札幌の街は創成川で東西に分けられています。東〇丁目、西〇丁目となります。その創成川の元となる大友堀を造ったのが、大友亀太郎です。創成川には、トップの写真の像が、旧高欄とともに設置されています。
その横に下の碑文が有ります。
大友亀太郎氏は、1834年(天保5年)に今の神奈川県小田原市に生まれたそうです。二宮尊徳に師事し、1858年(安政5年)に蝦夷地に来たそうです。函館奉行所で働き、蝦夷地開発の計画書を函館奉行所に提出します。1866年(慶応2年)に函館奉行所の石狩地方の開拓の命を受け、札幌市東区(旧元村)で、伏籠川から開拓を始めたそうです。そして、大友堀を掘ったそうです。1869年(明治2年)には、開拓使に全てを引き継ぎます。そして、1870年(明治3年)には、札幌を去り、故郷の小田原市に帰ったそうです。
私は、驚きました。「札幌には、1866年から1870年の5年しかいなかったんだ!でも、歴史に残るすごい仕事をしている!」
札幌に生まれ住んで、60年を超える私ですが、知りませんでした。まだまだ、知らないことが多いです。