しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

家の近所 その7 つきさっぷ郷土資料館

2009-02-13 20:35:17 | Weblog
 今回は、つきさっぷ郷土資料館の内部のご紹介です。
 トップの写真のように、つきさっぷ郷土資料館の玄関から右手の階段を上がると軍隊の町、月寒を象徴するような歩兵第25連隊関係の品々が展示されています。銃、軍服、剣や召集令状なども展示されていました。階級章の解説もあります。シャンデリアは当時のもののようです。
 玄関を入ってすぐの左側の1Fの部屋には、次の写真のように農機具などの農業関係の展示がされています。

 年表や資料も展示されています。資料を見ていて気がつきました。月寒に移住した人の出身地で最も多いのは広島県だそうです。2番目は福井県です。
 実は、明治に開拓が始まった頃の月寒村は、今の北広島市(大曲、島松)を含む広大な村でした。明治27年(1894年)2月、月寒村から分かれ、作られたのが北広島市となる北広島村です。広島県からの方が多かったため、名づけられた村名なのでしょう。42年くらい前(私が小学校3年生ぐらい)までは、まだ北広島村でした。明治10年(1877年)4月、札幌農学校の教頭だったクラーク博士が、学生との分かれに「Boys、be ambitious!」と言ったのは、北広島村はできておらず、月寒村島松の地です。
 札幌市内には西区西野にも広島村界通という道路があります。広島県とのつながりが深いのでしょう。
 現在、広島県には、芸北町、大朝町、千代田町、そして豊平町が合併した北広島町があります。昭和36年に札幌市と合併するまで月寒が属していた町の名は豊平町です。ややこしいですが、つながりの深さのためでしょう。
 北大の学生寮として使うため、増築したと思われる別室には、次の写真のようにかつての生活品が展示されています。

 ダルマストーブ、蓄音機などが展示されています。真ん中の銀色の球形のものは、手回しの洗濯機です。真空管のラジオが現役で鳴っていました。
 入場は無料です。けっこう楽しめます。興味のある方は是非、つきさっぷ郷土資料館にお越しください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする