相手にしたのに、そのことを忘れて「どちらの生まれでしょうか。」と、また、聞いていると、相手も聞いている内容を忘れているので、また、同じように答えていて、二人の会話はうまく進んでいると言うことらしいです。
今後は、高齢者社会が進んでいくと、高齢者のコミュニケーションの研究も大切になってくるように思います。
認知症になると、コミュニケーションが失われるように思われますが、彼ら同士の意思疎通は我々が思っている以上に進んでいて、わかりあえているのではないかと思います。
コミュニケーションは言葉ではなく、心情面のやり取りが大切です。高齢者は単語を覚えるという能力は失われて行ってますが、心情の感じ方はあまり衰えていないように思います。
高齢者の幸せは、若者の立場から考えるのではなく、肉体的に衰えた高齢者の立場になって考えることが大切です。
この辺が高齢者と接するときに大事なことだと思います。