ばくのメモ帳

『ばくのお宿』管理人の西みつのり、略して西みつのメモ帳です。ホームページに書き切れない雑多な情報を綴ります。

テレホンカード劇場 はじめに

2010年03月24日 | テレホンカード

銚子市は今、20年に一度の大神幸祭を迎える準備で賑わっており、市内のあちこちに幟旗がはためいています。
大神幸祭は平安時代の西暦1102年、海上の怒りを鎮めるため、東庄町の東大社、香取市の豊玉姫神社、旭市の雷神社の三社が外川浜へ渡御したのが起源とされ、約900年間続いている大行事です。御輿の厳かな行列のほか、各関所において大名行列や剣舞など雅やかな時代絵巻が繰り広げられます。第54回の今回は4月10日から12日まで開催されます。


20年前、第53回の大神幸祭の時は記念のテレホンカードが発売されていました。その時代の記録の一つとなっています。


また、銚子市内は、3月16日にグランドオープンしたショッピングセンター「イオン」の話題で賑わっており、久しぶりに明るい話題が街を包んでいます。
思い起こせば30年ほど前は十字屋の移転開店に続き、ショッピンセンター「シティオ」の開店で賑わっていました。しかし今、十字屋は閉店し、デパートがあった場所は空き地になっています。


1986年のシティオのテレホンカードです。特にコレクターが興味を持つカードではありませんが、街の記憶を留めているカードです。

テレホンカードは完全に過去の遺物となってしまいました。テレカ全盛の頃、切手より自由に図柄を選べるテレホンカードはすばらしいと言われていましたが、肝心の公衆電話という目的がなくなってしまえば、どうしようもありません。郵便がなくなれば、切手も姿を消すでしょう。

でも、せっかく集めたテレホンカード、このまま埋もれさせてしまうのはもったいない。ということで、これまでテレホンカードを使った「遊び」として、自分のホームページで「タワーめぐりの旅」や「銚子出身プロ野球選手」などの部屋を作ってきました。

他の部屋も作りたいのですが、体系づけようとするとカードの整理などがけっこう大変です。そこで、せっかくブログを作ったのだから、この中でゆる~くカードを紹介していけばいいんじゃないか、と思った次第です。


テレビから「幸せって何だっけ~」という明石家さんまさんの歌が流れています。23年ぶりのリバイバルだそうですが、これは23年前のキッコーマンの宣伝用テレホンカードです。このような販売促進に使われたのがテレホンカードでした。
キッコーマンは千葉県野田市にあります。

そこで野田市に負けてはいられないということで銚子市の2大醤油メーカー、ヤマサ醤油とヒゲタしょうゆのテレホンカードです。

   

戦前の絵はがきには、会社の宣伝用と思われる絵はがきもありますが、販売促進のグッズとしてテレホンカードは最適でした。
分類のテーマとしては、同じ内容の会社で分けるのが一般的でしょうが、地元にこだわって、『ちばテレホンカード紀行』としてまとめてみたいですね。

もう一つテレホンカードが活躍した分野があります。~周年記念などの「アニバーサリー」の分野です。大きくは自治体の市制施行記念カードなども含まれるでしょう。


そこで働く職員の労働組合のカードもあります。


県や国をあげての大事業の始まり


県や国をあげての大事業の完成


完成した施設を利用しての様々な催し



いろいろなテーマが考えられますね。『幕張メッセものがたり』などもぜひ取り上げたいテーマです。

また、多くの美術館や博物館もテレホンカードを作成しております。
『竹久夢二テレホンカード美術館』などはどうでしょうか。


なお、中心となるのはテレホンカードですが、必要に応じてオレンジカードなど、他のプリペイドカードも紹介したいと思います。



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外川駅の2001号、2501号

2010年03月20日 | 銚子電鉄
19日の夕方、仲ノ町駅に行ってみたところライトグリーンの2001号+2501号がありませんでした。少し前までは2002号+2502号と並んで止まっていました。

3月13日、土曜日の仲ノ町駅です。デハ701号と並んで2001号+2501号と2001号+2501号が止まっていました。

なお、13日は土曜日ということで、銚子駅には新宿発の「快速すいごう号」が止まっていました。イベント用列車の「ニューなのはな」を使用しているとのことで、写真を撮るのは初めてです。3月28日までの土休日に運転されるとのことです。

2001号+2501号が仲ノ町駅にいないということは、外川駅に移動したに違いないと考え、行ってみることにしました。夜中か早朝に運転されたと思うのですが、いつ移動したのでしょうか。
やはり外川駅の側線に2001号+2501号が止まっていました。正規運転のための試運転なのでしょうか。それとも2002号+2502号の整備のために場所を空けたのでしょうか。早く動くところを見てみたいし、乗ってみたいですね。


外川駅そばの踏切近くからの撮影です。801号と2001号、その間から702号が見えます。


外川駅のホームから撮影した801号と2501号です。
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西島三重子提供曲:その3 木の実ナナさん

2010年03月16日 | 西島三重子
西島三重子さん提供曲、第3回目は木の実ナナさんです。
木の実ナナさんへの提供曲は全部で6曲あります。

・「あばずれ」「朝の歌」 昭和52年5月『紅ほおずき』に収録
・「うぬぼれワルツ」 昭和53年7月シングル『うぬぼれワルツ』A面
・「アフター・シェーブローション」 昭和54年6月『WOMAN』に収録
・「夢織り人」 昭和55年5月シングル『砂の城』B面
・「わが胸の底の湖」 昭和56年11月『わが胸の底の湖』に収録

最初の提供曲は「あばずれ」「朝のうた」の2曲で、アルバム『紅ほおずき』に収録されています。発売日は昭和52年5月21日ですから、西島三重子さんのセカンドアルバム『さめないうちに・・・』発売の直後ですね。

木の実ナナ オリジナル・アルバム NANA Vol.2『紅ほおずき』、発売はトリオレコードです。
作詞は「あばずれ」「朝の歌」ともに、なかにし礼さんです。

次の提供曲が「うぬぼれワルツ」で、シングルレコードで発売されました。
作詞は門谷憲二さん。西島三重子さんのサードアルバム『かもめより白い心で・・・』からコンビを組み、多くの名曲を残しています。

    女はいつもうぬぼれよ
「1978.7.7 昨年の4月25日発売の「紅ほおずき」より約1年2ヶ月ぶり、彼女の新曲「うぬぼれワルツ」が新たに街に流れ始める。1976.4月彼女は歌手としての活動を、当社に移籍後「おまえさん」から開始した。芝居、踊りと加えて近くは松竹作品「寅次郎我が道を行く」の21代目マドンナ役と映画にまでひっぱりだこの彼女。しかしながら彼女の歌手としての側面はこれから開発され、世の中に広まっていくようだ。「うぬぼれワルツ」はその再起にふさわしい曲である。流行言葉の「いい女」を逆手にとってナナは「あんた男前、あたしいい女、ラッタッタ、ラッタッタ うぬぼれワルツ」と歌いかける。・・・」
長くなりましたが『THE BEST OF NANA うぬぼれワルツ』の帯からの引用です。当時の状況をよく表しています。発売はトリオレコードです。

次の提供曲は「アフター・シェーブローション」です。作詞は麻生香太郎さん。
アルバム『WOMAN』に収録されています。発売はSMSレコード。このアルバムには「うぬぼれワルツ」も収録されています。

シングルレコードの「砂の城」のB面に収録されている「夢織り人」です。発売はバーボンレコード(徳間音楽工業)
余談ですがA面の「砂の城」は五輪真弓さんの作品で、テレビドラマ『港町純情シネマ』の主題歌です。『港町純情シネマ』は銚子市の外川町の寂れた映画館を舞台にしていました。実際に撮影に使われたのは、銚子日活だったと思いますが、現在は取り壊されて、なくなってしまいました。

最後の提供曲が「わが胸の底の湖」です。同名のアルバムに収録されています。作詞はなかにし礼さん。バーボンレコード(徳間音楽工業)からの発売です。
なお、この曲は西島三重子さんが最新のCD『十三夜』でセルフカバーしています。

このCDは現在も入手できます。「わが胸の底の湖」のほか「うぬぼれワルツ」もセルフカバーしていますので、ぜひ聴いてみてください。
また、音楽配信サイト「OnGen」で1曲200円で購入することもできます。試聴も可能です。ただし、Windows7には対応しておりませんので、注意が必要です。

CD化の状況ですが、木の実ナナさんのベストCDにも「うぬぼれワルツ」「あばずれ」は収録されています。
私の持っているCD『全曲集』はかなり以前に購入したものですが、新しいCDにも収録されていますので入手は可能だと思います。

徳間ジャパンから発売された『ALL THAT NANA-20』です。「わが胸の底の湖」と「うぬぼれワルツ」が収録されています。なお、この「うぬぼれワルツ」は再録音で、「水中花」とのカップリングで発売されました。

なんと、『NANA Vol.2 紅ほおずき』がCD化されていました。今回このブログの記事を書くために発売CD等を確認していたのですが、現在所属しているダンカン・ミュージックから復刻CD2枚が発売になっていました。
オリジナルLPアルバム復刻盤『NANA Vol.2 紅ほおずき』
WATANABE WM-2003 2005.06.30

※ユーチューブで聴けなくなっている曲を削除しました。(2012.12.6)
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我孫子市 手賀沼親水広場展望室

2010年03月14日 | タワー
3月3日の水曜日、我孫子市にある千葉県手賀沼親水広場の水の館展望室に行ってきました。展望室の高さは25メートルとのことで、「塔」と呼べるか微妙なところですが、最近発売された『にっぽんタワーめぐり』にタワーとして紹介されていることから、同じ千葉県内のタワーと言うことで訪問してきました。
3月3日は運転免許の更新に幕張の免許センターまで行ったので、そこから我孫子に向かいました。我孫子駅からバスで我孫子市役所に行き、商工観光課で観光パンフレットをいただきました。市役所から手賀沼親水広場までは歩いて5分程度です。



高さは25メートルと、あまり高くないのですが、近づいてみるとかなり迫力があります。
ちょうど「すいとぴあ江南展望タワー」を少し低くした感じですね。4階以上は独立した塔なので、タワーと認定することにしました。

     「水の館」の入口です。


     展望室から見た手賀沼です。

帰りは歩いて我孫子駅まで戻ることにして、途中『あびこガイドまっぷ』から我孫子市白樺文学館に寄ることにしました。


文学館前にある志賀直哉邸跡と復元された書斎です。志賀直哉は大正4年から大正12年までここに住んで、『暗夜行路』等の作品を生んだとのことです。



白樺文学館ではちょうど『白樺派と竹久夢二』展を開催中でした。4月25日まで開催とのことです。
文学館には、志賀直哉の幼年から晩年までの写真、書簡、原稿、民芸運動の柳宗悦、バーナード・リーチなどの作品が展示されています。
また、地階は音楽室になっており、柳宗悦夫人の柳兼子のCDを聴くことができます。
     お土産に購入したCDです。


柳兼子が志賀直哉などに振舞ったという味噌入りカレーの再現です。千葉ポートタワーにも売っていたので存在は知っていたのですが、せっかく白樺文学館にきたので、これもお土産に買って帰りました。ポークがおいしかったです。
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西島三重子提供曲:その2 五木ひろしさん

2010年03月09日 | 西島三重子
五木ひろしさんの「途中駅」は西島三重子さんの最初の提供曲です。シングルレコードの発売日は昭和52年2月10日で、五木ひろしさんの25枚目のシングルにあたります。

西島三重子さんのデビューは昭和50年9月25日で、アルバム『風車』、シングル「のんだくれ」が同時発売になっています。当時開催されていた新宿音楽祭の敢闘賞を受賞したことにより、雑誌等にも多く取り上げられるようになりました。

昭和51年に発売されたレコードは、『風車』からシングルカットされた「池上線」1枚だけで、4月25日に発売になっています。「池上線」の曲のキャンペーンには各地を回ったようで、銚子市にも来られたようです。

そして次に発売されたレコードが、昭和52年2月10日、五木ひろしさんの「途中駅」でした。


2月25日には西島三重子さんのサードシングル「1460日」、4月25日にはセカンドアルバム『冷めないうちに・・・』を発売していますから、レコード制作については、ほとんで同時進行であったと思います。作詞はほとんどが麻生香太郎さんでした。

シングル発売と同時にアルバム『途中駅』も発売されており、この中には西島三重子さん作曲の「おまえと俺」が収録されています。
この曲は『風車』に収録されていた「ながさき」と同じ曲だと思います。「ながさきの」作詞は「池上線」と同じ佐藤順英さんで、「おまえと俺」の作詞は麻生香太郎さんです。まったく感じの違う曲になっています。
 
五木ひろしニュー・オリジナル『途中駅』です。帯のキャッチコピーは「俺はおまえの途中駅 乗り過ごしてもいいんだよ - 愛とロマンを彷徨(さまよ)う歌の旅人」です。

「途中駅」は五木ひろしさんのライブアルバムでも取り上げられています。
謳いあげる演歌の神髄!『五木ひろしベストヒットリサイタル』(2枚組)です。

オリジナルアルバムはCD化されていませんので、残念ながら曲の入手は難しいようです。「途中駅」については、ベストCDに収録されているものもありますが、五木さんの曲の中では大ヒットというわけではないので、記念全集盤などを探す必要があります。

私の持っているCDは、シングル50W記念『五木ひろし全曲集2』です。

なお、平成21年は五木ひろしさんの芸能生活45周年にあたり、東京の明治座、名古屋の御園座で行われた舞台に西島三重子さんもゲスト出演いたしました。

※ユーチューブで聴けなくなっている曲を削除しました。(2012.12.6)
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