▼ 孫が1人いる。
首都圏なので、もう1年以上も会っていない。
その子が、1年生になった。
お家でひらがなの練習に集中している動画が、
LINEで送られてきた。
あどけなさが姿を消し、急に成長したように思えた。
これからの6年間、
小学生として、どんな日々を送るのだろう。
きっと一日一日、力強く歩みを続けて行くに違いない。
「頑張れ!!」。
さて、私からの入学祝いは、
定番通り、ランドセルだった。
昨年の今頃だったろうか、
親子でランドセル専門店に出向き、注文した。
私は、その代金を銀行へ振り込んだ。
そして、それが届いた日に、
ZOOMのオンラインで「ありがとう!」。
それで、ピリオドだ。
「コロナ禍だから」。
息子らも私たちも「仕方ない!」。
そう思っている。
しかし、小学生になったプレゼントが、
・・・これ・・。
もう少しでいいから、素敵なドラマがほしい・・・。
そう思っているのは、大人だけなのかも・・。
▼ 私の7才、昭和30年に戻る。
まだまだ戦後が色濃く残る時代だったが、
製鉄所のある街だからか、
どこの家庭もある程度の暮らしをしていた。
なので、1年生の多くは、
赤や黒の皮でできたランドセルだった。
だが、私のそれは、薄茶色の厚い布製だった。
しかも、そこには男の子と女の子が、
手をつなく絵が描いてあった。
子供なりにも、貧しい暮らしだったことは知っていた。
だから、そのランドセルを目の前にしても、
何も言わなかった。
ただ、「布でも、絵のない黒がいいのに!」。
「毎日、これを背負って学校へ行くのか・・」
と、ちっとも嬉しくなかった。
ところが、こんなことがあった。
入学間近の日だった。
当時住んでいた4軒長屋の端のおばさんが、
私を洋服屋へ連れて行った。
母が仲よくしていたおばさんだった。
洋服屋に入るなり、
小学生がかぶる学生帽の売場へ行った。
当時は、黒のその帽子をかぶる男の子が多かった。
店の方と一緒に、私の頭に学生帽をかぶせ、
大きさの品定めをした。
「一寸大きいけど、これでいい?」。
おばさんが、私を見て訊いた。
突然のことに、私は戸惑った。
頭の学生帽を両手でさわりながら、
「これ、どうするの?」。
あばさんは、明るい声で応えた。
「小学校へかぶっていきなさい。
おばさんが買ってあげる。」
ますます私は戸惑った。
それまでに父母以外から、
何かを買ってもらったことなどなかった。
だから、嬉しい顔もできないまま、
押し黙った。
おばさんはさらに明るく言った。
「遠慮しなくて、いいの。
毎日毎日長いこと保育所に通ったでしょ。
えらかったよね。
この帽子は、そのご褒美」。
私は、3才の秋から保育所に行っていた。
それを、おばさんは知っていて、
ご褒美だと言った。
夕食の後、家族みんなに、学生帽を見せながら、
おばさんがそう言ったと、胸を張った。
母は、新聞紙を細く折りたたみ、
帽子の内側にはめ、
目を真っ赤にしながら、私の頭にかぶせた。
帽子の隙間がなくなり、丁度よくなった。
1年生になると毎日、その学生帽をかぶって通学した。
他の子と違うランドセルのことは気になったが、
それよりも、学生帽が私を元気にしてくれた。
≪追記≫ 【=『プラム』♂と『トマト』♀ 2人で=】
♀ ねえ、ご褒美だって。
プラムは、どんなご褒美をもらった?
♂ ご褒美なんて、もらったかな・・・。
トマトこそ、沢山もらっただろう?
♀ 小さい頃は、クリスマスとか誕生日とかに、
毎年、プレゼントはもらったけど・・・。
それって、ご褒美だったのからし?
♂ トマトのご両親は、
「健康で元気よく!」と願いを込めて、
プレゼントを贈ったんだと思うなあ。きっと!
でも、ご褒美って、それとは違う気がする。
もっと、すごいものなんじゃないかな。
♀ そうね。ご褒美なんて、
なかなかもらえないものね!
♂ だけど、あげたい人なら、いっぱいいるなあ。
♀ そう! どんな人・・?
♂ 最近なら、ロック歌手の宮本浩次。
彼が歌う『化粧』がいいんだ。
聴いていると、強気な女性の悔いと言うのかな、
そのせつなさが、胸を締め付けるんだ。
その歌唱に、ご褒美をあげたくなるんだ。
♀ 私は、あの夜に必死に化粧する女性にも、
ご褒美をあげたいなあ。
♂ そうか!・・・そうだね。
『御衣黄桜(ギョイコウザクラ)』と言うらしい
首都圏なので、もう1年以上も会っていない。
その子が、1年生になった。
お家でひらがなの練習に集中している動画が、
LINEで送られてきた。
あどけなさが姿を消し、急に成長したように思えた。
これからの6年間、
小学生として、どんな日々を送るのだろう。
きっと一日一日、力強く歩みを続けて行くに違いない。
「頑張れ!!」。
さて、私からの入学祝いは、
定番通り、ランドセルだった。
昨年の今頃だったろうか、
親子でランドセル専門店に出向き、注文した。
私は、その代金を銀行へ振り込んだ。
そして、それが届いた日に、
ZOOMのオンラインで「ありがとう!」。
それで、ピリオドだ。
「コロナ禍だから」。
息子らも私たちも「仕方ない!」。
そう思っている。
しかし、小学生になったプレゼントが、
・・・これ・・。
もう少しでいいから、素敵なドラマがほしい・・・。
そう思っているのは、大人だけなのかも・・。
▼ 私の7才、昭和30年に戻る。
まだまだ戦後が色濃く残る時代だったが、
製鉄所のある街だからか、
どこの家庭もある程度の暮らしをしていた。
なので、1年生の多くは、
赤や黒の皮でできたランドセルだった。
だが、私のそれは、薄茶色の厚い布製だった。
しかも、そこには男の子と女の子が、
手をつなく絵が描いてあった。
子供なりにも、貧しい暮らしだったことは知っていた。
だから、そのランドセルを目の前にしても、
何も言わなかった。
ただ、「布でも、絵のない黒がいいのに!」。
「毎日、これを背負って学校へ行くのか・・」
と、ちっとも嬉しくなかった。
ところが、こんなことがあった。
入学間近の日だった。
当時住んでいた4軒長屋の端のおばさんが、
私を洋服屋へ連れて行った。
母が仲よくしていたおばさんだった。
洋服屋に入るなり、
小学生がかぶる学生帽の売場へ行った。
当時は、黒のその帽子をかぶる男の子が多かった。
店の方と一緒に、私の頭に学生帽をかぶせ、
大きさの品定めをした。
「一寸大きいけど、これでいい?」。
おばさんが、私を見て訊いた。
突然のことに、私は戸惑った。
頭の学生帽を両手でさわりながら、
「これ、どうするの?」。
あばさんは、明るい声で応えた。
「小学校へかぶっていきなさい。
おばさんが買ってあげる。」
ますます私は戸惑った。
それまでに父母以外から、
何かを買ってもらったことなどなかった。
だから、嬉しい顔もできないまま、
押し黙った。
おばさんはさらに明るく言った。
「遠慮しなくて、いいの。
毎日毎日長いこと保育所に通ったでしょ。
えらかったよね。
この帽子は、そのご褒美」。
私は、3才の秋から保育所に行っていた。
それを、おばさんは知っていて、
ご褒美だと言った。
夕食の後、家族みんなに、学生帽を見せながら、
おばさんがそう言ったと、胸を張った。
母は、新聞紙を細く折りたたみ、
帽子の内側にはめ、
目を真っ赤にしながら、私の頭にかぶせた。
帽子の隙間がなくなり、丁度よくなった。
1年生になると毎日、その学生帽をかぶって通学した。
他の子と違うランドセルのことは気になったが、
それよりも、学生帽が私を元気にしてくれた。
≪追記≫ 【=『プラム』♂と『トマト』♀ 2人で=】
♀ ねえ、ご褒美だって。
プラムは、どんなご褒美をもらった?
♂ ご褒美なんて、もらったかな・・・。
トマトこそ、沢山もらっただろう?
♀ 小さい頃は、クリスマスとか誕生日とかに、
毎年、プレゼントはもらったけど・・・。
それって、ご褒美だったのからし?
♂ トマトのご両親は、
「健康で元気よく!」と願いを込めて、
プレゼントを贈ったんだと思うなあ。きっと!
でも、ご褒美って、それとは違う気がする。
もっと、すごいものなんじゃないかな。
♀ そうね。ご褒美なんて、
なかなかもらえないものね!
♂ だけど、あげたい人なら、いっぱいいるなあ。
♀ そう! どんな人・・?
♂ 最近なら、ロック歌手の宮本浩次。
彼が歌う『化粧』がいいんだ。
聴いていると、強気な女性の悔いと言うのかな、
そのせつなさが、胸を締め付けるんだ。
その歌唱に、ご褒美をあげたくなるんだ。
♀ 私は、あの夜に必死に化粧する女性にも、
ご褒美をあげたいなあ。
♂ そうか!・・・そうだね。
『御衣黄桜(ギョイコウザクラ)』と言うらしい
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