① 自宅に初めてエアコンを設置したのは、
30歳代になってすぐだった。
それまで賃貸の団地住まいだったが、
近くにやや広い分譲の団地が販売された。
家族が4人になったこともあり、
思い切って購入することにした。
そこへ移るときに、
LDKの部屋だけエアコンを付けた。
その後、近隣の地域を2度転居したが、
エアコンのある部屋は、1室から2室に増えた。
当たり前のように、夏の生活必需品になっていた。
② ところが、首都圏での最後の夏のことだ。
その年、あの3,11があった。
大地震、大津波、そして原発事故と続いた。
住んでいた千葉市の海浜地区は、
方々で液状化現象が発生した。
電柱が軒並み傾いた。
戸建住宅の中には大きく家屋が傾斜し、
住めなくなった家庭もあった。
その上、首都圏は原発の影響で電力不足になった。
計画停電が実施された。
道を挟んだ隣の住宅街一帯が停電になり、
真っ暗闇という事態が何日も続いた。
ニュースはしきりに節電を呼びかけた。
当時、30階建てマンションの9階で暮らしていた。
高層階の方々はともかく、
私たち2人は節電のためエレベーターの使用をひかえた。
60歳を過ぎたばかりだったが、
9階までの上りは息が切れた。
階が増すにつれ、足がどんどん重くなった。
それでも、あの惨事を思い浮かべ、
「これくらいは!」と頑張った。
やがて夏が迫り、
夜になっても昼間の暑さが解消しなくなった。
当然、自宅でもエアコンの出番だった。
しかし、計画節電は終了したものの、
相変わらず電力事情は、改善されていなかった。
「エアコンは、28度に設定して使用してください」
そんなアナウンスがくり返されていた。
私は、エアコン使用をためらった。
9階住まいだ。
窓を開け放っていても、空き巣の心配はなかった。
深夜も開けたままでよかった。
ならばと、
「どこまでエアコンを使わないでいられるか、
やってみないか!?」
家内に提案してみた。
真夏、最高潮の暑さが続いたが、
それでも、窓を開けていれば、
寝苦しさも耐えられた。
扇風機にうちわ、それにかき氷で、
エアコンを使うことなく夏を乗りきった。
③ その年の秋、
伊達の我が家は、基本設計が終わり、
諸費用等の提案があった。
正式な工事契約の前に業者さんとの話し合いが必要になった。
家内と一緒に伊達まで来た。
そして、建設会社の担当者2人と対面した。
2人と会うのは3度目だった。
気心も分かり、遠慮なく相談ができた。
その席で、エアコン設置が話題になった。
私達は、伊達の暑さについて経験がなかった。
2人の意見を参考に決めようと思った。
ところが、2人の考えは割れた。
私達と同世代の上司は、
「このくらいの暑さ、エアコンは要りません。
我慢できますよ」と。
そして、現場を取り仕切る若手は、
「これから先を考えると、行く行くは必要になります。
付けて置いた方がいいかと思います」。
脳裏に浮かんだのは、今年の夏の経験だった。
東京のあの暑さを、エアコンなしで乗り切った。
「このくらいの暑さ・・・我慢できますよ」
同世代の意見に心が傾いた。
基本設計にあった2台のエアコン設置は、
削除となった。
④ それから11年が過ぎ、
昨年の夏だ。
日本だけじゃない、世界中が凄い暑さだった。
温暖化を越え、沸騰化とまで言われ、
それを伊達でも実感した。
突然、エアコンの設置について、
「行く行くは必要になります」。
建設会社若手の言葉が蘇った。
でも、急のエアコン設置は無理に違いなかった。
せめて新しい扇風機でもと、家電量販店へ出向いた。
「今日、ようやく店に届いた人気の品です」
店員さんのセールスについのせられ、
高価な一機を購入した。
しかし、それとて猛暑をしのぐまでには至らなかった。
期待が外れた。
「絶対に、来年の夏までにはエアコンを付けよう」
そう思いながら、
高価な扇風機の風に涼をすがり、夏を越えた。
⑤ 年明けてすぐ、
自治会の会館の冷房化が、役員会の話題に上った。
「早く発注しないと夏に間に合わないのでは」
そんな意見が飛び出した。
「きっと、値段も上がっているはず」
と言う意見も・・・。
早々担当を決め、見積もりをとった。
店によって、対応に開きがあったが、
設置工事も値段も、心配には及ばなかった。
発注すると、すぐに工事日決まり、
あっという間に、取り付けが完了した。
「ならば」と、我が家も夏を待たずに設置をと、
再び家電量販店へ行った。
タイミングよく、エアコンの大セールをしていた。
通常の日より、数万円安い値がついていた。
設置は、家を建てた業者に頼んだ。
高密度高断熱の寒冷地仕様の家である。
きっと、室内の冷気もさほど戸外へ流失しないのでは・・・。
期待しながら、今夏の猛暑を待つことに・・・・・。
枝先まで 満開
30歳代になってすぐだった。
それまで賃貸の団地住まいだったが、
近くにやや広い分譲の団地が販売された。
家族が4人になったこともあり、
思い切って購入することにした。
そこへ移るときに、
LDKの部屋だけエアコンを付けた。
その後、近隣の地域を2度転居したが、
エアコンのある部屋は、1室から2室に増えた。
当たり前のように、夏の生活必需品になっていた。
② ところが、首都圏での最後の夏のことだ。
その年、あの3,11があった。
大地震、大津波、そして原発事故と続いた。
住んでいた千葉市の海浜地区は、
方々で液状化現象が発生した。
電柱が軒並み傾いた。
戸建住宅の中には大きく家屋が傾斜し、
住めなくなった家庭もあった。
その上、首都圏は原発の影響で電力不足になった。
計画停電が実施された。
道を挟んだ隣の住宅街一帯が停電になり、
真っ暗闇という事態が何日も続いた。
ニュースはしきりに節電を呼びかけた。
当時、30階建てマンションの9階で暮らしていた。
高層階の方々はともかく、
私たち2人は節電のためエレベーターの使用をひかえた。
60歳を過ぎたばかりだったが、
9階までの上りは息が切れた。
階が増すにつれ、足がどんどん重くなった。
それでも、あの惨事を思い浮かべ、
「これくらいは!」と頑張った。
やがて夏が迫り、
夜になっても昼間の暑さが解消しなくなった。
当然、自宅でもエアコンの出番だった。
しかし、計画節電は終了したものの、
相変わらず電力事情は、改善されていなかった。
「エアコンは、28度に設定して使用してください」
そんなアナウンスがくり返されていた。
私は、エアコン使用をためらった。
9階住まいだ。
窓を開け放っていても、空き巣の心配はなかった。
深夜も開けたままでよかった。
ならばと、
「どこまでエアコンを使わないでいられるか、
やってみないか!?」
家内に提案してみた。
真夏、最高潮の暑さが続いたが、
それでも、窓を開けていれば、
寝苦しさも耐えられた。
扇風機にうちわ、それにかき氷で、
エアコンを使うことなく夏を乗りきった。
③ その年の秋、
伊達の我が家は、基本設計が終わり、
諸費用等の提案があった。
正式な工事契約の前に業者さんとの話し合いが必要になった。
家内と一緒に伊達まで来た。
そして、建設会社の担当者2人と対面した。
2人と会うのは3度目だった。
気心も分かり、遠慮なく相談ができた。
その席で、エアコン設置が話題になった。
私達は、伊達の暑さについて経験がなかった。
2人の意見を参考に決めようと思った。
ところが、2人の考えは割れた。
私達と同世代の上司は、
「このくらいの暑さ、エアコンは要りません。
我慢できますよ」と。
そして、現場を取り仕切る若手は、
「これから先を考えると、行く行くは必要になります。
付けて置いた方がいいかと思います」。
脳裏に浮かんだのは、今年の夏の経験だった。
東京のあの暑さを、エアコンなしで乗り切った。
「このくらいの暑さ・・・我慢できますよ」
同世代の意見に心が傾いた。
基本設計にあった2台のエアコン設置は、
削除となった。
④ それから11年が過ぎ、
昨年の夏だ。
日本だけじゃない、世界中が凄い暑さだった。
温暖化を越え、沸騰化とまで言われ、
それを伊達でも実感した。
突然、エアコンの設置について、
「行く行くは必要になります」。
建設会社若手の言葉が蘇った。
でも、急のエアコン設置は無理に違いなかった。
せめて新しい扇風機でもと、家電量販店へ出向いた。
「今日、ようやく店に届いた人気の品です」
店員さんのセールスについのせられ、
高価な一機を購入した。
しかし、それとて猛暑をしのぐまでには至らなかった。
期待が外れた。
「絶対に、来年の夏までにはエアコンを付けよう」
そう思いながら、
高価な扇風機の風に涼をすがり、夏を越えた。
⑤ 年明けてすぐ、
自治会の会館の冷房化が、役員会の話題に上った。
「早く発注しないと夏に間に合わないのでは」
そんな意見が飛び出した。
「きっと、値段も上がっているはず」
と言う意見も・・・。
早々担当を決め、見積もりをとった。
店によって、対応に開きがあったが、
設置工事も値段も、心配には及ばなかった。
発注すると、すぐに工事日決まり、
あっという間に、取り付けが完了した。
「ならば」と、我が家も夏を待たずに設置をと、
再び家電量販店へ行った。
タイミングよく、エアコンの大セールをしていた。
通常の日より、数万円安い値がついていた。
設置は、家を建てた業者に頼んだ。
高密度高断熱の寒冷地仕様の家である。
きっと、室内の冷気もさほど戸外へ流失しないのでは・・・。
期待しながら、今夏の猛暑を待つことに・・・・・。
枝先まで 満開
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