6月12日(月)、朝早く、私は宿泊先の柏崎市内のホテルを出て、越後線に乗り、荒浜駅で降りました。


この荒浜駅、実は柏崎市には無く、お隣の刈羽村に有ります。


荒浜駅から30分近く、歩いて柏崎市の荒浜に行きました。柏崎市荒浜、私が中学生の時まで、私の本籍地はここに有りました。

父から、「柏崎市荒浜には同じ姓が多く、屋号で呼ばないと誰だかわからないところだ。うちは、石屋長五郎で、寺に墓石を納めていた石工だ。」と聞いています。こちらが、その墓石を納めたお寺でしょうか。

なるほど、同じ姓の墓が多いです。家紋も同じです。


お目当ての荒浜郵便局の営業開始まで時間があったので、海を見たり、花を見たりでのんびりとしていました。



座って、休んでいると、地元の方が「どちらからいらしたのか。」と声を掛けていただきました。地元の歴史に詳しい方でした。なので、様々なことを教えていただきました。私の姓を告げると、「それは、ここでは、屋号じゃないと分からない。」と父と同じことを言いました。


ここで矛盾が生じました。

そこで、考えました。「いくら金があったからといって、流浪することはないだろう。当てがあって、こちらに来て、こちらに多い姓を名乗り、紛れ込んだのだろう。身分の低いものが討ち入りには参加しないだろうし、当てなどないだろう。大石内蔵助ほどの人物であれば、そうした斡旋もしたのではないか。」そう考えると矛盾しません。正しいかどうかは分かりませんが。

地元の方から、柏崎市荒浜と北海道との繋がりの話も聴くことができました。

牧口庄三郎氏がこちらで作られる「あぞ網」という麻でできた漁網を北海道に持ち込んだそうです。大量にとれるニシンに木綿の網では、持たず、この強度のある「あぞ網」が売れたそうです。刈羽、三島にかかる地域で2000世帯がこの網の製造に従事していたそうです。それで牧口庄三郎氏は豪商となったそうです。

お話が聴けて楽しかったです。たいへんにありがとうございました。

お目当ての荒浜郵便局の営業時間となり、失礼させていただきました。
