想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

自然治癒力

2015年12月19日 | エッセイ

 何気なく、今日の朝テレビを見ていましたら、サタデープラスという番組で医師会会長と医学会会長が対談をしていました。

 その中で風邪予防に医師会会長は乾布摩擦を薦め、医学会会長はビタミンCを取ることを提唱していました。

 前者は学習に例えれば、内発的動機からなされています。これが大事なことなのです。内発的な意欲がないのに、いくら勉強をせよといっても無理な話です。

 後者は自分のやる気も、外からの働きかけがないと難しいといっているようなものです。勉強ができないなら、いい塾に行こうという考え方です。

 どちらも、「風邪をひかない」結果として同じになるのですが、外からの影響がなくなれば勉強しなくなるようなものです。どちらが、価値があるのかは自明の理でしょう。

 受験勉強があったときは、一生懸命勉強したけど、後はさっぱりなんていうのが、後者でしょう。勉強し真理をつかむ喜びがあるから勉強したいというのと大きな違いです。

 外からの働き方がすべて価値がないといっているのではありません。それを、起爆剤として、自分への意欲化になり、自分のやる気が上がる一因になるように仕組めば、やがて、それを起爆剤として進んで自己解決していく力にはなるでしょう。

 そういう、道筋がしっかり通っていれば、一時的にそれを利用することもありだと思います。

 すべて、外因に頼り、自分の力を伸ばそうとしないことが、やがて、誰にも、生来備わっている内発的力(自然治癒力)をそぐことになるのです。

 その点、人間はいくつになっても、やる気さえあれば、向上するものだと思います。年だから、女だから、田舎だから、貧乏だから、金がないから、とない物ねだりで考えるのでなく、与えられた中でどう解決していくかという方向にベクトルを持っていけば、いつか願いはかなうものだと思います。

 ベクトルには到達点はありません。方向感とエネルギーがあるだけです。そうです。人はとこしえにそれを求めていけばいいんです。それが人生だと思います。

 この点、現代人はよくよく、考えて行動しないと、便利な世界だけに、自分のエネルギーまで、外に頼ってしまい、操作されてしまうことになりかねません。よくよく考えれば、それは恐ろしいことだと思います。

 国レベルでいえば、どこかの傀儡政権です。

 Simple ie beautifulということを私はよくいいます。今の世の中は表面的には複雑のように感じていますが、それは表面だけで、複雑に絡み合って見える糸も、元を正せば1本の糸なのです。その1本の糸が見えなくなっているだけなんです。

 速度が速くなれば、それを遅くしてみればいいし、小さくなれば、それを大きくしてみれば分かるのです。大きすぎれば、遠くから見ればその全貌が分かるのです。複雑なら単純化しその根底を流れているものを見ればいいし、要は自分の思考を多面的にするのです。

 昔の人は地球が丸いなんて、考えもしなかったのです。今や、地球も月から眺めれば球体だということもはっきりしてます。

 昔はウイルスという存在も知りませんでした。今や電子顕微鏡でみれば分かるのです。

 水は方円の器に従うということも、私的によくいいます。水になればいろいろ見えてきます。

 実は、以前にも述べましたが、私は乾布摩擦で風邪をシャットアウトしていたので、我が意を得たりという感じでした。やり方もテレビで放映していましたが、私のやり方とすべて同じでした。

 人がやっているからやるのでなく、自分の体をよく見て考えると、当然、体液の流れをよくすることが大切だなと思うようになりやっていました。

 そうです。世の中のことも、自然界のすべてのことは、流れをスムーズにさせることだと思っています。

 人と人の間も意見が滞ることなくスムーズに流れていくことが一番健全なことだと思います。流れが滞ると、そこに摩擦がおき熱が起こります。それは体でいえば発熱した状態です。早く平熱に戻さなくてはなりません。」

 流れがスムーズにいくための組織はどうあったらいいのだろうか、そのための仕組みはどうすればいいのだろう。人間であれば、血の流れです。もっと、広くとらえれば、体液の流れでしょう。これがうまくいっていれば病気にはならないだろうというのが、私の健康法の仮説です。

 大気だってそうでしょう。高気圧から低気圧へ風は流れていくでしょう。それが、自然なのです。あるべき姿に戻してやれば、その流れができ、正常化になるのです。人間の体とて同じことではないでしょうか。

 さて、私も毎朝おきるや否やパンツ一丁になり、全身をタオルで擦るのです。つま先から背中、首筋、手足、胸などすべてです。そうすることで、体が温まり、昨年の冬もストーブなしですみました。温暖化にも少しは貢献したかなという感じです。

 もう、十年近くやっていますが、最初の頃はただ、背中だけタオルで擦るだけでしたが、血行をよくすることはいいことだと思い、ここ、四、五年前から、体の隅々まで擦るやり方に変えてきました。

また、本来、生物には体内に病気などになりにくくする自然治癒能力を持っているというのが、私の考え方でした。力を発揮する状態を作ることが一番の健康法だと思っています。

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ピンチをチャンスに

2015年12月17日 | エッセイ

 最近、世の中に必要でない物は起こらないと思うようになりました。必ずや、原因があり結果があります。これは因縁果の法則でしょう。

原因は、今より過去のことです。これは変えることはできません。

 ですので、過去は、受け入れるより仕方がありません。これを拒否したら事後の解決もままなりません。受け入れるしか道はないのです。

 同じ受け入れるなら、それを受容し、むしろ喜びとして受け入れたほうがいいでしょう。

 大切なことは今後どうするかというアクションです。このような種がまかれたことによる現象というのは、起こるべきして起こった出来事なのでしょう。

 これをピンチととらえるか、チャンスととらえるかで将来が変わってきます。

 これはむしろチャンスだととらえましょう。そうすれば未来は開けてくるのです。明るさが見えてくるのです。

 洞窟の中に入ったばかりは、真っ暗です。真っ暗だと、そこで思ったら、もう終わりですが、目が慣れ余裕が出てくると、薄暗く見え、どこからか、明かりが見えてくるのです。

 それからは、そこへ向かってベクトルを集中させていけばいいのです。そう考えられれば、もう、ピンチはチャンスに変わりました。

 ピンチは変化のときでもあります。気圧が高い方から低いほうに流れるのと同様、ピンチがあり、変化が生まれるのです。まさに、表裏一体のできごとのようです。

 人生ですので、今後も波風もありましょう。どんな、時にも動揺することなく、受け入れ、それをチャンスに変えて生きたいと思うこのごろです。

 芸術家は素材が難しければ難しいほどそれを克服しようと努力するそうです。人生が芸術なら、そこから、もっと、すばらしい作品が生まれてくることでしょう。安易な素材を選んだらその先にある作品もそんなものになるでしょう。

 昔読んだ本の中にこんな一説がありました。紹介しておきます。

「人生は芸術である」

 自分の作った芸術作品が、心のこもらない、いい加減な作品だったとしたら、満足のいくものとはならないでしょう。
 それと同様に毎日の生活が、心のこもらないものであったとしたら、自分の日常生活は、満足のいくものとはならないでしょう。
 あなたの人生は自分の芸術作品です。たとえどんな些細なことであっても、自己を表現する人生の1コマ、芸術作品の1コマであると思って日常生活のひとつひとつの表現に誠を込める、心を込めていくと、あなたの表現には「自己表現の美しさ」が現れてくるのです。そのような毎日を送ることで、あなたは自分を表現する喜びに満ち溢れた生活を送ることができ、人生を芸術することになるのです。

                                     PL教団の教えより抜粋

 今、こうしてブログを書いてきて、こういう本を読んだこともあるなと、当時を思い出しました。いろいろな見方があるものだなとつくずく思いました。

芸術と人生とはこうしてかかわりあっているのだなと、いうことがよく分かった書籍でした。


 どちらにしても、何でももプラス思考で考えることが大切だとつくづく思います。

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大きなカリフラワー(暖冬の影響?)から想う

2015年12月15日 | エッセイ

 暖冬の影響か、にわかに分からないのですが、めがねに比較してその大きさが分かります。多分4,5人分ぐらいあるのでは無いかと思います。苗を購入し沢山できたので、百円市に出したところ、すぐ売れてしまいました。私はどちらかというと、ブロッコリーよりもカリフラワーの方が好きです。どちらも、栄養には抱えません。よく食べます。

 カリフラワーとブロッコリーも一緒に出したので、多分同じ人が買っていったのでは無いかと思います。今頃はサラダにして団らんのひとときだと思います。
 
 食事を楽しそうにしている家族が目に浮かびます。食は文化とも言います。日本には昔から食は文化だという考え方があるようです。食通ではないので、あまり分かりませんが、和食も世界に認知され東京オリンピックと共に益々メジャになって行くと思われます。

 レストラン等に行くと、盛りつけの美しいこと、どうやって勉強したのかなと思います。もう、もう、ああなると芸術の領域です。食事は盛りつけと、味と、その場の雰囲気で決まるのだと思います。特に五感をフルに働かせて味わう物だと思います。

 まあ、食欲を増進させる物は、常識で考えても、色、雰囲気、味、香りなど五感に訴える物ばかりですね。この分野と脳との関連は今後色々分かってくると思います。興味のある分野ですね。


 

ネギと、サラダ菜を庭に植えています。うどんやサラダによく利用します。l

 

サラダ菜やエンドウを育てています。もうじき、菜園に植え替えに行きます。

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エンドウは、スナップエンドウ、絹さやエンドウ(あるあり、なし)などを種から育てています。やがて、菜園に移し変えます。春にはおいしく実が出来ると思います。

ビニルポットに植えてあるのはルッコラです。ちょっと、あると便利なサラダ菜になります。原産が地中海なので、イタリアンにいいですね。こういう話をしていると、ピザやパスタなどが食べたくなりました。また、イタリアンにいきたいと思います。和食もいいですが、イタリアンとフレンチもいいですね。イタリアンというとあの三色旗のイメージがとても明るくて地中海にぴったり来ます。そういえば、シーフードたっぷりのパエリアもいいですね。食は地域の生活や文化と密接に繋がっていると言うことがよく分かります。中国料理もまた、捨てがたいです。そうそう、ロシア料理もまた、いいです。ボルシチやピロシキも食べたくなります。まあ、食べることは生きているということでしょうね。おいしく食べられなくなったらおしまいです。その為にも、健康には今後とも十分ケアしていきたいです。

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里山 (詩)

2015年12月14日 | 

震災5年12月14日

あれから足掛けもう5年もたったのか
忘れられるのは早い。

その日から震災という年号にでもしたらよかったのにと思う。
それだけ、大きなできごとだった。

戦争を知らない私たちに取って、一番大きな出来事であった。
その後の社会にとても大きな影響を与えた出来事であったはずである。
風化しないようにしなければ…。
小泉元総理の価値観も大きく変えた出来事。
それが、東日本大地震であった。

 

プロローグ

タイムマシーンに乗って
戦後の時代に
招待しよう

はるか、半世紀以上の昔
敗戦から
まだ数年の頃

あの時代はよかった
物はなかったが
自然はいっぱいあった

街灯はなかったが
星もきれいだった

闇夜に
真上を見上げれば
天の川がとうとうと流れ

星が空から
落ちてくるようだった

北には
北斗七星が
さんぜんと輝いていた

オリオン星座を
知ったのは
それから 数年の先

屋根に上り
星をじっと
眺めていると

勝手に星が
動き回ることも知った

あの頃自然は
最大の教師だった

われ以外
みな師であった



詩 里山1

 

 詩 里山2

なんという響きのいい言葉でしょう
里山
過去のよき想い出が
ふわっと
湧き上がってくる

昔はよかったな
しみじみ想う

過去は取り戻せないけれど
僕の脳裏には
しっかりと刻まれている

一瞬にして
時を超え
目の前に現れる

過去の幻影
否 過去の現実化

半世紀以上の過去が
今 この脳裏によみがえる

あんな頃に戻ってみたいな

ヤギのお乳も飲んだな

ザリガニもいっぱい
釣ったな
食べたな

殺生もやり
小魚も捕まえ

タニシも田んぼで
捕ったな
 
タニシをつぶし
それをえさにし
どじょうも捕ったな

オオバコや
ハコベも
あぜ道で取ったな

持ち帰り
いっぱいの
雑草をあげると

うさちゃんも
一生懸命
食べていたよ

フトイの穂
かえるも釣ったな

セセリチョウを
草で縛って
揺らして
塩辛トンボも
釣ったな

マキの木の
根元をめぐり
地蜘蛛捕りも
よくやったな

幼き頃
自然と共に
育った感じ

そうそう
原爆マグロの
話もあったな

まだまだ色々

あったんだな

今の子供には
分からない

団塊世代の詩

今だから言える悪徳訪販業者の闇の実態

 

 

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いつも通りの朝食から想う

2015年12月10日 | エッセイ

 いつも通りの朝食ですが、菜園で採れた物を使って女房が調理して暮れるので大変ありがたいです。

 ホウレンソウ、ブロッコリー、みそ汁の中のミズナが自給自足です。納豆、鮭、ライス、トマト、味噌等はストアからの買い物です。野菜だとどうしても、タンパク質は無理ですね。

 これを、貿易に例えてみました。国産が前者で輸入が後者になります。

 以前、世界を100人に例えてお話をした人がありました。非常にわかりやすかったことを思い出します。複雑な物も、シンプルにして考えるとよく分かります。小学校で昔習った百分率を使ってプレゼンした訳です。

 学校の勉強は役に立たないといいますが、この辺で応用が効いています。これも、勉強が悪かったのでなく、どう応用するかという能力が不足していたと考えるのがいいようです。

 たとえてお話をすると、誰にでもよく分かります。それは、相手を中心にプレゼンが出来るからです。この引き出しをいくつ作れるかが、その人のプレゼン能力となるのでしょう。

 お話をする時は、いつも、誰に語りかけているか、相手には伝わっているのだろうかに、心を注ぎます。私は、いつも、道案内が出来るかどうかを例にだします。道案内のできるひとはコミュニケーション能力の高い人だと思っています。

 それは、自分が分かることでなく、相手が分からないと行動に結びついていかないのです。そして、その結果はすぐに行動に表れます。

 今の教育はどうも自分を表現することにはたけていても、相手意識でプレゼンするという面がおろそかになっているように思います。

  東京オリンピックを前におもてなしという言葉が飛び交いました。このおもてなしも、相手の立場を尊重すると言うところが根本にあるのだろうと思います。

 このおもてなし文化こそ、日本の原点だと思います。このことが忘れられてない限り、日本人は世界から尊敬されるでしょう。

 そういう、日本で生活できることは幸せなことだと、つくづく思います。国際化の時代だと言われて久しいわけですが、この辺の日本の良さはいつまでも持ち続けたいと思います。

 国際化とは外国に合わせることでなく、日本人のアイデンティティを広く理解してもらうことだと思います。お互いの良さを尊重して他国とおつきあいすることですね。

 昔から、水は方円の器に従うといいます。私はその言葉が好きでよく使います。器に応じて自分を変えることができる、しなやかな精神が身に付けば最高です。そうすれば、社会生活もきっとうまくゆきます。この辺は長い経験が必要なことだと思います。

 私は昔、楽器会社に勤めたことがありました。ピアノは、エイジングといって、ピアノの土台に使う響盤の木材を長い間自然にさらします。そうしないと、ひずみがでてしましまいます。こうして、あのいい音色が出るのです。人生もこのエイジングにさらされないとなかなかいい音はでないんでしょう。私なども思いだけが先行してしまいますが、普段の努力が大切なんでしょう。うつろう時は永遠に流れ続きます。千里の道も一歩一歩進んでいきたいものです。

わずか10分で家庭の食卓が一流レストランに~家庭で簡単レストランの味~

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