ばくのメモ帳

『ばくのお宿』管理人の西みつのり、略して西みつのメモ帳です。ホームページに書き切れない雑多な情報を綴ります。

篠塚和典選手のトレーディングカード 1

2013年09月30日 | 銚子出身プロ野球選手
続いて篠塚和典選手のトレーディングカードです。テレホンカードと比較すると最近の発行が多いので、こちらは「篠塚和典」で統一しました。篠塚選手のトレーディングカードもたくさん発行されているので、全体はホームページに載せる事にして、主なカードを2回に分けて紹介します。

最初に、基本となるベースボールマガジン社発行のBBMカードです。BBMの野球カードが発行されたのは1991年(平成3年)でした。篠塚選手は当然レギュラーカードに入っています。



もう1種類、同じ年のオールスター、ファン投票選出のカードにも入っています。



3年後の1994年(平成6年)、引退の年のレギュラーカードです。



同年の日本シリーズカード。現役としては最後のカードだと思います。



1995年(平成7年)から巨人軍のコーチになりました。現役を引退すると、BBMの基本のカードセットには入らなくなります。球団ごとにカードをまとめたチームセットにはコーチも入ることがあります。

1997年(平成9年)の「ジャイアンツトラディション」です。背番号は81、この年は打撃コーチでした。



BBMカードも歴史を重ね、現役選手だけではなく、かつての名選手をカード化する事も多くなりました。1999年(平成11年)、長嶋監督の「リミテッド Mr.GIANTS」に登場しました。



ドラフト1位、まだ若々しい篠塚選手です。

篠塚和典選手は、チームエディション、メモリアルカードとも、多くのカードがありますので、ここでは適当にピックアップして紹介します。

BBM2000センチュリー・ベストナインのカードです。このシリーズは各選手4枚のカードが含まれていました。篠塚選手のほかに石毛宏典選手、宇野勝選手も4種類のカードが発行されました。4枚のうち一番カード番号の若いカードです。



続いてBBM2003、Legend Slugger のカードです。バットを振り切った、このフォロースルーのフォームをデザインしたカードが多いですね。私も一番美しいと思います。



2004年(平成16年)7月4日、BBMカードショーの記念カードです。BBM刻印付きのカードに直筆サインのサービスもありました。




このカードショーはBBM2004/2ndバージョンの発行にあわせたもので、レジェンドプレーヤーとして篠塚選手もカード化されています。



このカードセットには篠塚選手の直筆サインカードも封入されました。しかし、3万円近い値段が付いていたため私は持っていません。篠塚選手の直筆サインカードはかなり高価なので、BBMカードの直筆サインは一枚もありません。

BBM2006、読売ジャイアンツ「監督・コーチの現役時代」のカードです。



同チームセットから「栄光の記録 通算278二塁打」です。



記録数の278枚だけ製作された限定カードのパラレル版、これは43番目です。


『ベースボールマガジン』2007年9月号「伝説の職人プレーヤー」の付録カード。



BBM20周年記念カードの、読売ジャイアンツ篠塚和典コーチです。現役コーチとしての最後のカードになりました。



カードの裏面は1991年(平成3年)のBBM野球カードと同じデザインですね。

2012年(平成24年)12月発売の、BBM2013『ジャイアンツレジェンド』の篠塚和典選手です。このチームセットには石毛博史投手も含まれていました。



このカードセットで、もう一枚篠塚選手を発見しました。「THE GREAT SCENES」の「長嶋監督、V2達成の胴上げ」の輪の中に篠塚選手がいました。ユニフォーム背中にSHINOZUKAの文字が見えます。



1977.09.23 at KORAKUEN STADIUM です。1977年(昭和52年)というと篠塚選手は入団2年目です。入団の年には一軍での出場はなく、1977年は18試合に出場しています。優勝を決めた時は一軍で、長嶋監督の胴上げに参加できたのですね。

最後に、今年7月発行のカードです。BBM2013『オールスター伝説』[80's ALL STAR]です。



裏面の解説によると1982年(昭和57年)のファン選出でオールスター初出場、最優秀賞に輝きました。1991年(平成3年)までに9回出場し、オールスターの通算打率は3割2分7厘でした。

次回に続きます。
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『月への階段』と『きんめだいまつり』

2013年09月27日 | 銚子
9月22日(日)は、御殿場市秩父宮記念公園の西島三重子さんのライブに行く予定だったのですが、地元に用事ができてしまったので行けませんでした。

銚子市内にいる事になったので、土曜日の夜と日曜日の午前中に地元のイベントに参加しました。まず、21日、土曜日の夜に君ヶ浜しおさい公園で開催された『月への階段 鑑賞会』です。

午後6時20分頃、君ヶ浜の駐車場に着きました。夜なのに車でいっぱいです。銚子市観光アテンダントブログによると、約600人が集まったとのこと。君ヶ浜海岸の石段も家族連れなどで満員でした。

すき間を見つけて石段に腰かけ海を見ると、月はまったく見えません。まっ暗な海からは打ち寄せる波の音だけが聞こえてきます。水平線のあたりは相当厚い雲が出ているようです。

代わりに犬吠埼灯台はきれいな光を海面に反射していました。


今日はダメかとあきらめかけた頃、6時50分頃でしょうか、雲が切れてオレンジ色の月が姿を見せてくれました。


喜んだのも束の間、月は再び厚い雲の中へ。これでもうダメだろうなと感じました。あきらめて帰った方も多いようですね。

犬吠埼灯台の光を見ていると飽きないし、波の音も心地よいので、私はしばらくそのまま座っていました。7時20分頃、再び月が姿を見せました。今度ははっきりと海面への月明かりの反射も見る事ができました。


私のカメラではうまく撮る事ができませんでしたが、肉眼ではもっと鮮やかに見る事ができました。

YouTubeにこの日の動画がアップされていました。

月への階段 銚子 Stairway to moon Choshi

月の出から相当時間が経っているので、月も高く昇っており、「月への階段」というのは少し無理があるかなと感じました。

水平線に雲一つない夜に満月が姿を現した時、美しい「月への階段」が見られるのでしょう。そうすると、美しい初日の出を見るのと同じくらい難しいのかも知れません。またチャレンジしてみたいですね。

この後、犬吠埼灯台に行って夜の灯台を撮ってきました。



翌22日の日曜日は第19回きんめだいまつりが開催されました。きんめだいまつりのチラシです。


10時過ぎに会場に着きました。駐車場はすでに車でいっぱいです。「歓迎」のゲートをくぐって会場へ。



あちこちに長い行列ができていました。



とりあえずステージ前へ。ご当地アイドル「銚子元気娘。」が歌っていました。




10時30分、「かあちゃん食堂」に入り、きんめ天丼定食を注文、500円です。



まだ時間が早いので、並んでいる人はいませんが、中の席はほぼ埋まっていました。入口と中で、「とうちゃん?」達が席の案内をしています。大きな声でまるでケンカしているような剣幕です。市外から来た人は驚くでしょうね。

天丼は銚子の濃く甘い味付けで、好きな味でした。(血圧には良くない?)。あら汁も付いており、こちらは「かあちゃん」がさしみになるようなきんめだいと言っていたように、あら汁なのに大きな切り身も入っており、最高においしかったです。

お腹もいっぱいになったので、マリーナ海水浴場へぶらぶら散歩です。「がんばろう漁業者」の幟旗が立っています。


海岸に出てみると、もう海の家は撤去されていました。10月6日(日)にはここで「第9回銚子マリーナトライアスロン大会」が開催されます。銚子マリーナは平成22年(2010年)のゆめ半島千葉国体のトライアスロン競技会の会場でした。





会場に戻ってみると、まだ11時ころなのにかあちゃん食堂の入口には長い列ができていました。早めに食べて正解でした。


もうひとつ気になっていた「きんめリゾット」、300円です。



ル・プティ・トノーのオーナーシェフ、フィリップ・バットンさんの料理です。


お腹は減っていなかったのですが、これはぜひ食べてみなければということで一つ購入、フラダンスを見ながら食べました。おいしかったです。


11時30分には会場を後にしました。次は10月12日(土)、同じ銚子マリーナで「第4回銚子サンマ祭り」開催です。



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篠塚利夫選手のテレホンカード

2013年09月23日 | 銚子出身プロ野球選手
ドリーム・ベースボール参加選手の野球カード、最後は篠塚利夫選手です。篠塚選手はトレーディングカードだけでなく、テレホンカードもたくさん発売されました。最初にテレホンカードをまとめました。オレンジカードも含んでいます。

篠塚利夫選手は昭和32年(1957年)7月16日、千葉県銚子市の生まれ。銚子一中から銚子商業に進学、昭和49年(1974年)には甲子園に春夏連続出場し、夏の甲子園大会で全国優勝を勝ち取りました

昭和50年(1975年)、ドラフト1位でジャイアンツが指名して入団、平成6年(1994年)に現役を引退しました。この間に、昭和59年(1984年)、昭和62年(1987年)に首位打者になったのをはじめ、ベストナイン5回、ゴールデンクラブ賞を4回受賞しています。

一軍での通算成績は1651試合に出場し、打率3割4厘、本塁打92本、打点628でした。なお、オールスターにも9回出場しています。

篠塚選手は「利夫」から「和典」に改名しています。BBM野球カードで見るとBBM1991と1992は利夫、BBM1993以降は和典になっています。テレホンカードの時代は「利夫」だったので、この項では篠塚利夫選手で通すことにします。

最初のテレホンカードは、「ラジオ日本ジャイアンツ・ナイター」のカードです。巨人軍の選手カードの内の一枚です。フリーナンバーから判断すると昭和61年頃発行のテレホンカードでしょうか。

 フリーデザイン <品名50<フリー110-4935>>

当時はテレホンカードの全盛期だったので、ジャイアンツからオフィシャルテレホンカードが毎年発売されていました。東京ドームの売店まで買いに行っていました。

 フリーデザイン <品名50<フリー110-8551>>

 フリーデザイン <品名50<フリー110-23210>>

 フリーデザイン <品名50<フリー110-23289>

 フリーデザイン <品名50<フリー110-43924>>

 フリーデザイン <品名50<フリー110-43929>>

 フリーデザイン <品名50<フリー110-66233>>

 フリーデザイン <品名50<フリー110-86576>>

 フリーデザイン <品名50<フリー110-106100>>

 フリーデザイン <品名50<フリー110-125593>>

 フリーデザイン <品名50<フリー110-142646>>

このカードは切り込みが2か所になっているので、平成4年(1992年)4月1日以降の発売になります。サインが篠塚和典になっているので、平成5年(1993年)か平成6年(1994年)発行のカードだと思います。引退直前のテレホンカードですね。

ここまでがフリーカードです。次はホワイト加刷カードで発売された昭和62年(1987年)の首位打者記念のテレホンカードです。

 ホワイトカード <品名50<110-011>>

次のカードは1500本安打記念のテレホンカードで、1991年7月10日 札幌・円山球場で達成されました。

 ホワイトカード <品名50<110-011>>

このカードもホワイトカードですが、ジャイアンツの公式なカードです。 

 ホワイトカード <品名50<110-011>>

次のカードも切り込みが2か所になっているので、平成4年(1992年)4月1日以降の発売のテレホンカードです。

 ホワイトカード <品名50<110-011>>

このカードはホワイトカードに写真を貼り付けたカードで、ジャイアンツ発行のカードではないと思います。

 ホワイトカード <品名50<110-011>>

現在はテレホンカードは発行されなくなっています。選手カードがどうなっているか、東京ドームのサイトを見てみました。今はインターネットでジャイアンツグッズが買えるのですね。選手カードは図書カードになって、現在も発売されていました。

「阪神大震災チャリティテレホンカード 長嶋監督が選ぶ月刊ベスト3」5月のVol.2です。5月21日(日)東京ドーム 巨人5-3中日のテレホンカードです。左側に背番号81篠塚コーチの後ろ姿が写っています。

 フリーデザイン <品名50<フリー110-168619>>

中畑清選手と懐かしいオートバックスのCMテレホンカードです。

 ホワイトカード <品名50<110-011>>

これはプライベートのテレホンカードですね。ホール・イン・ワン記念のカードです。

 ホワイトカード <品名50<110-011>>

次にオレンジカードです。1枚目は国鉄時代の千葉鉄道管理局発行の「プロ野球名選手シリーズ千葉」のカードです。第1回発売は長嶋選手で、篠塚選手は掛布選手、城之内選手に続いて4番目だったと思います。朝早くから銚子駅に並び購入した思い出のカードです。発行は昭和61年(1986年)11月でした。

 オレンジカード 国鉄 千葉 008611B7J0021

JR東日本・千葉発行のオレンジカード、「読売巨人軍シリーズ」の1枚です。発行は昭和62年(1987年)12月です。

 オレンジカード JR東日本・千葉 008712B1F0189

こちらは全く同じデザインで、JR東日本発行のオレンジカードです。

 オレンジカード JR東日本 008712B1D5221

次回は篠塚利夫(和典)選手のトレーディングカードのうち、主なものを紹介します。




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新入手の『池上線』カバー

2013年09月19日 | 西島三重子
西島三重子さんの「池上線」、新たなカバーを入手しました。




薬セイジョー「ミュージックサプリメント Vol.2/青春 songs」に収録されています。

CDは非売品で、歌っているのは「Bon Appetit(ボナペティ)」です。

CDの解説によると、ボナペティは肥田啓子、佐々原聖子、大和女幸、女性3人のコーラスグループです。

「様々な音楽ジャンルで活動してきた3人が、それぞれの特徴を活かし、料理のようにおいしく楽しんでもらえるような音楽をお届けします。」

ビクターのホームページによると、ゴスペル・J-POP・JAZZ等、様々なジャンルで活動してきた3人とのことです。

収録曲に「池上線」が含まれていることを知り、オークションに参加しました。思いがけず競争になったのですが、運良く入手する事ができました。

一番の興味は、コーラスで「池上線」を歌うとどうなるのか、ということでした。

聴いた結果は、コーラスの意外性はありませんでした。3人の内どなたかわかりませんが、メインボーカルを取っており、コーラスは控えめに入る程度でした。

これは「池上線」だけでなく、他の収録曲も同じです。ただラストの「空に星があるように」だけはアカペラのコーラスで歌われています。

CDには発売時期が記されていません、いろいろ調べている内に、メンバーの一人、大和女幸(やまとこゆき)さんのブログで関連する記事を見つけました。

2011年6月11日のブログです。

ここ1ヶ月なんのレコーディングをしていたかというと、くすりの「セイジョー」さんのお仕事で、セイジョーのポイントを貯めるとCDと交換できる!という景品のためのCDをボナペティがレコーディングしておりました。

とのことなので、発行は平成23年(2011年)のようですね。それほど昔ではありません。詳しい情報はボナペティブログで、ということなのでそちらも見てみました。

セイジョーでポイントカードを作って500ポイントでCDと交換できる!という景品です
音譜曲は皆さんのよく知ってる曲で「秋の気配」とか「オリビアを聴きながら」とか「池上線」とか「青春の影」とか。。全部で16曲です。
楽曲も優しい感じに仕上がっていて、皆さん癒されること間違い無し!!!!!
セイジョーに行った際はポイントカード作ってくださいねー♪
モバイルサイトのプレミアムメンバーズに入会すると
今なら7月末まで先着2万回までダウンロード1曲無料だそうです。

このダウンロードのページも見たのですが、平成25年(2013年)4月より株式会社セイジョー等6社が合併し、(株)ココカラファイン ヘルスケアになったとのページに変わっていました。

ココカラファイン ヘルスケアのサイトには、このCDに関する情報は全くありませんでした。現在はもう入手は不可能なのでしょうか。

なお、ボナペティのブログでは「16曲」と言っています。このCD収録は8曲なので、ウェブ上で探してみました。

「ミュージックサプリメント」のVol.1は「恋愛 songs」ということで、次の8曲が収録されています。

「誰より好きなのに」「ZUTTO」「オリビアを聴きながら」「あの日にかえりたい」「雨」「ひだまりの詩」「ロビンソン」「Best Friend」

CDジャケットには歌手の名前は載っていませんが、「オリビアを聴きながら」が入っているので、これも歌っているのはボナペティだと思います。機会があったら入手して聴いてみたいですね。

ホームページの「池上線コレクション」のページにボナペティの「池上線」も加えました。

水色の季節の風


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銚子利夫選手のトレーディングカード

2013年09月15日 | 銚子出身プロ野球選手
9月1日、ドリーム・ベースボールには銚子出身の選手3人が参加しました。篠塚和典選手、銚子利夫選手、澤井良輔選手です。

野球カードの2回目は銚子利夫選手です。

銚子利夫選手は昭和36年(1961年)8月24日、茨城県鹿島郡波崎町(現神栖市)の生まれです。波崎三中から市立銚子高校を経て法政大学に進学、昭和58年(1983年)、ドラフト1位で大洋ホエールズに入団しました。

市立銚子高時代には昭和54年(1979年)夏の甲子園に出場しています。当時はピッチャーで、市立銚子高は初めての甲子園出場でした。甲子園ではホームランを打ちましたが、打球を顔面に受けて途中退場しています。

大洋ホエールズでは昭和63年(1988年)に125試合、平成元年(1989年)に114試合に出場、平成元年の打率も2割8分1厘を記録し、レギュラーの座をつかんだかに見えました。しかし、翌年から出場機会が減り、平成4年(1992年)には広島カープに移籍、平成5年(1993年)に引退をしました。

一軍での成績は433試合に出場し、通算打率は2割5分6厘、ホームランは3本でした。引退後は平成18年(2006年)まで横浜ベイスターズの2軍、湘南シーレックスでコーチを務めました。

銚子利夫選手のテレホンカードです。



BBM、ベースボールマガジン社のトレーディングカードの発売は平成3年(1991年)が最初です。この年は大洋でカード化されています。

平成4年(1992年)と5年(1993年)の所属チームは広島です。




カルビーカードはレギュラーを確保した平成元年(1989年)に3枚、平成2年(1990年)に1枚が発行されています。





タカラプロ野球カードゲームはルーキーの昭和59年(1984年)から平成3年(1991年)まで6枚が発行されています。昭和60年(1985年)とわんぱく野球カードは未入手です。







その他のカードは、ロッテベースボールカード、マーメイドなどのカードがあります。






引退後のカードはBBMからメモリアルカードが発売されています。

平成17年(2005年)の05BBM/横浜ベイスターズ<Once upon a time>ではOBとしてカード化、直筆サインカードも発行されました。


  直筆サインカード 15/30

平成20年(2008年)の「ホエールズ・ベイスターズ横浜移転30周年記念カード」では2種類の直筆サインカードが封入されました。


  直筆サインカード 26/75

  直筆サインカード 17/25

平成21年(2009年)には横浜ベイスターズのチームセットの背番号物語で下窪陽介選手と背番号9でコラボしています。


同年のBBMヒストリックコレクション2010「MEMORY MAKERS~きらめきの瞬間」でもOB選手としてカード化され、フォトグラフカードも発行されました。


 [スペシャルインサートカード]<PHOTOGRAPHIC CARD> 060/200

木樽投手や石毛博史投手の項でも触れた「グローバル ドリーム」で、銚子利夫選手(元横浜ベイスターズ)との対談が放映されています。

グローバル ドリーム ~あの日、あの時、そして今~

ホームページ『銚子出身プロ野球選手のカード』の「銚子出身プロ野球選手名鑑」の項を改定しました。

銚子出身プロ野球選手名鑑

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