卒業式シーズン真っ只中である。
毎年訪れる「別れの季節」だ。
巣立っていく子ども達を見送りながら、
充実感を味わった記憶など、私にはない。
いつもいつも、この子らにとって、
自分が果たした役割を問い、
だただたその至らなさに、悔いていた。
それでも、その子の成長に、
きっと、わずかでも関わっている。
そう信じて、次の一歩を踏み出した。
さて、その卒業式にまつわる、
私のちょっとしたエピソードを書く。
今から半世紀以上も前のことから。
小学校4年の時、初めて卒業式を体験した。
とは言うものの、その記憶はほどんどない。
だが、そこでの歌だけは、今も口ずさむことができる。
まずは、その時の、
『オペレッタ形式による「卒業式の歌」』
の歌詞を抜粋する。
* * * * * * *
オペレッタ形式による
卒 業 式 の 歌
小林 純一 構成・作詞
西崎嘉太郎 作曲・編曲
〔全 員〕
うららかに 春の光が降ってくる
よい日よ よい日よ
よい日よ 今日は
桜よ薫れ 鳥も歌え
よい日よ よい日よ
よい日よ 今日は
よい日よ よい日よ
よい日よ 今日は
〔低学年〕
1、なかよく遊んで下さった
6年生のお兄さん
やさしく世話して下さった
6年生のお姉さん
おめでとう おめでとう
ご卒業 おめでとう
〔卒業生〕
ありがとう 君たち
ありがとう
〔低学年〕
2、もうすぐ中学いいですね
6年生のお兄さん
それでも遊んでくださいね
6年生のお姉さん
さようなら さようなら
ご進学 おめでとう
〔卒業生〕
さようなら 君たち
さようなら
〔中・高学年〕
1、よい日 この日 あなた方は
この学校を ご卒業
雨の日も また風の日も
通い 励んだ 6年の
学業を終えて 今巣立つ
おめでとう おめでとう
おめでとう
〔卒業生〕
ありがとう 君たち
ありがとう
〔中・高学年〕
2、朝に 夕に あなた方と
遊び 学んだ 年月よ
運動場に あの窓に
数々残る 思い出が
まぶたに 胸に 今浮かぶ
さようなら さようなら
さようなら
〔卒業生〕
さようなら 君たち
さようなら
〔先 生〕
1、君たちよ 光は空に満ちている
翼を連ねて 胸張って
羽ばたき 巣立つ 君たちよ
例え 嵐が吹こうとも
羽ばたけ 羽ばたけ
行く手には 明るい希望が開けてる
2、君たちよ 先生はいつも見つめてる
育み育てた 君たちの
かけゆく姿を 君たちよ
例え 荒波高くとも
羽ばたけ 羽ばたけ
行く手には 明るい未来が開けてる
君たちよ
〔卒業生〕
ありがとう 先生
ありがとう
〔卒業生〕
1、春 夏 迎える 数六たび
思えば長い年月を
先生 本当に ありがとう
日々に 新たな導きの
ご恩は 決して忘れません
先生 本当にありがとう
仰げば尊し 我が師の恩
教えのにわにも 早幾とせ
思えばいと年 この年月
今こそ 別れ目 いざ さらば
2、あの窓 あの庭 この講堂
仲よく遊んだ お友達
みなさん 本当にありがとう
あの日 この日の 思い出が
いつまで 残ることでしょう
みなさん 本当にありがとう
3、育てかしこく 丈夫にと
今日の この日を待っていた
父さん母さん ありがとう
こん度は いよいよ中学生
しっかりやります 励みます
父さん母さん ありがとう
〔全 員〕
美しく 春の光が降ってくる
よい日よ よい日よ
よい日 今日は
よい日よ よい日よ
よい日 今日は
今こそ 巣立つ卒業生
お幸せに お幸せに
さようなら さようなら
ご機嫌よう お幸せに お幸せに
さようなら さようなら
さようなら
* * * * * * *
この歌は、今でいう卒業生・在校生による
『よびかけ』の代わりだった。
卒業証書授与、校長・来賓の祝辞等々後、
式のクライマックスで歌った。
私は、4年生の時、〔全員〕部と〔低学年〕部の箇所を、
5年生で、〔全員〕部と〔中・高学年〕部を歌った。
式の数日前から、体育館でくり返し練習した。
見慣れない男の先生が中心になり、
4,5年生だけ、あるいは卒業生と一緒などの練習があった。
いつもピリピリした練習で、気が重かった。
しかし、卒業の時は、それも3度目となり、
曲の全てに聞き覚えがあり、
歌うことが苦にならなかった。
式当日、4、5年生の歌声が、ジワリと心に響いた。
それにも増して、先生たちの歌声は、今も心にある。
『君たちよ 光は空に満ちている …胸張って
…例え嵐が吹こうとも …君たちよ
先生はいつも見つめている…』
男の先生方の太い声、力強い歌声が、
体育館中に広がった。
中学生活にちょっと意欲的にもなった。
数年前になるが、
小学校卒業式後の帰り道を、私はこう回顧した。
『丸めた証書を片手に持ちながら、
校舎を背にして帰宅する道を
とぼとぼと歩いた場面だけは、
はっきりと覚えています。
黒のゴム長靴で路傍の土で汚れた雪を
蹴散らしながら、
どういう訳が体全体から
力が抜けていくような気がしました。
私は、その時初めて、こんな気持ちが
『寂しい』ということなんだと知ったのでした。
……あの時ばかりは、、
一緒に遊び、共に学校生活を送り、
学んだ6年1組のみんなとの別れが、
訳もなく無性に寂しく思えたのでした。』
どんどんと縮んでいく胸の内。
今にも涙がこぼれ落ちそうな帰り道。
突然、先生方の歌声が蘇った。
空を見上げた。明るい空だった。
『…育み育てた 君たちの
…羽ばたけ 羽ばたけ
行く手には 明るい未来が開けてる…』
その後の多感な時期、時折、この歌を思い出した。
先生方の歌声に、自分を鼓舞したこともあった。
しかし、時間と共に、次第に忘れ去った。
それから、何と20数年が流れてからだ。
私は、東京の小学校に勤務し、2回目の異動となった。
それまでの学校とは、子どもも環境も大きく違った。
しかし、10数年のキャリアがあった。
何とか折り合いを付けながら、
あっという間に、低学年担任の1年が過ぎようとしていた。
確か、1月末の職員会議だったと思う。
3月の卒業式について、会議が紛糾した。
論点は、国旗でも国歌でもなかった。
なんと『卒業式の歌』の取り扱いなのである。
私の小学校卒業式のあの歌である。
赴任した小学校では、長年、「よびかけ」に代わって、
この歌が、在校生、卒業生、先生方によって、
歌われていたと言う。
「それが、本校の伝統です。」と管理職は言い、
卒業式での継承を主張した。
しかし、先生方からは、
「もう時代に合っていない。
他校と同じように、よびかけにすべきです。」
の声が上がった。
突然の、予期しない会議展開に私は、目を丸くした。
すぐに、この曲の全てが、私の中で歌い始めた。
懐かしさで、胸が騒いだ。
「小学校の卒業式で、歌いました。
私の心の故郷です。
卒業してからも、思い出して口ずさんだ歌です。」
立ち上がって、そう発言したくなった。
しかし、それが会議の流れのどっちに、どう左右するか、
微妙な気がして、押し黙った。
実は、その時の私には、
この歌が、卒業式に相応しいか否か、その成否を吟味する、
そんな気持ちにはなれずにいた。
懐かしさと共に、『棚からぼた餅』『夢のまた夢』、
そんな心境だった。
まさかである。
北海道の小学生が3年間歌った『卒業式の歌』に、
それから20数年後、東京で再び巡り会うなんて・・・。
今度、私が歌うのは、先生方が歌ったあのフレーズ。
私の心の中で生きていた先生の歌を、
私が卒業式で歌う。
願っても叶うことではない。
私は、とんでもないときめきの中にいた。
先生の部分を歌いたい。
卒業式で、『君たちよ 光は空に……』と歌いたい。
それは、全くのプライベートな思いである。
偶発的で感傷的な願いだった。
私は、職員会議の推移をじっと見守った。
「取りあえず、今年度は伝統を守って」となった。
卒業式当日、職員席から〔先生〕部を、
心を込めて歌った。
他の先生方とは違う、
特別な感情で胸が焦げそうになった。
小学生の私、その時の先生方、今の私が、
次々と現れた。
まさに、夢心地。地に足が付いていなかった。
どんな小説にもないシーンだった。
式後、同僚たちにこのことを何も言わなかった。
翌年は、どうなるのか気がかりだった。
私の想いとは無関係に、
次の年、式から〔先生〕部が消えた。
そして、私が卒業生を出した4年後には、
完全に、その歌は式からなくなった。
十分に納得している。
好運がくれた自己満足だが、
『オペレッタ形式による卒業式の歌』の全曲を、
卒業式で歌った人は数少ない。
ちょっとだけ胸を張っている。
光の春が来た・ナナカマドの新芽も
毎年訪れる「別れの季節」だ。
巣立っていく子ども達を見送りながら、
充実感を味わった記憶など、私にはない。
いつもいつも、この子らにとって、
自分が果たした役割を問い、
だただたその至らなさに、悔いていた。
それでも、その子の成長に、
きっと、わずかでも関わっている。
そう信じて、次の一歩を踏み出した。
さて、その卒業式にまつわる、
私のちょっとしたエピソードを書く。
今から半世紀以上も前のことから。
小学校4年の時、初めて卒業式を体験した。
とは言うものの、その記憶はほどんどない。
だが、そこでの歌だけは、今も口ずさむことができる。
まずは、その時の、
『オペレッタ形式による「卒業式の歌」』
の歌詞を抜粋する。
* * * * * * *
オペレッタ形式による
卒 業 式 の 歌
小林 純一 構成・作詞
西崎嘉太郎 作曲・編曲
〔全 員〕
うららかに 春の光が降ってくる
よい日よ よい日よ
よい日よ 今日は
桜よ薫れ 鳥も歌え
よい日よ よい日よ
よい日よ 今日は
よい日よ よい日よ
よい日よ 今日は
〔低学年〕
1、なかよく遊んで下さった
6年生のお兄さん
やさしく世話して下さった
6年生のお姉さん
おめでとう おめでとう
ご卒業 おめでとう
〔卒業生〕
ありがとう 君たち
ありがとう
〔低学年〕
2、もうすぐ中学いいですね
6年生のお兄さん
それでも遊んでくださいね
6年生のお姉さん
さようなら さようなら
ご進学 おめでとう
〔卒業生〕
さようなら 君たち
さようなら
〔中・高学年〕
1、よい日 この日 あなた方は
この学校を ご卒業
雨の日も また風の日も
通い 励んだ 6年の
学業を終えて 今巣立つ
おめでとう おめでとう
おめでとう
〔卒業生〕
ありがとう 君たち
ありがとう
〔中・高学年〕
2、朝に 夕に あなた方と
遊び 学んだ 年月よ
運動場に あの窓に
数々残る 思い出が
まぶたに 胸に 今浮かぶ
さようなら さようなら
さようなら
〔卒業生〕
さようなら 君たち
さようなら
〔先 生〕
1、君たちよ 光は空に満ちている
翼を連ねて 胸張って
羽ばたき 巣立つ 君たちよ
例え 嵐が吹こうとも
羽ばたけ 羽ばたけ
行く手には 明るい希望が開けてる
2、君たちよ 先生はいつも見つめてる
育み育てた 君たちの
かけゆく姿を 君たちよ
例え 荒波高くとも
羽ばたけ 羽ばたけ
行く手には 明るい未来が開けてる
君たちよ
〔卒業生〕
ありがとう 先生
ありがとう
〔卒業生〕
1、春 夏 迎える 数六たび
思えば長い年月を
先生 本当に ありがとう
日々に 新たな導きの
ご恩は 決して忘れません
先生 本当にありがとう
仰げば尊し 我が師の恩
教えのにわにも 早幾とせ
思えばいと年 この年月
今こそ 別れ目 いざ さらば
2、あの窓 あの庭 この講堂
仲よく遊んだ お友達
みなさん 本当にありがとう
あの日 この日の 思い出が
いつまで 残ることでしょう
みなさん 本当にありがとう
3、育てかしこく 丈夫にと
今日の この日を待っていた
父さん母さん ありがとう
こん度は いよいよ中学生
しっかりやります 励みます
父さん母さん ありがとう
〔全 員〕
美しく 春の光が降ってくる
よい日よ よい日よ
よい日 今日は
よい日よ よい日よ
よい日 今日は
今こそ 巣立つ卒業生
お幸せに お幸せに
さようなら さようなら
ご機嫌よう お幸せに お幸せに
さようなら さようなら
さようなら
* * * * * * *
この歌は、今でいう卒業生・在校生による
『よびかけ』の代わりだった。
卒業証書授与、校長・来賓の祝辞等々後、
式のクライマックスで歌った。
私は、4年生の時、〔全員〕部と〔低学年〕部の箇所を、
5年生で、〔全員〕部と〔中・高学年〕部を歌った。
式の数日前から、体育館でくり返し練習した。
見慣れない男の先生が中心になり、
4,5年生だけ、あるいは卒業生と一緒などの練習があった。
いつもピリピリした練習で、気が重かった。
しかし、卒業の時は、それも3度目となり、
曲の全てに聞き覚えがあり、
歌うことが苦にならなかった。
式当日、4、5年生の歌声が、ジワリと心に響いた。
それにも増して、先生たちの歌声は、今も心にある。
『君たちよ 光は空に満ちている …胸張って
…例え嵐が吹こうとも …君たちよ
先生はいつも見つめている…』
男の先生方の太い声、力強い歌声が、
体育館中に広がった。
中学生活にちょっと意欲的にもなった。
数年前になるが、
小学校卒業式後の帰り道を、私はこう回顧した。
『丸めた証書を片手に持ちながら、
校舎を背にして帰宅する道を
とぼとぼと歩いた場面だけは、
はっきりと覚えています。
黒のゴム長靴で路傍の土で汚れた雪を
蹴散らしながら、
どういう訳が体全体から
力が抜けていくような気がしました。
私は、その時初めて、こんな気持ちが
『寂しい』ということなんだと知ったのでした。
……あの時ばかりは、、
一緒に遊び、共に学校生活を送り、
学んだ6年1組のみんなとの別れが、
訳もなく無性に寂しく思えたのでした。』
どんどんと縮んでいく胸の内。
今にも涙がこぼれ落ちそうな帰り道。
突然、先生方の歌声が蘇った。
空を見上げた。明るい空だった。
『…育み育てた 君たちの
…羽ばたけ 羽ばたけ
行く手には 明るい未来が開けてる…』
その後の多感な時期、時折、この歌を思い出した。
先生方の歌声に、自分を鼓舞したこともあった。
しかし、時間と共に、次第に忘れ去った。
それから、何と20数年が流れてからだ。
私は、東京の小学校に勤務し、2回目の異動となった。
それまでの学校とは、子どもも環境も大きく違った。
しかし、10数年のキャリアがあった。
何とか折り合いを付けながら、
あっという間に、低学年担任の1年が過ぎようとしていた。
確か、1月末の職員会議だったと思う。
3月の卒業式について、会議が紛糾した。
論点は、国旗でも国歌でもなかった。
なんと『卒業式の歌』の取り扱いなのである。
私の小学校卒業式のあの歌である。
赴任した小学校では、長年、「よびかけ」に代わって、
この歌が、在校生、卒業生、先生方によって、
歌われていたと言う。
「それが、本校の伝統です。」と管理職は言い、
卒業式での継承を主張した。
しかし、先生方からは、
「もう時代に合っていない。
他校と同じように、よびかけにすべきです。」
の声が上がった。
突然の、予期しない会議展開に私は、目を丸くした。
すぐに、この曲の全てが、私の中で歌い始めた。
懐かしさで、胸が騒いだ。
「小学校の卒業式で、歌いました。
私の心の故郷です。
卒業してからも、思い出して口ずさんだ歌です。」
立ち上がって、そう発言したくなった。
しかし、それが会議の流れのどっちに、どう左右するか、
微妙な気がして、押し黙った。
実は、その時の私には、
この歌が、卒業式に相応しいか否か、その成否を吟味する、
そんな気持ちにはなれずにいた。
懐かしさと共に、『棚からぼた餅』『夢のまた夢』、
そんな心境だった。
まさかである。
北海道の小学生が3年間歌った『卒業式の歌』に、
それから20数年後、東京で再び巡り会うなんて・・・。
今度、私が歌うのは、先生方が歌ったあのフレーズ。
私の心の中で生きていた先生の歌を、
私が卒業式で歌う。
願っても叶うことではない。
私は、とんでもないときめきの中にいた。
先生の部分を歌いたい。
卒業式で、『君たちよ 光は空に……』と歌いたい。
それは、全くのプライベートな思いである。
偶発的で感傷的な願いだった。
私は、職員会議の推移をじっと見守った。
「取りあえず、今年度は伝統を守って」となった。
卒業式当日、職員席から〔先生〕部を、
心を込めて歌った。
他の先生方とは違う、
特別な感情で胸が焦げそうになった。
小学生の私、その時の先生方、今の私が、
次々と現れた。
まさに、夢心地。地に足が付いていなかった。
どんな小説にもないシーンだった。
式後、同僚たちにこのことを何も言わなかった。
翌年は、どうなるのか気がかりだった。
私の想いとは無関係に、
次の年、式から〔先生〕部が消えた。
そして、私が卒業生を出した4年後には、
完全に、その歌は式からなくなった。
十分に納得している。
好運がくれた自己満足だが、
『オペレッタ形式による卒業式の歌』の全曲を、
卒業式で歌った人は数少ない。
ちょっとだけ胸を張っている。
光の春が来た・ナナカマドの新芽も
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