8月26日(月)から28日(水)は、念願だった岩手県の郵便局訪問です。
2006年から2010年まで、毎年、岩手県は郵便局を訪問していました。しかし、2011年3月11、東日本大震災が有り、太平洋沿岸の地域はひどいことになりました。私の岩手県の郵便局訪問は、沿岸地域が残っていたため、なんど9年ぶりとなってしまいました。8月26日(月)は宮古市の郵便局を訪問しました。
訪問したのは、次の12局です。
津軽石、高浜簡易、磯鶏、宮古新川町、鍬ヶ崎、宮古日の出、宮古新町、宮古田の神、宮古、宮古小山田、岩手花輪、千徳
トップの写真は、8450番目となった、鍬ヶ崎郵便局です。
津軽石は、宮古湾から奥に入った津軽石川沿いに有ります。しかし、ここも津波の被害が有りました。
津波被害復興拠点施設案内図が掲げられています。
津波は津軽石川を遡ったと思います。津軽石川の堤防はものすごく高くなっています。
そして、「法の脇」というバス停留所が有りました。
バス停名は、たしかにその通りですが、「法の脇」で場所が理解できるのでしょうか?
津軽石地区の被害を示す標識も建てられています。
この地点から海に向かって3920m、川の上流に向かって1250mまで津波被害があったようです。
1階部分は津波の被害となったことを示す表示を付けた建物が有りました。川の堤防はそれより高くなっています。
幕軍無名戦士墓碑が有りました。
1869年(明治2年)5月6日、箱館戦争の中7で、旧幕府軍が新政府軍の軍艦に接舷し、新政府軍の軍艦を奪い取ろうとする宮古湾海戦というのがあったことを知りました。
岩手県の知事選挙と県議会選挙の候補者のポスター掲示板が有りました。でも、随分、木目が鮮やかなボスター掲示板です。
県産材かなにかを使っているのでしょうか?
宮古市の郵便局もかなり被害を受けたようです。トップの写真の鍬ヶ崎郵便局はあらたに建築されたものでしょうし、下の宮古新川町郵便局には、ここまで津波がきたとの表示が有ります。
宮古日の出郵便局から宮古新町郵便局へは、墓場の中の急な坂を下りました。
常安寺さんの墓地のようです。坂の途中に水が出ています。「長生水」と銘されています。
宮古市の観光スポットのひとつでもある宮古市魚菜市場が有りました。時間があれば寄ってみたかったです。
岩手花輪郵便局近くは、水田が広がります。田の中に面白いものが有りました。猛禽類のような鳥の形をした凧です。風が吹くと、姿勢を崩すことなく、空に舞います。
稲を食べる雀などを追い払うためでしょう。今年の稲はよさそうです。私も美味しい日本の米が食べたいです。以前、米の収穫が悪く、長い米(タイ米)を食べた経験がありますので
(チャーハンやパエリアは美味しかった)。