3月16日(月)は、静岡県の3回目となる郵便局訪問でした。今回は富士市です。岳南電車で吉原から岳南江尾に行き、訪問を開始しました(岳南電車は別途、ご報告します)。
訪問したのは、次の19局です。
吉原船津簡易、富士神谷簡易、富士富士岡、吉原原田、今泉、富士依田橋、吉原中央町、富士市役所前、吉原、富士伝法、富士、岩松、富士松岡、富士水戸島、富士横割、富士宮島、富士柳島、田子浦南、鈴川
郵便局名では、吉原と富士が頭に混在しています。これは、今の富士市が1966年(昭和41年)11月1日に旧吉原市、旧富士市、旧鷹岡町が合併してできたからのようです。ちなみに、2008年(平成20年)11月1日には、富士川町も編入したため、電気供給が、市内で50HZの地域と60HZの地域(中部電力、旧富士川町)があるそうです。
トップの写真は、6233局目となった富士伝法郵便局です。
この日は、曇っていましたが、所々で富士山が顔を出してくれました。これは後日といたします。
訪問を初めてすぐ、「ライオンかとりせんこう」の琺瑯看板を見つけました。
この蚊取り線香は、私はしりませんでした。調べたところ、和歌山県有田市のライオンケミカル㈱の製品のようです。1875年(明治18年)から蚊取り線香を製造しているそうです。
札幌から行くとかなり、暖かいです。なので、桜も咲いていました。
お茶どころ、静岡ですので、製茶工場が有ります。また、茶畑も有ります。
茶畑には、必ず扇風機が有ると思います。
車は、富士山ナンバーです。
2008年(平成20年)11月4日より、ご当地ナンバーとして交付されているそうです。山梨県と静岡県の両県で交付されています。このような交付は他に有るのでしょうか?
「平家越」と書かれた石碑が有りました。
1180年(治承4年)、源氏と平家が富士川を挟んで対峙しました。富士川の合戦です。夜に源氏の軍勢が動くと沼にいた水鳥が一斉に飛び立ち、夜襲と勘違いした平家の軍勢は戦わずして、西に退却したそうです。その富士川の合戦が、この場所だと言われているそうです。
「平家越」の横に在るのは、東海道道標だそうです。
「レモンって、こんなふうに生るんだ。」と思ったのが、下の写真です。
工場の煙突が目に付きます。
ほとんどが製紙関係の工場のようです。製紙関係の工場では、水を大量に使用することから、富士の豊富な地下水に恵まれたこの地で発展したそうです。東京という大都市に近い、広い土地が有ったことも要因だそうです。
富士市の郵便局名を眺めると、水戸島、柳島、宮島というのが有ります。もともとは、富士川の中州だったのでしょうか。
田子浦南郵便局から鈴川郵便局に向かう途中に、田子の浦漁港、田子の浦港が在ります。
私は、田子の浦のイメージは、「ヘドロ」です。私が、小学生だった昭和40年代は公害の時代でした。そして、その象徴が田子の浦のヘドロでした。原因は製紙工場の処理されない排水だったようです。公害怪獣ヘドラというのも出現し、ゴジラと戦っています(映画の話です)。
現在は、すっかり綺麗な港になっていました。なので、特産のしらすもおいしいことでしょう。
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