ばくのメモ帳

『ばくのお宿』管理人の西みつのり、略して西みつのメモ帳です。ホームページに書き切れない雑多な情報を綴ります。

高階良子『デスハウス-死の家-』新発売

2013年10月28日 | 高階良子
高階良子先生のコミックス『デスハウス-死の家-』が発売になりました。10月16日、『高階良子選集18』と同日発売だったのですが、近所の書店になかったため、入手が遅くなってしまいました。


秋田書店ボニータCOMICS 平成25年10月30日 初版発行

コミックスカバー折り返しの言葉は「え・え・? もうコミックス化?このあいだ描き上げたばかりなのに 早-!って なんとなく今回は大あわて!」

確かに『ミステリーボニータ』8月号、9月号に掲載されたばかりなので、記憶にも新しいですね。

「はるかなるレムリアより」の初出確認のため昭和50年の『なかよし』を探してみたのですが、所定の場所には1月号と3月号しかありませんでした。どこに入れたかわからないので、調べるのは難しくなりました。

新連載の1月号を見ると、「幻想冒険ロマン」とあり「少女まんが界の常識をうちやぶりユニークな発想,雄大なスケールでおおくりする自信の新連載!」と記されています。この号のカラーのとびらページがコミックスの表紙に使われています。

1月号では特に減らされたページもなく、広告部分も新たに描き足されています。3月号も同様です。2月号のページ数が違いすぎているので、もしかしたら私のホームページが間違っている可能性もあります。今度国会図書館に行った時にでも確かめてみます。

それにしても、必要な本が見つからないようでは仕方がありません。本を処分しないとどうしようもないのはわかっているのですが、売ってもいくらにもならないでしょうし、せっかく集めた本を処分する決心がつきません。

古い貸家に入れてあるので、床も抜けそうだし(一部抜けているところもあり、本箱が傾いている)、台風の時は屋根が飛ばされるのが心配です。何とかしなくてはと思ってはいるのですが・・・。

ホームページ更新しました。『高階良子選集18』や新作「白雪姫」の情報も加えて無かったので、併せてデータを載せました。

『高階良子の部屋』

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洲埼灯台訪問

2013年10月24日 | 灯台
10月8日の火曜日、朝9時過ぎに鴨川から内房線で館山へ向かいました。この日の目的は野島埼灯台です。当初は千倉駅からバスで行く計画でした。しかし、バスは白浜までしか行かず、灯台までけっこう歩くようなので、館山駅まで行き、そこからバスで野島崎灯台口まで行くことにしました。

そして、どうせ館山まで行くのだから洲埼灯台も行くことにしたわけです。バスの時間を確認して、洲埼灯台を最初にした方が良いと判断しました。午後になると洲の岬へ行くバスの本数が少なくなるのです。

館山駅に着きました。平成23年(2011年)7月、JRのパワフル×スマイルちばフリーパスで来て以来です。最初に駅前の観光案内所でバス乗り場等を確認し、15分ほど待って伊戸漁港行きバスに乗車、洲の崎灯台前で下車しました。なお、バスの表示等はすべて「崎」の字を使っています。


案内の道標にしたがって灯台へ。バスの停留所からも灯台が見えます。


「灯台と海が見える道」を通って灯台に向かいます。途中から石段になりました。


石段を登っていくと木々の間から灯台が見えてきました。


燈光会設置の洲埼灯台の案内板です。こちらは「埼」の字ですね。

「洲埼灯台は、東京湾入り口の東端を示す標識で、大正8年12月15日に設置点灯されました。」とのこと。高さは地上~頂部 14.8メートル、水面~灯火 48.1メートルです。


入口から見た灯台。


敷地が広がっています。ここがAKB48が「会いたかった」を歌った場所ですね。



洲埼灯台



景色は最高です。東側、館山湾が広がります。


東京湾に続いています。


「富士山方面」とのことですが、この日は富士山は見えませんでした。見えることもあるのでしょうか。


「大島方面」の景観説明板と洲埼灯台。


再びバスに乗り、館山駅まで戻って来ました。観光案内所へ行って洲埼灯台のグッズを探してみました。残念ながら灯台の絵はがきはありませんでした。

唯一有ったのが「南総里見八犬伝 史跡めぐり」のスタンプです。台紙を10円で購入し、全部のスタンプを押しました。


こちらが洲の崎灯台のスタンプです。



洲崎灯台で検索すると、AKB48の「会いたかった」や乃木坂46の「会いたかったかもしれない」のプロモーションビデオが出てきます。YouTubeで見ました。灯台がよく映っていますね。

しかし、私にとっては何と言っても西島三重子さんの「少年の日の海~洲の崎へ」です


「かもめよりも遠くへ/少年の日の海~洲の崎へ」1991.11.13 東芝EMI

「かもめよりも遠くへ」作詞:弥勒 作曲:西島三重子 編曲:中村暢之
「少年の日の海~洲の崎へ」作詞:藤公之介 作曲:西島三重子 編曲:中村暢之

「かもめよりも遠くへ」は弥勒さんと組んだ最初の曲で、NHK新ラジオ歌謡の曲です。弥勒さんのホームページ『みろくじちゅう』で歌詞とメロディーを聴くことができます。

みろくじちゅう~作品:西島三重子

「少年の日の海~洲の崎へ」は全国の岬をテーマにした曲の一つとして作られた曲です。(資料が出てきません。見つかったらデータを加えます。)

CDは音蔵シリーズで出た『寝物語』にアルバム『寝物語』『冬なぎ』とともに収録されています。


『寝物語』1994.11.30 東芝EMI

東芝EMIのアルバムはamazon等でダウンロードして購入することができます。1曲250円です。曲の一部を試聴することもできます。

「少年の日の海」はロス・インディオスのカバーがあります。


『ロス・インディオス40周年記念盤』 2002.12.4

この時のヴォーカルは坂田真由美さんでした。

45周年記念盤にも「少年の日の海」が収録されています。


『45周年ベスト・アルバム』 2008.2.20

ヴォーカルはアリシアさんです。


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野島埼灯台訪問

2013年10月20日 | 灯台
10月8日(火)野島埼灯台に行って来ました。前日鴨川に宿泊したので、この日はまず館山の洲崎灯台に行き、館山からバスで白浜に向かいました。バスを降りて少し歩くと野島埼灯台が見えてきました。



一帯は白浜野島崎公園になっています。


千葉県に住んでいても、野島埼灯台に来るのは初めてです。「灯台入口」の小道から灯台に向かいます。




野島埼灯台は「のぼれる灯台15基」のうちの一つで、燈光会により管理されています。入口の野島埼灯台概要の説明版です。明治2年12月18日の竣工で、日本の洋式灯台としては、観音埼灯台に次いで2番目の灯台でした。


灯台に近づいて撮影。



参観寄付金は200円です。パンフレットをいただきました。


灯台見学記念券です。



灯台の「高さ」は海上保安庁発行の『灯台表』では「灯高」と「高さ」で表示されています。「灯高」は平均水面から灯火までの高さ、「高さ」は地上から塔頂までの塔の高さを示しています。

野島埼灯台の「灯高」は38m、「高さ」は29mです。見学記念券裏面には「地上から灯火まで 26メートル」の表示もあります。犬吠埼灯台の見学記念券も同様なので、燈光会として統一していると考えられます。

この3つの数字を使うと、海面から地上まで12メートル、灯火から塔頂まで3メートルであることもわかります。

なお、灯台については、ガウスさんのホームページの中の『岬と灯台めぐり』~「灯台用語集」がとてもわかりやすいです。「灯高」は「標高」、「高さ」は「灯塔高」とも言うようです。こちらの方がわかりやすいですね。

岬と灯台めぐり

「タワーの高さ」のとらえ方がバラバラであることを考えると、基準が明確なのは良いことですね。

記念品として見学記念のストラップ2種と野島埼灯台フォトカードを購入しました。フォトカードは5枚入りです。





記念スタンプは2種類ありました。



灯台に向かう敷地内や灯台の入口にも珍しい展示物がありました。




明治2年の初点灯時のプレートやフランス語のプレート。説明があり、わかりやすいです。





せっかくの「のぼれる灯台」なので、登ってみました。階段の幅は広くて登りやすいです。犬吠埼灯台はぎりぎりすれ違えるだけの幅しかありません。


最後は急階段です。これが2つ続いていました。


ひざががくがくになりましたが、なんとか登れました。灯台からの眺めは最高です。




続いて、案内所に併設された資料展示室「きらりん館」に行って来ました。入ってすぐの所にヴェルニーの胸像がありました。




かつて福岡県の烏帽子島灯台で使用されていた第二等フレネル式不動レンズ。



灯台の周りの遊歩道から灯台を撮影しようと思ったのですが、膝が痛くなってきたので帰ることにしました。灯台入口の観光案内所によってみると、きらりん館のパンフレットがありました。灯台には置いてなかったのでうれしかったです。


帰りはJR千倉駅に行くので、白浜のバス停まで20分ほど歩きました。膝が痛かったので休み休み行きましたが、タクシーを使うべきだったと後悔しました。

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『高階良子選集』第18集新発売

2013年10月16日 | 高階良子
10月16日(水)、高階良子先生の『高階良子選集』第18集 [ドリーム・ドーム]が発売になりました。収録は表題作のほか「はるかなるレムリアより」1作です。


ボニータ・コミックスα 平成25年10月30日 初版発行

カバー折り返しのことばです。

「ドリーム・ドームは80ページの読みきりでしたが/ページにゆとりが無くて、大ゴマを取りたくても/あまり取れなかった作品。/そこで今回は心おきなく、大ゴマを取ることが出来ました。」

「ドリーム・ドーム」の初出は『ミステリーボニータ』平成元年2月号で、オリジナルのコミックス収録は『悪魔たちのパラダイス 2』でした。


ボニータ・コミックス 平成元年5月5日初版発行

前出の先生の言葉にもあるように、オリジナル作品が80ページなのに対して、選集では90ページ、10ページの描き足しがありました。

「はるかなるレムリアより」は、『なかよし』に昭和50年1月号から5月号まで連載された、先生の代表作の一つです。コミックス収録は昭和50年8月でした。


『はるかなるレムリアより』 講談社コミックスなかよし 昭和50年8月1日 第1刷発行 

講談社漫画文庫『はるかなるレムリアより 高階良子傑作選2』で文庫化されています。


平成11年6月11日 第1刷発行

この文庫版の「カバー折り返しのことば」が興味深いので紹介します。

「これは当時としては、とても変わった話だったようで、読者からすぐには受け入れられなかったようです。連載1回目の人気アンケートは最低-。でも3回目あたりからすごい反響で、後にも先にもあれほどすごい量のファンレターをいただいたことはありません。でも、最初の不人気が災いして、連載5回で打ち切りになったという、悲しくもドラマチックな一作です。」

恒例の「あとがきのかわりの雑談」の前に「なにはともあれ/とりあえず/あとがき・・・!」1ページが掲載されています。今回「はるかなるレムリアより」にも加筆がありました!(「カバー折り返しのことば」が随分あっさりしていると思っていたらこういうことでしたか。)

選集版のページ数は198ページ、オリジナルコミックス及び文庫版は189ページなので、9ページの加筆がされています。

なお、『なかよし』の掲載ページの合計は209ページになると思います。雑誌は持っているので、後で照合してみます。当然毎号のとびらページ(タイトルページ)はコミックス収録時に省かれていますので、その他の部分を確認してみます。

巻末の「あとがきのかわりの雑談」は「私の失敗談その2」歯医者編2ページです。

本日ボニータコミックス『デスハウス-死の家-』が同時発売になっています。しかし、近所の書店には「品切れ」ということで、置いてありませんでした。こちらは後日入手後にブログに載せたいと思います。

ホームページ『高階良子の部屋』の更新も、これに併せて行います。

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篠塚和典選手のトレーディングカード 2

2013年10月12日 | 銚子出身プロ野球選手
篠塚選手のトレーディングカード、2回目はカルビープロ野球カード、タカラプロ野球カードゲーム、その他のカードについてです。

カルビープロ野球カードもたくさんの種類が出ています。持っていないカードも多いのですが、この小型のカードはあまり積極的に集めたいとは思いません。

1982年の初登場のカルビーカードです。このカードが「ルーキーカード」(初めてカード化されたカード)とされているようです。

  

篠塚選手は1980年には115試合に出場し、1981年には打率3割5分7厘をマークしています。カード化が少し遅かったように思います。

各年に発行されたカルビーカードを1種類ずつ選んでみました。

このカードには発行年が記載されていません。稲尾和久さんの解説があることから1983年の発行と思います。

  

1984年、首位打者記念のカードです。

  

1985年発行のカードには、裏面に似顔絵コンテスト優秀作品が掲載されているカードもあります。篠塚選手も数種類のイラストカードがあります。

  

1986年発行のカードです。

  

1987年発行のカード。1987年(昭和62年)には2度目の首位打者になっています。




1988年発行のカードです。

  

1989年発行のカードです。




1990年発行のカード、この年が篠塚選手のカルビーカード最後となったようです。

  

次にタカラ野球カードゲームの篠塚選手です。昭和53年(1978年)、背番号37時代の篠塚選手です。タカラ野球カードゲームはこの年が最初の発行で、篠塚選手は入団3年目になります。


カードゲームのカードは、ルーキーカードとは認められていないようですね。

タカラカードゲームの篠塚選手のカードは、これ以降現役引退の1994年まで毎年発行されています。昭和54年(1979年)のカードです。背番号は6になっています。


昭和59年(1984年)だけ発行されたわんぱく野球カードです。厚紙でメンコタイプです。なお、「メンコ」は私が子どもの頃は「メッケ」と言っていました。


1994年、現役引退の年のカードです。



その他のカードです。駄菓子屋カードなどもありました。

最初は駄菓子屋カードで、「山勝プロ野球カード」です。発行年度は記されていませんが、昭和54年(1979年)の成績が記載されているので、1980年の発行と推定しています。3種類持っています。




次は「アマダGIANTSコレクションカード」です。 アマダはドラゴンボールPPカードや仮面ライダーのカードを出していたメーカーのようです。これも駄菓子屋で購入したカードですね。もちろん私はこんなカードはまったく知らず、オークション等で購入しました。



「アマダ感温カード」といい、裏の黒い部分を指でこすって温めると、「センター前ヒット」とか「ショートフライ」などの文字が見えるようになります。


私が持っているのは黄緑の枠3枚、青の枠1枚です。これも発行年は記載されていないのですが、1986年の打率が載っていることから、1987年と推定しています。

駄菓子屋で引くカードくじの袋もありました。これを見ると、ちゃんと「読売ジャイアンツ」と入っており、海賊版ではないんですね。




アマダは天田印刷加工株式会社で、昭和31年に天田玩具製作所から改称、現在もAKB48のトレーディングカードなどを発売しています。

1989年発行の「マーメイドデータカード」です。このカードも発行年の記載はなく、「14年目」からの推定です。これはお菓子のおまけカードでしょうか。



今回いろいろと調べてみたのですが、(株)マーメイドは愛知県豊橋市の会社で、「アイスクリーム、チルドデザート、菓子、飲料の四部門を持つ、中部ではユニークなメーカー」(日本食糧新聞)とのこと。

ロッテベースボールカード1990年の篠塚選手です。ロッテガムのおまけカードです。



プロ野球公認カードの「Qカード」です。プラスチック製のカードでした。石毛宏典選手と宇野勝選手ののカードは持っていますが、篠塚選手は持っていません。こちらはオールスター版で紙製です。



TOMY/IDカードです。1993年の発行で2種類があります。




その他のカードも最近賑やかになってきました。新たなオンラインやアーケード型のカードゲーム登場です。私はゲームをするつもりはなく、篠塚選手の野球カードとして購入しています。

バンダイ プロ野球オーナーズリーグのレジェンドカードです。「天才の流儀」


コナミ ベースボールヒーローズ2011のノスタルジーカードです。「華麗なる安打製造機」



そして、なにより日本プロ野球OBクラブからオフィシャルカードセットの発売が相次いでおり、BBMと並ぶコレクションになっています。直筆サインカードもたくさん封入されているため、安く買えるのはありがたいです。

オフィシャルトレーディングカード1987年(昭和62年)編、レギュラーカードです。



トピックス「セ・リーグ初の同率首位打者」。裏面の説明文がエラーのカードでした。打率「.333」が「.313」になっています。



レギュラーカードのプロモーションカード。裏面は同じですが、カードナンバーが「01」ではなく「PR01」になっています。


レギュラーパラレルミニカードです。


裏面が青文字の通常版に加えて、色違い金色バージョンがありました。


「猛打者列伝」のレギュラーカード。


直筆サイン入りカード。篠塚選手のサイン入りカードで唯一持っているカードです。



「ヒストリー・オブ・ベスト・ナイン」2012年度末の発行。発売はエポック社からです。



最後に、つい先日、8月30日~9月1日、東京ドームで開催された中日ドラゴンズ戦で、無料配付された篠塚選手のカードです。




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