ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

『非常事態宣言』下 あの店は?

2021-03-13 14:22:40 | コロナ禍
 『そこまでの道々
  街には柔らかな陽が降り
  川辺に満開の紅梅
  誕生の贈り物
  「記念の風景にしよう」と
  提案する私』
    (2016年年賀状に載せた詩「新進」の一部)

 6年前の2月末のこと。
初孫が誕生した。

 その知らせを受けた翌日、
重箱に御赤飯を詰め、
二男家族の待つ船橋へ行った。
 
 駅から産院まで歩いた。
その道にあった海老川橋の脇で、
春の陽を受けた満開の紅梅が目に止まった。
 そのワンカットをしっかりと心に刻んだ。

 数日前、同じシチュエーションの映像を、
BS3の『旅ラン』で見た。
 偶然と思いつつも、あの時と変わらず、
今年もあの紅梅が春を告げていると知った。

 そんな首都圏の明るい春が羨ましく思えたのも、つかの間、
今も『非常事態宣言』が続いていることに、
心が傷んだ。

 息子たちの情報や、東京暮らしの方から届くブログでは、
表通りから1歩外れると、
閉店を知らせる張り紙が目につくと言う。
 突然、看板がなくなる飲食店も少なくないらしい。 
 
 さて、私が好きだったあの店は、どうなっているのだろう。
コロナが収束したら、是非行きたいのだが・・・。
 今、私には、遠くからエールを送ることと、
思い出を綴ることしかできない。
 「どうか、頑張って・・・!」。

  ① 「はい! ゆで卵」
 その小学校のPTA役員会は、月1回夕方7時からだった。
校長の私は、必ず出席した。
 毎回、1時間程度で終わった。

 その後、「都合のつく方は・・」と懇親会のお誘いがあった。
私にも、気さくに声をかけてくれた。
 それが嬉しくて、できるだけ参加するようにした。

 その会場としてよく利用した店が『K』だ。
都合がいいことに、『K』は学校と最寄り駅の中間にあった。
 毎回、10人に満たない保護者が参加した。
次第に打ち解け合い、お酒も会話も進んだ。

 ある時、昔の運動会が話題になった。
小学校の頃、校庭で家族みんなで、
お昼を食べていたことを、私は話した。

 だが、私の場合は、家庭の事情で誰も応援に来られず、
昼食は、1人でお握りを食べて過ごしたこと、
そして、あの頃は運動会でしか食べられなかったゆで卵とバナナを、
友だちが近くでほおばっているのが、羨ましかったことを、
熱く語った。

 『K』は、洋食が得意なマスターとママさんの2人で、
切り盛りしていた。
 私よりやや若いが、同世代だった。
そのママさんの耳に、私の運動会が届いていた。
 ママさんは、厨房の隅で涙を流したらしい。

 1ヶ月後、再び役員さんらと『K』へ行った。
銘々がオーダーを済ませ、飲食が始まった。
 しばらくして、ママさんに替わってマスターが、
山盛りの卵が入った真っ白な深皿をテーブルの真ん中においた。

 「ウチのママから差し入れだって。ゆで卵。
校長先生が運動会で食べられなかったから、
食べてほしいんだって!」。

 こんな時、しめっぽくなってはいけない。
私は、頑張って立ち上がり、声を張り上げた。
「すごく嬉しい!」。

 そして、1コを手に取り、
「あの時、見ていたんだ。
 真似するね。
殻をむいたら、先に白身だけを食べるんだ。
最後に、丸い黄身を一口でね。」
 テーブルの角で殻にひびを入れると、
その通りにやって、パクリと食べた。
 その後、みんなも1個ずつ殻をむき、
ワイワイガヤガヤと、まるで運動会のようだった。

 あれから何回『K』へ行っただろう。
数えきれない。
 その都度、「はい! ゆで卵」と、
慣れた手つきでママさんは、
真っ白な深皿をテーブルに置いてくれた。
 私は、やっぱり最後に黄身を食べた。

 今では、ゆで卵の思い出は、
あの運動会より『K』でのことになった。

  ② 1人 カウンターで
 教頭になってから意気投合した彼とは、
2人だけで、しばしば居酒屋で待ち合わせた。

 職種も趣味も同じだった。
飲みながら、時間を忘れた。
 いつまでも話題が途切れなかった。

 きっと、その美味しいお酒が、
ストレス解消に一役かっていたのだと思う。

 ある日、某駅前で待ち合わせた。
時には、違う店に入ろうと言うことになった。

 何軒かの前を素通りし、
その中で、一番小綺麗な店構えの暖簾をくぐった。

 椅子が5つ並んだカウンターの先に、厨房があった。
奥には、小上がりのテーブルが、5つ6つ置かれていた。
 周りを見ると、開店祝いの花輪や生花が並んでいた。
  
 人の良さそうな40歳代くらいのご主人が、
「開店して、5日目です。
まだ慣れないけど、よろしくお願いします。」
 おしぼりをカウンターに置きながら、頭を下げた。

 これも何かの縁に違いない。
注文した生ビールを持ち上げ、ご主人に向かって
「開店、おめでとうございます。」
2人で、祝福をした。

 その後、ご主人は上機嫌で、厨房にいた奥さんや、
しばらくしてから手伝いに来た2人の妹さんを、
次々に私たちに紹介した。

 肉巻きしたミニトマトを串焼きにした自慢メニューをはじめ、
出されたモノは、どれも美味しかった。
 すっかりお気に入りの店になった。

 それから、しばしば2人で、
時には数人でその暖簾をくぐった。

 詩集を出版した後、そのことが飲みながらの話題になった。
ご主人が、1冊欲しいと申し出た。
 お酒の勢いもあり、手持ちの1冊にサインを入れて、進呈した。

 次に、店を訪ねたら、私の詩集がカウンターの横壁に置かれていた。
「一人で飲まれているお客さんが、よく手にとって読んでますよ。」
 顔から火が出るほど恥ずかしかった。
一緒に、嬉しさで胸が熱くなった。

 ある日、実際にカウンターの隅で、お湯割のグラスを片手に、
いつまでも私の詩集をひろげている背中を見た。
 小上がり席で例の彼と向き合いながら、
3杯目の生ビールを前に、涙が浮かんでいた。

 その後、教育エッセイ『優しくなければ』も進呈した。
ご主人は、それもカウンターの隅に並べてくれた。

 あれから10年以上になる。
何人かの方にとって、私の1冊が、
一人飲みの相手になっていたなら・・・。
 そして、いつか再び、
次の1冊を持参できたなら・・・なんて!




     春の陽を受け 福寿草

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