5月14日(日)、私は薩摩藩第11代藩主の島津斉彬氏が始めた集成館事業を見て回りました。


前回、紡績工場の外国人宿舎はご報告いたしました。機械工場に行きました。今の機械工場は、島津斉彬公の死後、第12代藩主島津忠義公の1865年(慶応元年)に完成したそうです。

残念ながら、この日は公開されていませんでした。

そして、仙厳園に入りました。


左手に進むと反射炉跡が有りました。大砲を造るための製鉄に使うために造られたそうです。

その反射炉跡がトップと下の写真です。

燃料は石炭では無く、炭だったそうです。

こうした西洋式工場群を造った、島津斉彬公はすごいと思います。
