時々意識して、思い出してはやっています。
左手と右手の動きを変える
①例
右手を上下に振る。2拍子をとるような感じで、左手で円を描く。右手は縦の線、左手は出来るだけ丸く丸くなるようにするのがこつ。
また、右手で2拍子のタクトを取り、左手で三拍子のタクトを取る。これは、昔指揮法を習っているときやったので、今でもたまに思い出してはやってみる。右左を変えてもやってみる。
②つま先をかかとにつけ、足の指を上下に動かす。ちょっとして時に手軽にできる体操。そのとき、手はにぎにぎをしている。
③利き手を変えて手を使ってみる。長年生活していると、同じ動きが多くなり反射的に単に動かしているだけになってしまうので、意識的に利き手を変えてやってみることが有効かと考える。
④息子が我が家に来たときにはたまに、キャッチボールやサッカーのパスをする。除々に体をほぐしていくのが大切。
⑤ウォーキングではたまには出来るだけ大股で歩く。
⑥いつもと違ったことをやると、新しい発見がある。人生は気づきの連続、気づきが新しい自分をつくる。
⑦いつも、動きや生活がワンパターン化していないか、気をつけ、新しいやり方を工夫する。
⑧常識は現代までの定説と捉え、常識を疑い、よりよい方法をいつも考える。
コペルニクスが地動説を唱えるまでは地球は動いてないと思われていた。科学ではそれが真実であるが、日常生活の中では必ずしもそのように考えなくてよいと思う。むしろ、地球が動いてないと考えて行動した方が生活がスムーズにいくようだ。たとえば、人が地球の裏側にいたとする。その人はまた、自分が裏側にいたとは思っていない。自分中心に捉えれば、自分は地球の上に誰しもが立っていると考える。仮に地球の裏側にいたとしてもだ。このように人間は自分を中心に考えるものだ。ときとして、地球全体や宇宙全体を考えたり、客観的に地球を吟味するとき以外は、案外、この主観的な考えで、かたはつくものだと思う。
地球は丸いというが、我々が生活している世界では地球は平と考えて何ら問題はない。むしろ、その方が現実的だ。真実と現実とはなんと不思議なものかと思う。時間の流れもゆっくり過ぎて時間が過ぎてゆくという感覚が人にはないのだろう。しかし、10年が過ぎて見ると、なるほど、時の流れはと感じるものなのである。時とは、その刹那刹那であるが、あまり意識されていない存在なのだろうか。時計の針が動いていないと感じるのと同じで、しばらく立ってみて始めて、はりが動いたと分かるのである。そのときではもう遅いこともあるのだが…。人生もそんなものだろうと思う。長いようで短い人生、それが、人生かもしれない。
⑨記憶力は衰えるが、考える力は衰えない。なぜ、どうして、どう工夫したらもっとよくなる。を、いつまでも大切にしたい。
⑩年を取ると、進歩でなくて退歩だというが、進歩の度合いが遅くなるだけで、やるきになれば、少しずつは進歩する。
⑪常識の中には安定はあるが、常識の外に発見がある。覆い被さっていたものを取り払うことが発見である。dis-cover
dis接頭辞でありその後ろにあるものを否定する。disable discuss disappoint disclose discount 等の単語がある。
⑫新しいことを発見した人や成し遂げた人は皆、常識(規格)から外れた人だ。エジソンもそうだろう。学校教育はこの辺の教育には対応していない。いつも、規格の中に人を育てて来た。最近こそ表現ということを言うようになったが、この表現こそ、常識を打ち破る魔法の術になるのだろう。でも、学校教育の中の表現にとどまっては、新しい発明発見はできないだろう。算数教育なども、もっと、小学生のうちから、10進数ばかりの世界でなく、2進数の世界も教えてもいいのかもしれない。私たちはもう、10進数が当たり前の常識の世界で生活してきた。もっと、世界は広いし思考は自由なはずだ。そう考えて、始めて繰り上がり繰り下がりの意味が真に理解されるのだ。籠の鳥になってはいけない。窓を開けても飛ぼうとしない鳥にはもう翼は必要ない。やがて、その翼は退化する。
最後に、「10の説教より1つの笑顔」である。笑顔は周りを明るくする最高の薬だ。明日は明るい、また、太陽は東から昇って来る。
※キチョウのカップル…何やら楽しいお話が聞こえそう!この、黄色が何ともいえない美しさ、黄色といっても微妙に違う色が無限にあるようだ。自然の造形はすごい。さすが、これこそ、神のなせる技、妙なるもの、畏敬の念すら抱かせる。
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