『北海道農民管弦楽団』の存在を知ったのは、2年前のことだ。
宮沢賢治没後80周年記念として、
この楽団が、震災後の東北・花巻市で演奏会を開催する。
そんな報道特集が、NHK「おはようにっぽん」で流れた。
楽団は、「鍬で畑を耕し、音楽で心を耕す」をモットーにしていた。
その言葉を聞いただけで、宮沢賢治さんの臭いを強く感じた。
楽団代表で指揮者の牧野時夫さんは、
賢治さんが農民芸術概論綱要で記した
『おれたちはみな農民である。ずいぶん忙しく、仕事もつらい。
もっと明るく、生き生きと生活する道を見付けたい。
芸術をもって、あの灰色の労働を燃やせ。』
の言葉に、勇気づけられた。
そして、余市で農業に従事しながら、思いを共有する仲間と共に、
賢治さんが夢みた農民オーケストラを、今に蘇らせようと努力を続けている。
楽団員は、北海道内各地の農家の他、
農業研究場研究員や農業改良普及員等々、
農業に関係のあるメンバー約80名で、
その活動は、農閑期のみに限られている。
広い道内各地から集まっての週1回の練習。
その苦労を想像しただけで、楽団員の熱い思いが伝わってくる。
報道特集では、当別町で農家を営む楽団最高齢の
第2バイオリン奏者・高橋幸治さんを追っていた。
高橋さんは、高校時代にバイオリンに夢中になっていたが、
その思いが忘れられず、
その上、賢治さんの音楽への熱い思いに共感し、
楽団に加わった。70才とか。
彼は10年前にトラクターによる事故で、
左手の親指を複雑骨折した。
そのため、長時間の演奏では、指の動きが鈍くなるのだとか。
1日に8時間の練習を彼は自身に課し、その克服に挑んでいた。
その姿を間近で見てる奥様は、インタビューに、
「皆さんに迷惑をかけないように、応援しています。」
と、穏やかな笑顔で応じた。
高橋さんはこれまた素晴らしく晴れやかな顔をしてそれを聞いていた。
花巻での演奏会では、無事最後まで演奏したとのことだった。
きっと楽団員一人一人に、
高橋さん同様、一口では語り尽くせない、
それぞれのドラマがあるのだろうと思った。
しかし、それにしても『農民管弦楽団』と言う名称には驚いた。
伊達に来てからは、「農家さん」という呼称はよく耳にする。
だが、「農民」は聞き慣れない。私にとっては歴史的用語と言ってもいい。
偏見なのだろうか、都会的は雰囲気の『管弦楽団・オーケストラ』に
「農民」という冠がついている、
それだけで楽団スタッフと関係者の方々が傾ける、真の音楽への熱い魂を感じ、
私は勝手に物凄い熱を帯びていた。
ところが、その楽団の年に1回だけの定期演奏会が、隣町・洞爺湖町で行われた。
2月22日(日)のことだった。
私は、溜池山王のサントリーホールや池袋の芸術劇場大ホールにでも出かけるような、
そんな胸の高鳴りをつれて会場に向かった。
中島がぽっかりと浮かぶ絶景・洞爺湖から
数十メートル離れた小高い傾斜地にある文化センターは、満席の人、人だった。
頂いた演奏プログラムのごあいさつで、代表・牧野さんはこう述べていた。
『農という人間の生命にとって最も重要な食の生産に携わる我々が、
なぜこのようなクラシック音楽などをやるのか?
またそのことにどんな意味があるのか?
と思われるかもしれません。
音楽は本来、労働とともにあって大地での感謝や喜びを表す手段だったはずです。
また、言葉や民族を超えて人々の心をつなぐ手段でもあります。
<略> 農民が奏でる音色を聴いて下さった皆さん一人ひとりが、
平和な世界のための働き人となってくださることを願いつつ、
心をこめて演奏したいと思います。」
鮮明な目的意識を持った素晴らしいメッセージに、
私はさらに勇気づけられ、開演を待った。
リスト作曲/ミュラー=ベルグハウス編曲・ハンガリー狂詩曲第2番ハ短調
ハイドン作曲・交響曲第94番「驚愕」ト長調
と続き、休憩の後、洞爺湖にちなんでの選曲だろう
チャイコフスキー作曲・バレエ音楽「白鳥の湖」より抜粋
で、終演となった。
素人の耳しか持たない私に、その演奏を論じることは無理だが、
演奏者一人一人が自分の持てる力を存分に発揮し、
しっかりとそれぞれが力強く、曲を奏でていたことだけは、
私にも感じることができた。
そして、遂に最後には、あの「白鳥の湖」の音色に、私は酔いしれていた。
アンコール後の止まらない拍手の中で、
指揮者・牧野さんが、全ての力を出し切った、そんな後ろ姿が強く心に残った。
私は、若干不自由な手ではあったが、精一杯の拍手を誰よりも長く送り続けた。
今まで聴いたオーケストラの演奏とは、一味違う感動があった。
そう、その会場の出入り口で、
家内の携帯電話が鳴った。息子から初孫誕生の知らせだった。
私は、洞爺湖を見ながら、『白鳥の湖』を踊りたくなった。
冬を越えた近所のねぎ畑 まもなく収穫
宮沢賢治没後80周年記念として、
この楽団が、震災後の東北・花巻市で演奏会を開催する。
そんな報道特集が、NHK「おはようにっぽん」で流れた。
楽団は、「鍬で畑を耕し、音楽で心を耕す」をモットーにしていた。
その言葉を聞いただけで、宮沢賢治さんの臭いを強く感じた。
楽団代表で指揮者の牧野時夫さんは、
賢治さんが農民芸術概論綱要で記した
『おれたちはみな農民である。ずいぶん忙しく、仕事もつらい。
もっと明るく、生き生きと生活する道を見付けたい。
芸術をもって、あの灰色の労働を燃やせ。』
の言葉に、勇気づけられた。
そして、余市で農業に従事しながら、思いを共有する仲間と共に、
賢治さんが夢みた農民オーケストラを、今に蘇らせようと努力を続けている。
楽団員は、北海道内各地の農家の他、
農業研究場研究員や農業改良普及員等々、
農業に関係のあるメンバー約80名で、
その活動は、農閑期のみに限られている。
広い道内各地から集まっての週1回の練習。
その苦労を想像しただけで、楽団員の熱い思いが伝わってくる。
報道特集では、当別町で農家を営む楽団最高齢の
第2バイオリン奏者・高橋幸治さんを追っていた。
高橋さんは、高校時代にバイオリンに夢中になっていたが、
その思いが忘れられず、
その上、賢治さんの音楽への熱い思いに共感し、
楽団に加わった。70才とか。
彼は10年前にトラクターによる事故で、
左手の親指を複雑骨折した。
そのため、長時間の演奏では、指の動きが鈍くなるのだとか。
1日に8時間の練習を彼は自身に課し、その克服に挑んでいた。
その姿を間近で見てる奥様は、インタビューに、
「皆さんに迷惑をかけないように、応援しています。」
と、穏やかな笑顔で応じた。
高橋さんはこれまた素晴らしく晴れやかな顔をしてそれを聞いていた。
花巻での演奏会では、無事最後まで演奏したとのことだった。
きっと楽団員一人一人に、
高橋さん同様、一口では語り尽くせない、
それぞれのドラマがあるのだろうと思った。
しかし、それにしても『農民管弦楽団』と言う名称には驚いた。
伊達に来てからは、「農家さん」という呼称はよく耳にする。
だが、「農民」は聞き慣れない。私にとっては歴史的用語と言ってもいい。
偏見なのだろうか、都会的は雰囲気の『管弦楽団・オーケストラ』に
「農民」という冠がついている、
それだけで楽団スタッフと関係者の方々が傾ける、真の音楽への熱い魂を感じ、
私は勝手に物凄い熱を帯びていた。
ところが、その楽団の年に1回だけの定期演奏会が、隣町・洞爺湖町で行われた。
2月22日(日)のことだった。
私は、溜池山王のサントリーホールや池袋の芸術劇場大ホールにでも出かけるような、
そんな胸の高鳴りをつれて会場に向かった。
中島がぽっかりと浮かぶ絶景・洞爺湖から
数十メートル離れた小高い傾斜地にある文化センターは、満席の人、人だった。
頂いた演奏プログラムのごあいさつで、代表・牧野さんはこう述べていた。
『農という人間の生命にとって最も重要な食の生産に携わる我々が、
なぜこのようなクラシック音楽などをやるのか?
またそのことにどんな意味があるのか?
と思われるかもしれません。
音楽は本来、労働とともにあって大地での感謝や喜びを表す手段だったはずです。
また、言葉や民族を超えて人々の心をつなぐ手段でもあります。
<略> 農民が奏でる音色を聴いて下さった皆さん一人ひとりが、
平和な世界のための働き人となってくださることを願いつつ、
心をこめて演奏したいと思います。」
鮮明な目的意識を持った素晴らしいメッセージに、
私はさらに勇気づけられ、開演を待った。
リスト作曲/ミュラー=ベルグハウス編曲・ハンガリー狂詩曲第2番ハ短調
ハイドン作曲・交響曲第94番「驚愕」ト長調
と続き、休憩の後、洞爺湖にちなんでの選曲だろう
チャイコフスキー作曲・バレエ音楽「白鳥の湖」より抜粋
で、終演となった。
素人の耳しか持たない私に、その演奏を論じることは無理だが、
演奏者一人一人が自分の持てる力を存分に発揮し、
しっかりとそれぞれが力強く、曲を奏でていたことだけは、
私にも感じることができた。
そして、遂に最後には、あの「白鳥の湖」の音色に、私は酔いしれていた。
アンコール後の止まらない拍手の中で、
指揮者・牧野さんが、全ての力を出し切った、そんな後ろ姿が強く心に残った。
私は、若干不自由な手ではあったが、精一杯の拍手を誰よりも長く送り続けた。
今まで聴いたオーケストラの演奏とは、一味違う感動があった。
そう、その会場の出入り口で、
家内の携帯電話が鳴った。息子から初孫誕生の知らせだった。
私は、洞爺湖を見ながら、『白鳥の湖』を踊りたくなった。
冬を越えた近所のねぎ畑 まもなく収穫
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