ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

喰わず嫌い  『貝』編

2015-04-10 22:06:33 | あの頃
 物心ついた頃から、好き嫌いが多かった。
子どもの時から、よく「どうして嫌いなの?」と訊かれた。
 この質問をするほとんどの人は、好き嫌いと言うものを知らない。
だから、そうした愚問が平気で言えるのだと思う。

 嫌いな物について、
「こうこう、こう言う訳で嫌いなんです。」
「こんなことがあって、だから嫌いになった。」
等と言った、明確な根拠があって嫌いになっているのではない。、
おそらく好き嫌いのある多くの人は、そう思っているのでは。

 無理して、「臭いが嫌いだ。」「食感がどうも。」「味がいやだ。」等と言うものの、
そんなことより、「嫌いな物はただただ嫌いなのだ。」と、私は言いたい。

 しかし、私のような好き嫌いの多い者は、『わがまま』と刻印を押され、
いつもいつも、周りの人たちに、気を遣わせているのも確かなことである。

 それにしても、偏食もなく、何でも美味しく食べる人は、
栄養のバランスもよく健康的で、
どんな食べ物も嫌がらずに食べる、性格のいい人とされる。
その上、「あれが嫌、これが嫌い。」と言わず、
人に迷惑をかけない、扱いやすい人とまで言われたりもする。

 好き嫌いの多い人とそうでない人では、ずいぶんと違うものである。
 それでも私は、嫌いな食べ物を好きになることなどできず、
「健康志向に乏しく、偏屈で、人間性に多少難あり。」
と言った汚名を、嫌々でも受け入れてきた。

 ただし、何十年も前のことになるが、
ある番組で、料理人の方が調理方法を紹介しながら、
つぶやいたひと言だけは、ずうっと心に残っている。

 彼は、料理の手を忙しく動かしながら、
「好き嫌いのある人は、味覚が鋭いんですよ。
だから、その味の好き嫌いが分かるんです。
だけど、そうじゃない人は、
どれもこれもただ美味しいと思うだけなんですね。」
 私は、このつぶやきに一人小躍りした。
『わがまま者』の汚名返上への、応援歌のように聞こえ、密かに胸を張った。

 しかし、いかに味覚が鋭かろうが、
嫌いな食べ物は少ない方がいいに決まっている。

さて、水産物の中の貝類、農産物の中のきのこ類、
ここには共通点があると勝手に解釈している。
それは、それぞれの産物のマイナーな食品と言ったイメージなのだが、
だからと言うわけではないにしても、
一部の例外はあるものの、私はどちらも苦手にしている食べ物である。

今回は、『貝』について記す。


  その1 『帆立貝』

 当地には伊達漁港の他に、黄金や有珠にも漁港がある。
毎日のように魚介類が水揚げされていると思う。
 伊達周辺の噴火湾は、ホタテの養殖が盛んに行われており、
晴れた日の海原は、色取り取りの養殖用ブイで賑わっている。

 どうやら、春先がホタテの旬のようで、
3月以降、ご近所さんから貝殻のままのホタテを何枚も頂いている。

 今まで、貝殻付きのホタテなどキッチンに乗ったことがない我が家では、、
どうやって貝殻から身を取るのか、その格闘が何度も繰り返されている。
その上で、ネットでホタテ料理のレシピを検索し、
生食以外の調理法をさぐるのも日課になっている。
 だが、いずれにしても私がそれを口に運ぶことはない。

 実は、伊達がホタテ養殖の盛んな所であることは、移住する以前から知っていた。
 家内からは、
「伊達の人になるのだから、ホタテは食べられるようにならないと。」
と、言われていた。
言われるまでもなく、私もその気で、
移住前、首都圏で回転寿司店に行くたびに、
あえてホタテの握りに手を伸ばし、チャレンジしていた。

 「嫌いな物でも、慣れだよ。慣れれば、きっと食べられるようになる。」
私は、そう自分を励まし、挑戦を繰り返した。
それは、まさに慣れだった。
徐々にホタテへの抵抗感が薄れ、
この調子なら移住後、地元でホタテを勧められても、
「嫌いなので。」と言わずに済むと思っていた。

 移住してすぐのことだった。
 地元で人気の回転寿司店に行った。
さすが、どの握りも新鮮で、その上ネタの大きさが違っていた。
どれもこれも美味しく、私は上機嫌だった。
勢い込んでホタテを注文した。

「へえーい、ホタテ。」
と、カウンターの向こうから差し出されたホタテの大きさに、息を飲んだ。
首都圏の物とは、ゆうに倍の違いはあった。
 私は、「凄い。」と言いながら、口に運んだ。

 食べ慣れたホタテだったはずである。
その大きさからにじみ出たホタテの味は、
私が食べ慣れたホタテをはるかに超えていた。
 私は思わず、「これは無理。」と口走り、もう一貫を家内に差し出した。
家内は、「こんなに美味しいホタテ、初めて。」と明るかった。

 伊達のホタテは、どれも大きく、私は今も食べ慣れていない。


  その2  『北寄貝』
 
 幼い頃、貧しい暮らしをしていた。
だから、時々カレーライスの具が、肉ではなく、
当時は極めて安価なホッキだった。

 大好きなカレーライスが卓袱台にのり、笑顔で食べ始めたら、
肉ではなくホッキだった時のショックは、忘れることができない。
肉とはあまりにもかけ離れた味に、
私は失意のあまり、涙を浮かべたことさえある。

私は、ホッキの臭いにさえ敏感になると共に、
貧しさの象徴として、ホッキは心に刻まれた。
 遂には、熱を通したホッキの赤身を見ることさえ、
遠ざけるようになってしまった。

嫌いな食べ物に理由があるとしたら、
唯一、例外としてホッキだけは、明確にその訳を上げることができる。

 しかし、今や、ホッキ入りカレーは、
道内・苫小牧市のご当地名物グルメであり、美味しいと評判である。
それでも、私は「なんでホッキなの?」と、ただただ疑問を抱くだけだった。

 ところが、まだ1年も過ぎてはいないが、
回転寿司店で久しぶりの夕食を摂った時だ。
家内とめいめい好きなネタを注文し、
「美味しいね。」「うん、うまい。」と機嫌が良かった。

 テーブルの脇に、本日のおすすめと書かれた写真入りのカードがあった。
それは、活ホッキと書かれた黒い身をした握り鮨だった。

 貝類の中で、トリ貝の握りだけは好んで食べていた。
その黒い身に似ていた。
 もしかしたら、その味に似ているのではと、心が動いた。
私は、ホッキなのにも関わらず、注文した。

 待つ間もなく届いたホッキの黒い握り。
私は、その一貫に少しの醤油をつけ、一口で食べた。
ホッキ独特の甘みが、口いっぱいに広がった。
思わず、「これは、美味い。」と声が出た。

 熱を通した赤身のホッキは、今も食べようとは思わない。
だが、活ホッキのあの黒い身は寿司店にいくたびに、
好んで、注文するようになった。




明治初期に仙台藩亘理より移植された『サイカチ』 まもなく新緑に

 

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