しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

柏崎市の荒浜は、私が中学生の時まで、そこに本籍地が有りました。私も私の父もそこで産まれたわけでも、暮らしたわけでもありません。祖父の出身地です

2023-10-22 20:44:18 | Weblog

 6月12日(月)、朝早く、私は宿泊先の柏崎市内のホテルを出て、越後線に乗り、荒浜駅で降りました。

 

 この荒浜駅、実は柏崎市には無く、お隣の刈羽村に有ります。したがって、下の写真の荒浜駅前郵便局も刈羽村に有ります。

 


 荒浜駅から30分近く、歩いて柏崎市の荒浜に行きました。柏崎市荒浜、私が中学生の時まで、私の本籍地はここに有りました。私は、札幌市生まれ、札幌市育ちです。他の土地では暮らしたことがありません。戸籍謄本等を取得するのに不便なので(確か、高校入学に必要だったと思います)、住所のある札幌市に変更しました。私の父は北海道小樽市の出身で、高校中退後、札幌市で働いており、こちらには住んでいません。柏崎市荒浜は祖父の出身地です。

 父から、「柏崎市荒浜には同じ姓が多く、屋号で呼ばないと誰だかわからないところだ。うちは、石屋長五郎で、寺に墓石を納めていた石工だ。」と聞いています。こちらが、その墓石を納めたお寺でしょうか。

 

 なるほど、同じ姓の墓が多いです。家紋も同じです。

 


 お目当ての荒浜郵便局の営業開始まで時間があったので、海を見たり、花を見たりでのんびりとしていました。

 

 


 座って、休んでいると、地元の方が「どちらからいらしたのか。」と声を掛けていただきました。地元の歴史に詳しい方でした。なので、様々なことを教えていただきました。私の姓を告げると、「それは、ここでは、屋号じゃないと分からない。」と父と同じことを言いました。「その姓は一番古くから住んでいて、どうも長野県が出身のようだ。」とおっしゃりました。「アッ!諏訪神社が有ったな。」と思い出しました。トップの写真です。

 ここで矛盾が生じました。私が父から聞いたのは、「うちは播州赤穂の出身で、浅野家に仕えた足軽だった。浅野家がお家とり潰しになった際、大石内蔵助から金をもらい、討ち入りには参加せず、一族で柏崎市の荒浜に移り住んで、姓も変えた。」というものです。
 そこで、考えました。「いくら金があったからといって、流浪することはないだろう。当てがあって、こちらに来て、こちらに多い姓を名乗り、紛れ込んだのだろう。身分の低いものが討ち入りには参加しないだろうし、当てなどないだろう。大石内蔵助ほどの人物であれば、そうした斡旋もしたのではないか。」そう考えると矛盾しません。正しいかどうかは分かりませんが。

 地元の方から、柏崎市荒浜と北海道との繋がりの話も聴くことができました。
 牧口庄三郎氏がこちらで作られる「あぞ網」という麻でできた漁網を北海道に持ち込んだそうです。大量にとれるニシンに木綿の網では、持たず、この強度のある「あぞ網」が売れたそうです。刈羽、三島にかかる地域で2000世帯がこの網の製造に従事していたそうです。それで牧口庄三郎氏は豪商となったそうです。

 

 お話が聴けて楽しかったです。たいへんにありがとうございました。

 お目当ての荒浜郵便局の営業時間となり、失礼させていただきました。

 
コメント
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