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14日の積雪の後も寒い毎日が続き、日の当たらない道路や庭先の雪はまだ残っていて
孫たちが作った雪ダルマも、少しスマートになりましたがまだ姿を保っています。
昨夜、横浜に引っ越してきて間もない学生時代の友人から突然TELがあり
「凍結した坂道で滑って足首を骨折し、全治二ヶ月の重症で入院手術となった」と
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_gaan.gif)
「骨折仲間同士ね」と、思わず笑ってしまいましたよ。
彼女は短大時代山岳部に所属していて、その後も山を続けていた健脚者ですが
お互い脚に自信がある者同士、注意を怠ってしまったのが原因でしょうか。
救急車で運ばれても、次々に怪我人が担ぎこまれ随分手当ては待たされたそうです。
積雪の後の騒動はまだまだ続いているようですね。
私もリハビリに通っている病院で「くれぐれも滑って転ばないないように」と注意を受けました。
中高年の皆様、気をつけましょう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_3.gif)
小田原「石垣山・一夜城」
さて、1月7日にブログ仲間の山小屋さんのグループと歩いた、石垣山・一夜城と
早川・片浦ウォーキングトレイルの後半を続けます。
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この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、
山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ
一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、
それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったためと言われています。
しかし、実際にはのべ4万人が動員され、約80日間が費やされました。
(小田原市の公式ホームページより)
秀吉は水陸15万人の兵を率いて小田原城にこもる北条を滅ぼし、
全国制覇の足がかりとしました。
彼はこの城に100日滞在し、淀君ら側室や千利休、能役者を呼び茶会を開いたり、
天皇の勅使を迎えたりしたようです。
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歴史公園入口から登っていくと、ベンチがしつらえてある二の丸跡の広場に出ます。
ここで昼食時間とし、30分ほど休憩しました。
この先に展望台があり、駒ヶ岳などの箱根の山々がよく見渡せましたが
この日の箱根方面の眺望がイマイチで、写真は綺麗に写せませんでした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_acha.gif)
その後「本丸跡」に進みます。
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ところどころ石垣が崩れたままになっていて、歳月を感じますが・・・
石積みは秀吉が連れていた近江の穴太衆による野面積みといわれるもので、
小田原藩の管理下におかれていた江戸時代にも度重なる大地震にも耐え、
今日まで当時の面影を大変よく残しています。
撮影できなかった石積みの数々を、此方のサイトでご覧ください。
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「本丸跡」で11人の集合写真を撮ったりし
展望台から小田原の街を眺めました。
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穏やかな「相模湾」が広がっています。
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そしてカメラをズーミングしてみると、駅のそばに北条氏の拠点だった「小田原城」が・・・
あそこまでの距離は僅か3kmだそうです。
その後階段を下り一回りして、立派なトイレのある駐車場に戻りました。
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この日はお店が閉まっていて、私たちも有名な高級スィーツを食べ損ないました。
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ハイキングは、根府川の駅を目指してまだまだ続きます。
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広いコンクリート道路から再びミカン畑の中を行きますが
こちらはもうミカンの生産を諦めた畑でしょうか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eq_1.gif)
だんだん畑の石垣と貯蔵小屋が残っています。
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向こう側へ回り込む岬への登りを進むと、再び「相模湾」が見えてきます。
湯河原方面に通じる自動車道路と平行して走る東海道線・・・
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「佐奈田霊社」
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佐奈田霊社は、治承4年(1180年)「石橋山の合戦」で3000対300(源頼朝)の先陣として戦い、
平家方の武将俣野五郎景久を組伏せるも、 不運の討死をした佐奈田与一をお祀りしています。
与一・俣野の組討の際、与一の声が出ずに味方が駆け付けられなかったとの説もあり、
佐奈田与一の霊魂が残って「のど(声)・せき・気管支炎・ぜんそく」に悩む人々を救う
慈悲の誓願があると言われています。
境内にはベンチも置いてあり、トイレも使用できます。
私たちもゆっくり休みました。
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歴史を巡りながら、更にミカン畑の中の農道を進むと、前方に真鶴半島が見えてきました。
先端の名勝地「三ツ石」が分かりますね。
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やがて山の上にそびえる「ヒルトン小田原・スパリゾート」も、姿を現しました。
悪名高き無駄遣いの象徴「雇用促進事業団」の雇用保険金で建てられた高級スパ施設、
信じられない超格安で外資に売ったという「ホテル」です。
「最後はあそこで温泉に入っていく?」
「でも1600円もして高いよ。その分美味しいお寿司を食べていこう」
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再び岬を廻る坂道を登ります。
丁度、東海道線が走っていました。
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ミカン畑の中を歩き、海を眺めるコースが続きます。
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牧谷川の橋に出たら、ホテルに行く散策路と根府川の駅に向かう道とに分かれます。
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たくさんのミカンの転がる道を、根府川の駅を目指して最後の登りを頑張りました。
早川の駅から「一夜城」経由で根府川駅までの12kmを、のんびり歩いた約5時間半
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
小さな根府川の駅の周りには何もありません。
懇親会は小田原のお寿司と天ぷらが楽しめるお店で、全員が参加しました。
皆様と楽しく飲んだ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/beer.gif)
固まった心身を和らげてくれました。
山小屋さん、お誘いいただき有難うございました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/dogeza.gif)
ボルトが入っているので、1年後に取り出す手術だそうです。
5人部屋でしたが、殆どの人が今回の雪で滑って骨折した患者さんでした。
横浜は丘が多く坂だらけだから、雪が降ってその後道路が凍結すると要注意なのですね。
だんだんキツイ山登りよりも、歴史を紐解きながらの歩きに興味が湧いてきました。
そして、歩いた後の温泉とビールはサイコーです。
この風景、秀吉も日々眺め小田原城攻めの構想を練ったのでしょう。
水陸15万人の兵を繰り出し、北条氏100年の歴史に区切りを打ち、秀吉は天下統一を果たしました。
このコース、あちこちにミカンがゴロゴロ落ちています。
畑のミカンを拾ったら窃盗になりますが・・・
公道に落ちているミカンを2~3個食べてみました。
まだ酸っぱいものが多かったです。
私の技術は何もありません。
温暖な地に相応しく、青い海とオレンジ色のミカンを眺めながらのハイキングでしたね。
真冬だというのに、風もなく穏やかな日和でした。
頂上を極めた征服感はありませんが、初歩きの足慣らしには丁度良かったです。
又宜しくお願いいたします。
そういうもんですかね。雪害とでも言いましょうか^^;;お大事に!
そういえば、貴女はもうすっかり快くなったのでしょうか^^♪良かったね!
山小屋さんのグル^歩参加でしたか。こういうことが出来るのですね。
私も歴史と地理が大好きです。旅行が好きなのもここから来るのかも(笑)
でも、こういった歩きは真似が出来ません!最後の一杯とお寿司は参加してみたいなぁ~♪
写真も拝見すると秀吉の強大な力が伝わってきます。
80日間で白を築かせちゃうんですからね。
ここから小田原城を見下ろして牽制して、せせら笑って
たんでしょうね。
ミカンが道端にゴロゴロしているのは、初めて見ましたよ。
鎧塚さんのファームは、残念でしたね。
天気に恵まれてよかったです。
同じ道を歩いていてもカメラアングルが違います。
nao♪さんのアングルに感性を感じました。
よさそうなプランがあったら、ご連絡いたします。
またぜひ一緒に歩きましょう。
この日は相模湾も穏やかでした。
子供の頃の授業で、一番好きだったのは地理や歴史でした。
ただ必死で年表などを暗記したのでは、その時代に生きていた人々の人間性まで感じることはできませんでした。
大人になって、歴史上の人物が主人公のドラマや本に触れ、こうして実際にその人が佇んでいただろう場所に行くと、いっそう興味が湧きますね。
特に鎌倉・湘南・伊豆は頼朝と北条氏の足跡が圧倒的に多いです。
厳しい山に行けなくなった最近は、それらを巡って歩くのも「いいなぁ~」と思えるようになりました。
へっぴり腰で歩く凍った雪道もようやく融けました。
めまいが酷いとか・・・
我が家の夫も以前「めまい症」と言う診断で入院したことがありますが、心因性と言われました。
でも、どこに原因があるか分かりませんから、ちゃんと検査しておいた方が安心ですね。
歩くと身も心も軽くなる感じです。
この寒さではなかなか出かける気にはなりませんが、山小屋さんに誘っていただき初歩きを楽しみました。
一両日中に、足を骨折した友人のお見舞いに行くつもりです。
学生時代の仲間のうち、一番元気と言われた彼女と私が骨折
世の中、そういうものなのかもしれませんね。
ようやくツルツルに凍っていた北側道路の雪も融けました。
雪だるまも姿を消したことでしょう・・・
lilyさんは連日お出かけの充実した日々をお過ごしですね。
お体の異変、たいしたことにならなくて良かったです。
「これから音頭」のフレーズ”じんせいまだまだこれからだ”と言うところが気に入りました。
最近は何かと色々あって、ガックリきていましたが、人生楽しまなくては損ですね。
来月は二つのハイキングと、撮影旅行を計画しました。
私、子供の頃は日本の歴史など全く興味が無かったのです
が、年齢を取るに従い自国の歴史に興味は出るものですね。
ミカン畑の中を海を見ながらのウォーキング、私が伊東に
行く時通る真鶴道路、親近感が沸きます。
私も足が丈夫だったらなぁ・・・
私が行けない分、nao♪さんの写真で行った気になってます。
新春早々の初歩きには足腰馴らしにちょうど良かったのかしら?
一夜城と小田原城がわずか3kmだったとか、歴史に疎い私にも興味深かったです。
相模湾を眺めながらみかん畑の農道を、気持ち良さそうですね。
冒頭の友人、とんだご難でしたね。
普段から足に自信のないワタシ、その上更に最近は平衡感覚がおかしくて、
一歩一歩踏みしめながらの歩きを心がけています。
明日は精密検査です。めまいが酷くなりました。
凍った池の上を歩くオシドリ達、ユーモラスでしたが
どこか雪の後の人が歩く姿を想像しちゃいました。
お暇の時覗いて見てください。笑えますよ~♪
新幹線と在来線が並んで走る光景もありで、撮り鉄ちゃんも喜びそうなルートです。
各所に案内板や休憩所があり迷う心配はありませんが・・・
農道も今では軽トラが走れる様にコンクリートで整備されています。
土の道ならもっと風情があったのにとも思いますが・・・
先ずは新年の初歩きを楽しみました。
達成感はありませんが・・・
海を見ながら歩き通したという満足はありますね。
毎日更新される山小屋さんにはついに追い越されました。
同じ趣味を持つもの同士、最後の懇親会での山談議も楽しいですね。
南関東では真冬でも歩ける環境が嬉しいですが・・・
今年は何やら雪が多いのではという予感がありますよ。
8歳と4歳の孫は今まで生きてきた中で一番大きな雪だるまができたと喜んでいました。
今日の暖かい雨で崩れてしまいそうです。
私も去年骨折し、凍った道が怖くて用心深くなりました。
健脚だとどこでもズンズン歩けるので、注意深さに欠けますね。
エレベーターに飛び乗ろうとして足を取られ転んで骨折した私・・・
もう信号がチカチカシても慌てて走ることはやめました。
人間は痛い思いをして学ぶのですね。
成人の日の関東は大変な雪でしたね。
お孫さんが作った雪、20日の時点で残っていたのですね。
私達もそうですが、雪に慣れない者は積雪に弱いですね。
お友達、骨折されたとのこと災難でしたね。
本当、気をつけなくては。
ハイキング何時も楽しそうですね。後のおまけの食事にビールがたまらないみたいですね。
色んな景色を眺めながら足腰鍛えていい事尽くめですね。
そんなnao♪さん羨ましいです。
わりと暖かいので、残っていた雪も融けそうです。
ミカン畑の中を海を見ながらノンビリと歩きました。
恵那爺さんご夫妻が歩かれた「花嫁街道」も何時か歩いてみたいです。
この時期は温暖な房総半島や、箱根や伊豆のハイキングが良いですね。
今週中にでも、足を骨折した友人の見舞いに行ってこようと思っています。
写真を拝見しながらなのに、実際に歩いた気分になれました。
小田原から真鶴半島まで見ることができるのですものね。
こんなハイキングに憧れますが、なかなかチャンスに恵まれませんので同行の気分が味わえたのが嬉しかったです。
やはり山好きのもの達が共に歩くって良いでしょう。
健康的ですし、山頂にいたっての戻りでは達成感も
ありますしね。あがりに皆で食事や一杯なんてのも
また更に贅沢な一時となりましょう。単独ではこうは
いかないな。そんな風に思いました。
山小屋さんの方でも一連の報告がありました。
今朝から別の山になっていましたけど(笑)。
雪降りから5日経っても雪だるまの姿があるなんて、後ろの車と比べて大きさが判ります大雪だった証ですね。
城の石垣は綺麗に積まれたのは美しいですが崩れた石垣はその流れた歳月を感じる事が出来て良いものです。
お友達が雪道滑って骨折ですか、今回ではありませんがやはり雪降り後に建物の出入り口でころんで骨折した知人がいます。
また雪予報が出ていますが健脚の自身が有る人ほどアクシデントに出会う確率が高いとか、私は健脚ではありませんがお互い気をつけましょう。
楽しそうなコースですね。
12km 5時間半 歩くのに丁度良い感じです。
雪道で転倒すると、若い時と違って体のしなやかさが無いから一箇所に無理がかかり骨折するのでしょうね。
こわいこわい