日本国語大辞典の「霞の底」という用語の用例年は1235年ですが、100年ほどさかのぼる用例があります。
ふきおろす春のあらしやさむからんかすみのそこによぶこどりかな
(28・為忠家初度百首、春・谷中喚子鳥・93)
『新編国歌大観 第四巻 私家集編2 定数歌編 歌集』角川書店、1986年、264ページ
日本国語大辞典の「霞の底」という用語の用例年は1235年ですが、100年ほどさかのぼる用例があります。
ふきおろす春のあらしやさむからんかすみのそこによぶこどりかな
(28・為忠家初度百首、春・谷中喚子鳥・93)
『新編国歌大観 第四巻 私家集編2 定数歌編 歌集』角川書店、1986年、264ページ
「野上(のがみ)」という単語には、地名ではなく、「野の上の方。」という一般名詞の語釈があります。日本国語大辞典・第二版では、俳諧『望一後千句』(1652年)からの例が早いのですが、さらに、400年ほどさかのぼる用例や他にもさかのぼる和歌の用例があります。
あらたまる春に成るらし冬がれののがみのかたにうぐひすのなく
(14・新撰和歌六帖、第六帖、うぐひす、2583)
『新編国歌大観 第二巻』角川書店、1984年、401ページ
うぐひすは物うかるねにうらぶれて野上のかたに春ぞ暮れゆく
(9・宗尊親王三百首、春七十首、68)
『新編国歌大観 第十巻』角川書店、1992年、120ページ
かすみたつ野がみのかたにゆきしかば鶯なきつ春になるらし
(巻第一・春上、54、読人しらず)
岩佐美代子『風雅和歌集全注釈・上巻(笠間注釈叢刊34)』笠間書院、2002年、63ページ
二月
これはきさらぎ 稲荷のまつり 初午(はつうま) 二の午 三の午 みゝにたへぬは たいこのね さてもこんよく うちはやす 子供は絵馬をたづさへて ちんちよやちよやの たへまなく こわめし あぶらげ やまをなす それで稲荷は よかろふが たぬきはなんと しやうぞいの
(とっちりとん「十二ヶ月」~岩波文庫「江戸端唄集」)
二月(にぐわつ)
西日(にしび)に乾(かわ)く井戸端(ゐどばた)の目笊(めざる)に、殘(のこ)ンの寒(さむ)さよ。鐘(かね)いまだ氷(こほ)る夜(よ)の、北(きた)の辻(つじ)の鍋燒(なべやき)饂飩(うどん)、幽(かすか)に池(いけ)の石(いし)に響(ひゞ)きて、南(みなみ)の枝(えだ)に月(つき)凄(すご)し。一(ひと)つ半鉦(ばん)の遠(とほ)あかり、其(それ)も夢(ゆめ)に消(き)えて、曉(あかつき)の霜(しも)に置(お)きかさぬる灰色(はひいろ)の雲(くも)、新(あたら)しき障子(しやうじ)を壓(あつ)す。ひとり南天(なんてん)の實(み)に色鳥(いろどり)の音信(おとづれ)を、窓(まど)晴(は)るゝよ、と見(み)れば、ちらちらと薄雪(うすゆき)、淡雪(あはゆき)。降(ふ)るも積(つも)るも風情(ふぜい)かな、未開紅(みかいこう)の梅(うめ)の姿(すがた)。其(そ)の莟(つぼみ)の雪(ゆき)を拂(はら)はむと、置(おき)炬燵(ごたつ)より素足(すあし)にして、化粧(けはひ)たる柴垣(しばがき)に、庭(には)下駄(げた)の褄(つま)を捌(さば)く。
(泉鏡花「月令十二態」~青空文庫より)
日本国語大辞典では、「春の使い」という用語の用例として、『夫木抄』から源俊重の和歌「関こゆる春のつかひや行やらぬ音羽の山の鶯の声」が記載されていますが、作者は「藤原俊成」の間違い(誤植)だと思います。新編国歌大観ほか、夫木抄にあたってみましたが、俊成が作者となっていました。
また、別の出典にあたると用例年としてはさかのぼるので、下記にあげます。
関こゆる春のつかひやゆきやらぬ音羽の山の鶯の声
(6・俊成五社百首、日吉社百首和歌、春廿首、404)
『新編国歌大観10 定数歌編2、歌合編2、補遺編 歌集』角川書店、1992年、95ページ
~巻末解題によると、成立は1190年とのことです。