たまたま、新聞を見ていましたら、「生き方」稲盛和夫著が宣伝として掲載されていました。買うよりも、図書館で借りた方が安上がりだと思い、早速地元の図書館で借りて来ました。今、その本を読んでいるところですが、その中で彼がこんなことを述べています。
確かに運命というものは、私たちの生のうちに厳然として存在します。しかし、それは人間の力ではどうにも抗(あらが)いがたい「宿命」なのではなく、心のありようによっていかようにも変えていけるものです。」運命を変えていくものは、ただ一つ私たちの心であり、人生は自分でつくるものです。東洋思想ではそれを「立命」という言葉で表現しています。
思いという絵の具によって、人生のキャンバスにはその人だけの絵が描かれます。だからこそ、あなたの心の様相次第で、人生の色彩はいかほどにも変わっていくのです。
とかく、私たちは運命というと固定的なものだと思ってしましますが、彼は京セラを創設し、JAL再建の顧問になった人だけあって、考えることの奥深さが凡人と違うなと思いました。成長の家でもおおいに活躍されていて、しっかりしたものの考え方をしているのだとあらためて感じました。
私たち凡人には足下にも及びませんが、何事も固定的な見方をしないで、心のキャンバスに自分しかできない独創的な絵が描けたらいいなと思います。生まれながらにして各々人は豊かな個性を持ち、自分(自らの分け前)という使命を持ってこの世に誕生した余人を持って代え難い存在だからです。
今の憲法でも保証されている第11条は、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」と示しています。基本的人権そのものなのです。このことを生かさない手はないのであります。
実は最近、こんなことを考えるときがあります。時は永遠に人が制御できるものでなく、すべては、時とともに変化しています。その中を私たちは日々生きているわけです。形ある物はやがてこわれてなくなります。オギャーと生まれてからやがてこの世から消えてなくなります。
確かに最後は形がなくなってしまうのですが、こと、精神社会はもともと形がないわけで、物質でもないわけですので、変化こそすれ、こわれることはないのであります。形もないのでありますので、どんな所にも行き、瞬時に移動もできます。精神はいくつになっても、変化こそすれ物質ではないのですから、なくなることはないのです。精神に老いはありません。だから、永遠の命を得たも同然です。
要は生きると言うことは肉体を生きるのではなく、心のあり方で生きるという風に考えていけば、いくつになってもビビッドに生きることが出来るのです。年をとればとるほど、この精神という心の有り様の問題が重要になってきます。まあ、この精神は信仰心とかに置き換えても間違いではないと思います。
肉体は消滅していきますが、心は永遠に続いていきます。今後はこの精神に磨きをかけていくことがより重要だと言うことが分かります。
PS
肉体が重要でないとはいいません。肉体ももちろん生を受けている以上、健康に留意し鍛錬することが大切です。もともと、精神と肉体とは連動しています。病気は病が半分、気が半分と書きますものね。