ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

あの頃の給食事情

2024-06-15 19:00:27 | あの頃
 ▼ 家内と一緒のゴルフは、
いつも、地元・伊達カントリーの午後スタートである。
 18ホールを一気に回ると、
スコアーの善し悪しに関わらず、
年々、疲労感が強くなってきた。

 だから、帰宅後は2人とも、
テレビの前に座り動こうとしない。
 夕飯は、スーパーの弁当や外食が、
ここ1、2年の定番になった。

 先日も、ハンバーグレストランへ行った。
若年層に人気のお店であるが、
この店の味が好きになり、年に数回は行くようになった。

 席に着くとすぐに、
店員さんから期間限定メニューの紹介があった。
 最近聞き慣れてきた『ディッシュ』だった。

 きっとボリュームがあるだろうと思いつつ、
美味しそうな写真に引かれて、注文した。

 運ばれてきたのは、1枚の平たくて深い皿に、
写真通りハンバーグともう一品、
それにライスと野菜が載っていた。

 案の定、食べ応えのある量に驚きながらも、
時間をかけて、箸を動かした。

 くり返しになるが、『ディッシュ』で使う食器は、
1枚の皿だけである。
 ふと、食事後の食器洗いは皿1枚と箸1膳で済む。
安価で料理を提供したいお店にとっては、
人件費削減を考えるとこれは最適なメニューではなかろうか。

 そんなことに想いを巡らせながら、
ついついあの頃の給食事情を思い出していた。

 ▼ 今もそうだろうが、都内23区の小中学校は、
それぞれの学校の給食室で調理をして提供する自校給食であった。
 ところが、教頭として赴任したK区の某小学校には、
栄養士が配属されてなかった。
 
 区教委から届いたその月の献立表を基に、
学校行事に合わせてアレンジした独自の献立を作成するのも、
その食材を発注するのも、調理の手順を決めるのも、
業者への支払いも、
給食担当の先生と調理員さんで手分けして行っていた。
 教頭の私は、そのまとめ役だった。

 担任の頃は、子ども達と一緒に配膳をし、
楽しい雰囲気の中で、残さず時間内に食べさせることが役目だった。
 それとは異なる経験のない仕事であった。

 ▼ 毎週、給食担当の先生と調理員さんに、
私も加わり、打ち合わせ会を行った。
 次週の発注から調理手順まで、細部にわたって話し合った。

 その場で、度々押し問答になることがあった。
それは、その日その日の食器の種類だった。

 用意する食器は、献立によって異なるはずだ。
でも、調理員さんからは、
「1人2種類までの食器にしてほしい」
と、いつも要望したのだ。
 
 「この献立は、食器を3つにして食べさせたい」
給食担当の先生が主張する。

 「食器2つと3つでは、食器を揃えて運ぶのも食器洗いも、
作業量が全然違います。
 度々は、無理です。
今週の野菜炒めは、使い捨てアルミ皿で出しましょう」

 「使い捨てにすると、それ分だけ給食費を使うことになります。
献立にも影響します。
 決していいことではありません」

 険悪な雰囲気で話し合いはしばらく続く。
そして結論は、次の3つのいずれかに決まる。
 ・本来は3つの食器のところを、何とか2つで盛る
 ・1つの食器を使い捨て皿にする
 ・調理さんに頑張ってもらって3つの食器に盛る。

 そして、いつも最後は誰かがつぶやく。
「調理員さんがもう1人いれば、
いつだってできることなのに」と。

 ▼ K区で教頭を6年経験した後、
S区に校長として着任した。
 そこでは、給食調理の民間委託が進んでいた。

 それまで、調理員は学校規模によって若干違ったが、
小学校も中学校も1校4、5名の区職員だった。

 ところが、民間委託になると調理員の人数にも違いがあった。
献立の変化に応じて、民託の会社からヘルプの調理員が、
派遣される仕組みになっていた。
 フルタイムで1、2名増員が日常的にあった。

 教頭として頭を痛めた食器数の問題も、
2種類から3種類になる日は、
会社が、午前中だけ勤務のパートさんを、
時間延長で対応したりしてくれた。
 
 そればかりではなかった。
4,5名に固定されていた調理員では、
決してできなかった給食が、2つ可能になったのだ。

 その1つは、月に1,2回の『セレクト給食』である。
その給食の1週間くらい前に、
各学級で担任から口頭でのアンケート調査がある。 

 例えば、 
「来週の木曜日は、セレクト給食です。
 焼きそばとナポリタンのどちらがいいですか」
担任の問いに、子ども達は挙手で答える。

 セレクト給食の日、挙手した子供の人数分の給食が教室に届くのだ。
誰もが同じ献立ではなく、食べたい方の給食なのである。

 この日の給食室は、完全に2種類の違う献立を作ることになる。
当然、人手も大きく必要になる。
 会社は、それに応じてその日だけの調理員を派遣してくれた。
民間委託だからできることだった。

 もう1つは、私が最後に勤務した小学校で実施していた給食である。
年に1回だけ、しかも5年生と6年生だけ限定の『バイキング給食』だった。

 これには、1学年全員で使える広いランチルームが必要だった。
その部屋に、多彩なメニューが用意される。
 5年生と6年生が日にちをかえての、
バイキング方式での給食だった。
 お盆と取り皿を持ち、
思い思いの好みで好きなだけ取ればいいのである。
 そして、好きな量だけ食べることができた。

 この日、『バイキング給食』でない学年は、
通常の給食であった。
 だから、給食室は他学年の給食と同時にバイキング用も作った。  
それに応じて調理人員を派遣できる民間委託ならではの給食である。

 さて、今はどうなっているのだろう。
伊達市内はセンター方式の給食である。
 これまた、おもむきが違うことだろう。  
 



    花 盛 り 街路樹のヤマボウシ
※次回のブログ更新予定は 6月29日(土)です 

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