▼ 目ざめると、天気予報通り雪が降っていた。
深夜から降り続いていたようだ。
朝食を済ませた頃、雪は降り止んだ。
珍しく10センチ以上の積雪、この冬一番だ。
早速、1時間ほど、自宅前の歩道と駐車場の雪かき。
「随分、降りましたね。」
ご近所さんと挨拶代わりに、そんな言葉を交わす。
みんな、いつもより長い時間、雪と組み合う。
その内、雲の切れ間から、明るい陽が差し込んだ。
この住宅街も、一面真っ白な銀世界が、
キラキラと光り輝いた。
その眺めは、重たい鉛色の雲におおわれ、
氷点下のキーンとした寒さの毎日に、
一時とは言え、“この地で暮らすことに満足する”
そんな素敵な1枚の絵画だった。
私は、しばらくはそのまぶしさに目を細め、誓った。
“伊達に来て、5度目の冬になる。
春夏秋冬、1年を通し、この1月が大の苦手だ。
2月の方が、きっと冷え込みは厳しいのだろう。
でも、『春は近い。』と思える。
その分、まだ2月の方がいい。
1月は冬真っ只中を実感する。
そんな時、大自然からの贈り物がこのきらめきだ。
そうだ! 必ず、春が来る。
だから、もうしばらく、この冬を我慢しよう。”
▼ 珍しく寒さがゆるんだ夕暮れ時、
家内を誘って散歩に出た。
冬至が過ぎ、若干だが、陽が長くなってきた。
それでも、冬の夕映えはあっという間に過ぎてしまう。
純白の雲が、薄い桃色に染まり、
やがて濃い色に変わる様を楽しみながら、その日は、
いつもの散歩より、少しだけ足を伸ばしてみた。
次第に小高くなる農道を進んだ。
夏のその道に比べ、イタドリなどでおおわれ、
隠れていた周りの景色が解放されている。
冬ならではの伊達の全景が見えた。
時々、ふり返りながら、雪化粧した街に目をやり、
畑の農道を行く。
すると、『クワッ-、クワッ-』
時折、冬に聞くオオハクチョウの声がした。
すぐそこ、強い風で雪が舞い散り、土が顔を出した畑に、
40羽はいるだろうか。
動きを止めることなく、落ち穂をついばんでいた。
突然、その中の5羽が、助走をつけ、
私の頭上を飛び立っていった。
ねぐらにしている長流川の河口に帰るのだろうか。
そして、また3羽、私の頭上を行く。
『クワッ-、クワッ-』の声も、
翼を大きく広ろげ飛翔する姿も、間近で雄大、鮮明だ。
さて、ここから先、私の驚きを、笑わないでほしい。
雀が空を舞う。鳩が羽ばたく。カラスやカモメが飛ぶ。
そこまでの大きさの鳥が、上空を行き交うのに、
何の不思議さも感じない。
それは、極めて普通のことである。
しかし、私などが抱えきれない、あの大きな体が、
空を飛ぶのだ。
その重量感と力強さを、手の届きそうな間近で目撃し、
私は、初めての不思議さと神秘さを強くした。
「あんなに大きいのに、飛ぶ・・・。」
「すごいなあ。あんなに大きいのに・・・。」
くり返しくり返し、家内につぶやき続け、空を見上げた。
飛び立ったオオハクチョウは、一度噴火湾の方へ向かい、
それから方向を変え、次第に小さくなった。
やがて、夕焼けがわずかに残った大空に消えた。
私たちも、冷え込んできた帰り道を、
つい急ぎ足に。
その道々、私はまだ呟いていた。
「あんなに大きいのに・・。」
「大きくても、飛べるなんて・・?!」
私は、納得ができないまま、
それを受け入れようと、懸命になっていた。
▼ 一般道を、車で小1時間程の所に、虎杖浜がある。
その前浜は、太平洋の大海原で、漁場としてもいい所らしい。
そこで水揚げされた鱈を加工した『タラコ』を、
私は、勝手に高く評価している。
よく贈答品にさせてもらう。
これが、また評判がいい。
その海辺に小高い丘がある。
そこに、若干高級感のある温泉宿があった。
思い切って、そこでの一泊を張り込んだのは、
一昨年の1月のことだ。
ホームページにあったこんな案内フレーズが、
気に入った。
『日々の喧騒を忘れ、ただ海を眺めているだけで、
まるで心が洗われるよう。
眼前に広がる海の癒やしの力には、何もしないというより、
何もできなくなるといったほうが、よいかも知れない。』
この宿には、いくつかの主張があった。
温泉、部屋、料理はもちろんだ。
それに加え、大型犬の『モコ』が、
出迎えのロビーでゆったりと待ち構えている。
突然、特別な空気感に、一瞬にして招かれた。
そんな気にさせられる。
さらに、もう1つ紹介する。
どの部屋も大きな窓の先は、冬の海と空の水平線だけ。
そして、眼下は、小さな波が打ち寄せる雪色の浜辺。
そこに、数10羽の水鳥が浮かんでいる。
その上、この宿は、「ゆったりとくつろいだ時間を」と、
あえて各部屋にテレビを設置していない。
さて、源泉掛け流しの温泉も、
旬の食材を生かした料理もいい。
その後、就寝前の一時がくる。
真っ暗な海に向かって椅子が並ぶ、
ラウンジへ行ってみた。
そこに置かれた土鍋のホットワインを、
少しだけグラスにそそぎ、
ガラス越しの海に向かって、腰掛ける。
近くの漁港から、漁り火を灯した船が、
沖に向かって進んで行った。
「この時期は、助宗鱈の最盛期です。」
宿の方が教えてくれた。
すると、また一艘、
1月の夜を、漁り火が沖へと向かった。
しばらくすると、再び一艘の灯りが・・・。
真っ暗闇と小さな灯りの共演に、
時を忘れ、目が奪われた。
そして、温泉と少しのワインの温もりにつつまれ、
寝入った深夜、急に目がさめた。
カーテンを開け放しておいた広い窓の、闇の先の先、
そこには、数えきれない小さな漁り火が、一直線に並んでいた。
きっと沖合いは、厳しい寒さだろう。
そこで真夜中の漁が、くり広げられている。
その過酷さを、一生懸命に想像した。
同じ時に、私は、暖かな部屋のベットで、
ヌクヌクと横になっている。
双眼鏡を駆使しても見えない船上に、
心が強い痛みを感じた。
しばらくは、眠りに着くことなどできなかった。
翌朝、宿の男性にそんな思いを伝えてみた。
静かに答えが返ってきた。
「どんな仕事も、みんな厳しいものです。」
少しだけ、救われた。
訳もなく、癒やされた。
急に、あの案内フレーズを思い出した。
『眼前に広がる海の癒やしの力には、
何もしないというより、
何もできなくなるというほうが、よいかも知れない。』
窓の外、風もないのに小雪が舞った。
冬の水車アヤメ川自然公園・散策路
深夜から降り続いていたようだ。
朝食を済ませた頃、雪は降り止んだ。
珍しく10センチ以上の積雪、この冬一番だ。
早速、1時間ほど、自宅前の歩道と駐車場の雪かき。
「随分、降りましたね。」
ご近所さんと挨拶代わりに、そんな言葉を交わす。
みんな、いつもより長い時間、雪と組み合う。
その内、雲の切れ間から、明るい陽が差し込んだ。
この住宅街も、一面真っ白な銀世界が、
キラキラと光り輝いた。
その眺めは、重たい鉛色の雲におおわれ、
氷点下のキーンとした寒さの毎日に、
一時とは言え、“この地で暮らすことに満足する”
そんな素敵な1枚の絵画だった。
私は、しばらくはそのまぶしさに目を細め、誓った。
“伊達に来て、5度目の冬になる。
春夏秋冬、1年を通し、この1月が大の苦手だ。
2月の方が、きっと冷え込みは厳しいのだろう。
でも、『春は近い。』と思える。
その分、まだ2月の方がいい。
1月は冬真っ只中を実感する。
そんな時、大自然からの贈り物がこのきらめきだ。
そうだ! 必ず、春が来る。
だから、もうしばらく、この冬を我慢しよう。”
▼ 珍しく寒さがゆるんだ夕暮れ時、
家内を誘って散歩に出た。
冬至が過ぎ、若干だが、陽が長くなってきた。
それでも、冬の夕映えはあっという間に過ぎてしまう。
純白の雲が、薄い桃色に染まり、
やがて濃い色に変わる様を楽しみながら、その日は、
いつもの散歩より、少しだけ足を伸ばしてみた。
次第に小高くなる農道を進んだ。
夏のその道に比べ、イタドリなどでおおわれ、
隠れていた周りの景色が解放されている。
冬ならではの伊達の全景が見えた。
時々、ふり返りながら、雪化粧した街に目をやり、
畑の農道を行く。
すると、『クワッ-、クワッ-』
時折、冬に聞くオオハクチョウの声がした。
すぐそこ、強い風で雪が舞い散り、土が顔を出した畑に、
40羽はいるだろうか。
動きを止めることなく、落ち穂をついばんでいた。
突然、その中の5羽が、助走をつけ、
私の頭上を飛び立っていった。
ねぐらにしている長流川の河口に帰るのだろうか。
そして、また3羽、私の頭上を行く。
『クワッ-、クワッ-』の声も、
翼を大きく広ろげ飛翔する姿も、間近で雄大、鮮明だ。
さて、ここから先、私の驚きを、笑わないでほしい。
雀が空を舞う。鳩が羽ばたく。カラスやカモメが飛ぶ。
そこまでの大きさの鳥が、上空を行き交うのに、
何の不思議さも感じない。
それは、極めて普通のことである。
しかし、私などが抱えきれない、あの大きな体が、
空を飛ぶのだ。
その重量感と力強さを、手の届きそうな間近で目撃し、
私は、初めての不思議さと神秘さを強くした。
「あんなに大きいのに、飛ぶ・・・。」
「すごいなあ。あんなに大きいのに・・・。」
くり返しくり返し、家内につぶやき続け、空を見上げた。
飛び立ったオオハクチョウは、一度噴火湾の方へ向かい、
それから方向を変え、次第に小さくなった。
やがて、夕焼けがわずかに残った大空に消えた。
私たちも、冷え込んできた帰り道を、
つい急ぎ足に。
その道々、私はまだ呟いていた。
「あんなに大きいのに・・。」
「大きくても、飛べるなんて・・?!」
私は、納得ができないまま、
それを受け入れようと、懸命になっていた。
▼ 一般道を、車で小1時間程の所に、虎杖浜がある。
その前浜は、太平洋の大海原で、漁場としてもいい所らしい。
そこで水揚げされた鱈を加工した『タラコ』を、
私は、勝手に高く評価している。
よく贈答品にさせてもらう。
これが、また評判がいい。
その海辺に小高い丘がある。
そこに、若干高級感のある温泉宿があった。
思い切って、そこでの一泊を張り込んだのは、
一昨年の1月のことだ。
ホームページにあったこんな案内フレーズが、
気に入った。
『日々の喧騒を忘れ、ただ海を眺めているだけで、
まるで心が洗われるよう。
眼前に広がる海の癒やしの力には、何もしないというより、
何もできなくなるといったほうが、よいかも知れない。』
この宿には、いくつかの主張があった。
温泉、部屋、料理はもちろんだ。
それに加え、大型犬の『モコ』が、
出迎えのロビーでゆったりと待ち構えている。
突然、特別な空気感に、一瞬にして招かれた。
そんな気にさせられる。
さらに、もう1つ紹介する。
どの部屋も大きな窓の先は、冬の海と空の水平線だけ。
そして、眼下は、小さな波が打ち寄せる雪色の浜辺。
そこに、数10羽の水鳥が浮かんでいる。
その上、この宿は、「ゆったりとくつろいだ時間を」と、
あえて各部屋にテレビを設置していない。
さて、源泉掛け流しの温泉も、
旬の食材を生かした料理もいい。
その後、就寝前の一時がくる。
真っ暗な海に向かって椅子が並ぶ、
ラウンジへ行ってみた。
そこに置かれた土鍋のホットワインを、
少しだけグラスにそそぎ、
ガラス越しの海に向かって、腰掛ける。
近くの漁港から、漁り火を灯した船が、
沖に向かって進んで行った。
「この時期は、助宗鱈の最盛期です。」
宿の方が教えてくれた。
すると、また一艘、
1月の夜を、漁り火が沖へと向かった。
しばらくすると、再び一艘の灯りが・・・。
真っ暗闇と小さな灯りの共演に、
時を忘れ、目が奪われた。
そして、温泉と少しのワインの温もりにつつまれ、
寝入った深夜、急に目がさめた。
カーテンを開け放しておいた広い窓の、闇の先の先、
そこには、数えきれない小さな漁り火が、一直線に並んでいた。
きっと沖合いは、厳しい寒さだろう。
そこで真夜中の漁が、くり広げられている。
その過酷さを、一生懸命に想像した。
同じ時に、私は、暖かな部屋のベットで、
ヌクヌクと横になっている。
双眼鏡を駆使しても見えない船上に、
心が強い痛みを感じた。
しばらくは、眠りに着くことなどできなかった。
翌朝、宿の男性にそんな思いを伝えてみた。
静かに答えが返ってきた。
「どんな仕事も、みんな厳しいものです。」
少しだけ、救われた。
訳もなく、癒やされた。
急に、あの案内フレーズを思い出した。
『眼前に広がる海の癒やしの力には、
何もしないというより、
何もできなくなるというほうが、よいかも知れない。』
窓の外、風もないのに小雪が舞った。
冬の水車アヤメ川自然公園・散策路
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