▼ 最初に、私の教育エッセイ『優しくなければ』の一編を転記する。
* * * * *
不 寛 容
もう何年も前に目を引いた記事です。
しつけについての特集で、『不寛容』の見出しで書かれていましたが、
日本は子供のしつけについて、
あまりにも口うるさいのではないかと言う問題提起でした。
一例として、バスの中で子供が楽しく歌ったり踊ったりしている。
そんな時、私たちは当然のように
「まわりの人の迷惑になるから」
と止めさせるのではないでしょうか。
しかし、地中海のマルタでそんな光景に出会うと、
大人たちは子供に「もっとやれ」とばかりに、
はやしたてるのだそうです。
民俗性や文化の違いがあり、
それを即、受け入れることはできません。
しかし、私たち大人に、子供は飛び回るもの、
はしゃぐものと言った認識が薄れているのでは……。
「子供だからしょうがない!」と言う寛容の心が、
もっと必要ではないでしょうかというものでした。
* * * * *
▼ 1か月程前になる。
ゴルフからの帰りのことだ。
愛車で、広い畑と畑にはさまれた真っ直ぐな道を走っていた。
陽差しが次第に西へ傾きかけ、
道端のススキが銀色に光っている。
その歩道を、ランドセルを背負った少年3人が、
走りながら下校していた。
何やら声を張り上げ、前の子を追っている。
3人の長い影も、躍動していた。
しばらく行くと、今度は、
同じくランドセルを背負った少年が、1人だった。
やや背を前かがみにし、ゆっくりと歩いている。
その長い影が、やけに物静かで気になった。
この時に限らないが、下校する子供の姿によく目が行く。
そのたびに、ランドセルをゆらしながら、
かけ足する子供の姿に、
自然と気持ちが明るくなった。
それに比べ、重たそうにランドセルを背負い、
1人で淡々と道を行く子供に出会うと、
物寂しく、つい不安になってしまうのだ。
きっと『安全な暮らし』からすると、
淡々と歩く方が、安心だろう。
しかし、思わずかけ足をする姿には、
子供らしさがあふれているように映り、安らぎを覚えるのだ
しかし、現職だった頃の私には、そんな寛容さがなかった。
『廊下は静かに歩きましょう』。
そんな標語を大文字にし、
校舎内のいたるところに掲示した。
そして、不寛容さを貫き、
つい廊下を走ってしまう子をみつけると、
その場で厳しく叱った。
▼ 10月に国勢調査があった。
市役所から依頼があり、その調査員を引く受けた。
担当は百数十軒の世帯。
地図をたよりに下調べをしてから、
一軒一軒を訪問し、調査をお願いして回った。
5年に一度のこの調査を、
よく理解している方ばかりではなかった。
調査書類を渡してから、回答方法を説明する。
その後、世帯の代表者名と人数を聞き取るのだが、
すんなりと教えてもらえない事がしばしばあった。
個人情報への警戒感がそうさせるのだろう。
ある世帯では、インターホン越しに国勢調査の役割等を、
くりかえし説明しても理解が得られず、不審者扱いをされた。
しかし、「これも想定されていたこと!」。
ところが、調査依頼を始めて3日目だった。
そのお宅を訪ねた時、ご主人は、丁度、家庭菜園の手入れをしていた。
作業の手を止めて、調査書類を受け取り、
私からの一連の説明も静かに聞いてくれた、
そして、世帯主名と人数を聞き取った。
その直後だ。
「これ、いつからやってるんだ。」
「訪問ですか。3日前からですが・・。」
「3日も前からなのに、随分遅いじゃないか。
早くもって来いよ。」
ご主人の声は、やや尖っていた。
私は、その勢いと予期しなかった言葉に驚き、
「それはそれは、失礼しました」。
軽く頭をさげ、その場を去った。
当然、不快感が残った。
それ以上に、随分と寛大な対応の私であったことに安堵し、
気持ちを切替えて、次の家へと訪問を急いだ。
そして、翌日の夕暮れ時だ。
同じ通りで、留守だったお宅に依頼へ行った。
「早くもって来いよ」のお宅前を通った。
たまたま玄関からあのご主人が出てきた。
すぐに、私を呼び止めた。
「まだ、配っているの?」
「はい、留守の所があるもんですから・・。」
できるだけ明るい声で応じながら、
またクレームかと身構えた。
「丁度よかった。
俺さ、昨日変なことを言ってしまった。
沢山の家を回るんだから、何日もかかるのに、
いや、済まなかった。」
ご主人は、軽く頭をさげ、静かな表情で私を見た。
そして、「言ってから、気づいてさ・・。今、会えてよかったよ。」
とも。
「いえ、いえ・・、そんな・・。」
その場を後にしながら、
ご主人の寛大さに思いを馳せていた。
▼ 近隣の町の大きな病院でコロナのクラスターが発生した。
早速、そこの町長さんがコメントを出した。
その一節は、コロナに感染した入院患者と病院関係者への、
差別や偏見への注意喚起であった。
伊達も同じだが、都会とは違う。
うわさの伝播は早いに違いない。
それだけに、差別や偏見には大きな警戒感がいるのだろう。
そんな風潮にため息しながら、
コロナに見まわれた方々へのあの寛大さは、
どこへいったのだろうと思った。
ダイヤモンド・プリンセス号の濃厚接触者が
房総の三日月ホテルで2週間の隔離生活に入った。
あの時、ホテル前の砂浜で大漁旗を振り、
エールを送った人たちがいた。
同じ頃、コロナで逼迫する病院前に、
応援の大看板メッセージが並んだ。
確かに今は、感染拡大を防ぐことが重要だろう。
だから、一人一人が日常的に感染防止に努めなければならない。
でも、大漁旗を振ろうと言って欲しい。
応援の大看板を作ろうと呼びかけて欲しい。
そうやって、みんなでコロナ禍を越えて行けたらいい。
越冬するオオハクチョウ
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不 寛 容
もう何年も前に目を引いた記事です。
しつけについての特集で、『不寛容』の見出しで書かれていましたが、
日本は子供のしつけについて、
あまりにも口うるさいのではないかと言う問題提起でした。
一例として、バスの中で子供が楽しく歌ったり踊ったりしている。
そんな時、私たちは当然のように
「まわりの人の迷惑になるから」
と止めさせるのではないでしょうか。
しかし、地中海のマルタでそんな光景に出会うと、
大人たちは子供に「もっとやれ」とばかりに、
はやしたてるのだそうです。
民俗性や文化の違いがあり、
それを即、受け入れることはできません。
しかし、私たち大人に、子供は飛び回るもの、
はしゃぐものと言った認識が薄れているのでは……。
「子供だからしょうがない!」と言う寛容の心が、
もっと必要ではないでしょうかというものでした。
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▼ 1か月程前になる。
ゴルフからの帰りのことだ。
愛車で、広い畑と畑にはさまれた真っ直ぐな道を走っていた。
陽差しが次第に西へ傾きかけ、
道端のススキが銀色に光っている。
その歩道を、ランドセルを背負った少年3人が、
走りながら下校していた。
何やら声を張り上げ、前の子を追っている。
3人の長い影も、躍動していた。
しばらく行くと、今度は、
同じくランドセルを背負った少年が、1人だった。
やや背を前かがみにし、ゆっくりと歩いている。
その長い影が、やけに物静かで気になった。
この時に限らないが、下校する子供の姿によく目が行く。
そのたびに、ランドセルをゆらしながら、
かけ足する子供の姿に、
自然と気持ちが明るくなった。
それに比べ、重たそうにランドセルを背負い、
1人で淡々と道を行く子供に出会うと、
物寂しく、つい不安になってしまうのだ。
きっと『安全な暮らし』からすると、
淡々と歩く方が、安心だろう。
しかし、思わずかけ足をする姿には、
子供らしさがあふれているように映り、安らぎを覚えるのだ
しかし、現職だった頃の私には、そんな寛容さがなかった。
『廊下は静かに歩きましょう』。
そんな標語を大文字にし、
校舎内のいたるところに掲示した。
そして、不寛容さを貫き、
つい廊下を走ってしまう子をみつけると、
その場で厳しく叱った。
▼ 10月に国勢調査があった。
市役所から依頼があり、その調査員を引く受けた。
担当は百数十軒の世帯。
地図をたよりに下調べをしてから、
一軒一軒を訪問し、調査をお願いして回った。
5年に一度のこの調査を、
よく理解している方ばかりではなかった。
調査書類を渡してから、回答方法を説明する。
その後、世帯の代表者名と人数を聞き取るのだが、
すんなりと教えてもらえない事がしばしばあった。
個人情報への警戒感がそうさせるのだろう。
ある世帯では、インターホン越しに国勢調査の役割等を、
くりかえし説明しても理解が得られず、不審者扱いをされた。
しかし、「これも想定されていたこと!」。
ところが、調査依頼を始めて3日目だった。
そのお宅を訪ねた時、ご主人は、丁度、家庭菜園の手入れをしていた。
作業の手を止めて、調査書類を受け取り、
私からの一連の説明も静かに聞いてくれた、
そして、世帯主名と人数を聞き取った。
その直後だ。
「これ、いつからやってるんだ。」
「訪問ですか。3日前からですが・・。」
「3日も前からなのに、随分遅いじゃないか。
早くもって来いよ。」
ご主人の声は、やや尖っていた。
私は、その勢いと予期しなかった言葉に驚き、
「それはそれは、失礼しました」。
軽く頭をさげ、その場を去った。
当然、不快感が残った。
それ以上に、随分と寛大な対応の私であったことに安堵し、
気持ちを切替えて、次の家へと訪問を急いだ。
そして、翌日の夕暮れ時だ。
同じ通りで、留守だったお宅に依頼へ行った。
「早くもって来いよ」のお宅前を通った。
たまたま玄関からあのご主人が出てきた。
すぐに、私を呼び止めた。
「まだ、配っているの?」
「はい、留守の所があるもんですから・・。」
できるだけ明るい声で応じながら、
またクレームかと身構えた。
「丁度よかった。
俺さ、昨日変なことを言ってしまった。
沢山の家を回るんだから、何日もかかるのに、
いや、済まなかった。」
ご主人は、軽く頭をさげ、静かな表情で私を見た。
そして、「言ってから、気づいてさ・・。今、会えてよかったよ。」
とも。
「いえ、いえ・・、そんな・・。」
その場を後にしながら、
ご主人の寛大さに思いを馳せていた。
▼ 近隣の町の大きな病院でコロナのクラスターが発生した。
早速、そこの町長さんがコメントを出した。
その一節は、コロナに感染した入院患者と病院関係者への、
差別や偏見への注意喚起であった。
伊達も同じだが、都会とは違う。
うわさの伝播は早いに違いない。
それだけに、差別や偏見には大きな警戒感がいるのだろう。
そんな風潮にため息しながら、
コロナに見まわれた方々へのあの寛大さは、
どこへいったのだろうと思った。
ダイヤモンド・プリンセス号の濃厚接触者が
房総の三日月ホテルで2週間の隔離生活に入った。
あの時、ホテル前の砂浜で大漁旗を振り、
エールを送った人たちがいた。
同じ頃、コロナで逼迫する病院前に、
応援の大看板メッセージが並んだ。
確かに今は、感染拡大を防ぐことが重要だろう。
だから、一人一人が日常的に感染防止に努めなければならない。
でも、大漁旗を振ろうと言って欲しい。
応援の大看板を作ろうと呼びかけて欲しい。
そうやって、みんなでコロナ禍を越えて行けたらいい。
越冬するオオハクチョウ
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