宇野勝選手のカード、4回目はタカラプロ野球カードゲームのカードです。タカラプロ野球カードは昭和53年度(1978年度)が最初の発行でした。
宇野勝選手は入団3年目の昭和54年度(1979年度)からカード化されています。
昭和54年度(1979年度)

このカードが宇野勝選手の最初のカードだと思います。昭和54年はレギュラーに定着した年で、122試合に出場し、ホームランは12本、打率は2割6分5厘でした。
昭和55年以降は毎年カード化されています。
昭和55年度(1980年度)

昭和56年度(1981年度)

昭和57年度(1982年度)

昭和58年度(1983年度)

昭和59年度(1984年度)

昭和59年には少し小柄で厚紙の「わんぱく野球カード」が発売されています。箱の裏には「このゲームをマスターしたら次は球団別選手カード(別売600円)で本格的なベースボールゲームをしよう。」と記されています。
タイトルも「わんぱく野球カード」と、子ども向けに発売されたようです。
わんぱく野球カード

昭和60年度(1985年度)

昭和61年度(1986年度)

昭和62年度(1987年度)

昭和63年度からはカードの年号表記が西暦になっています。
1988年度

1989年度

1990年度

1991年度

1992年度

平成5年(1993年)、千葉ロッテマリーンズにトレードになり、1993年度からはロッテマリーンズのカードになりました。
1993年度

平成6年(1994年)で現役を引退し、タカラプロ野球カードも1994年度が最後の年になりました。
1994年度

他のトレーディングカードと比べると、カードゲームのカードであり、上半身の写真だけのカードが中心でした。後半はプレー中の写真も使われるようになりましたが、トレーディングカードしては面白味に欠ける側面もあったかも知れません。
しかし、今になって見直すと、球団別に30人をカード化したことから、新人やマイナーな選手もカード化されており、貴重な記録となっています。
宇野勝選手は入団3年目の昭和54年度(1979年度)からカード化されています。
昭和54年度(1979年度)

このカードが宇野勝選手の最初のカードだと思います。昭和54年はレギュラーに定着した年で、122試合に出場し、ホームランは12本、打率は2割6分5厘でした。
昭和55年以降は毎年カード化されています。
昭和55年度(1980年度)

昭和56年度(1981年度)

昭和57年度(1982年度)

昭和58年度(1983年度)

昭和59年度(1984年度)

昭和59年には少し小柄で厚紙の「わんぱく野球カード」が発売されています。箱の裏には「このゲームをマスターしたら次は球団別選手カード(別売600円)で本格的なベースボールゲームをしよう。」と記されています。
タイトルも「わんぱく野球カード」と、子ども向けに発売されたようです。
わんぱく野球カード

昭和60年度(1985年度)

昭和61年度(1986年度)

昭和62年度(1987年度)

昭和63年度からはカードの年号表記が西暦になっています。
1988年度

1989年度

1990年度

1991年度

1992年度

平成5年(1993年)、千葉ロッテマリーンズにトレードになり、1993年度からはロッテマリーンズのカードになりました。
1993年度

平成6年(1994年)で現役を引退し、タカラプロ野球カードも1994年度が最後の年になりました。
1994年度

他のトレーディングカードと比べると、カードゲームのカードであり、上半身の写真だけのカードが中心でした。後半はプレー中の写真も使われるようになりましたが、トレーディングカードしては面白味に欠ける側面もあったかも知れません。
しかし、今になって見直すと、球団別に30人をカード化したことから、新人やマイナーな選手もカード化されており、貴重な記録となっています。
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