今年のゴールデンウィークは特に旅行の予定も無いので、交通渋滞のニュースを横目で見ながら、滞っているスライドづくりに励む。基本的な流れはできたが、ナレーションのノートづくり、画面切り替え効果、アニメーションの設定、BGMの当てはめetc.細かい点で悩むことが多く、なかなかはかどらない。そういえば昨年のゴールデンウィークは山口県への墓参旅行をした。あれからもう1年たったわけだ。時の流れの早さを実感する。なんとか今年も機会を作って行ってみたいものだ。
Yさんちのパソコンの不具合がやっと解消した。CDなどの音楽がヴォリュームを最大にしても微弱な音しか聞こえなくなったので見てほしいと言われ、3ヶ月ほど前に一度見に行った。ソフト的な設定やハード的なつまみやボタンなどを最大にしても全然変わらなかった。パソコンショップやメーカーのコールセンターにも電話して、担当者の指示どおりにチェックしてみたが結局解決せず、そのままほったらかしになっていた。今日はもう初期化してみるしかないかと覚悟をして行ったが、もしやと思い、イヤホンジャックを差し込んでみた。そして抜いた瞬間に耳をつんざくような大音響が。なんと、イヤホンジャックの差込口の接触に問題があったらしい。つまり、ずっとイヤホンジャックが差し込まれているのと同じ状態になっていたというわけだ。そのパソコンを購入してから一度だけイヤホンジャックを差し込んだことがあるらしいが、パソコンのトラブルは予想もしないところで起こるもんだなとあらためて思い知らされた。
今日は先月やり残したシナリオロケハンの続きで朝から荒尾へ出かけた。昨夜、あらかじめMapFan Webでプリントアウトした地図を頼りに、海達公子ゆかりのスポットを次の順序で回った。
築港(三池港)~四山神社~田宮医院~荒尾競馬場~万田駅(現荒尾駅)~万田抗~荒尾北尋常小学校(現荒尾第二小学校)~矢野文具店(現矢野文友堂)~海達家旧居跡~菊池川~高瀬高等女学校跡
今回は特に、田宮医院の院長や矢野文具店のおばちゃんから、それぞれ御祖父や御母上から伝え聞いた公子の話を直接聞けたことは何よりも有意義だった。
築港(三池港)
四山神社
田宮医院
荒尾競馬場
万田駅(現荒尾駅)
万田抗
荒尾北尋常小学校(現荒尾第二小学校)の掲示板
矢野文具店(現矢野文友堂)
海達家旧居跡
菊池川
高瀬高等女学校跡
築港(三池港)~四山神社~田宮医院~荒尾競馬場~万田駅(現荒尾駅)~万田抗~荒尾北尋常小学校(現荒尾第二小学校)~矢野文具店(現矢野文友堂)~海達家旧居跡~菊池川~高瀬高等女学校跡
今回は特に、田宮医院の院長や矢野文具店のおばちゃんから、それぞれ御祖父や御母上から伝え聞いた公子の話を直接聞けたことは何よりも有意義だった。
築港(三池港)
四山神社
田宮医院
荒尾競馬場
万田駅(現荒尾駅)
万田抗
荒尾北尋常小学校(現荒尾第二小学校)の掲示板
矢野文具店(現矢野文友堂)
海達家旧居跡
菊池川
高瀬高等女学校跡
パワーポイントでのスライド作成に取り掛かったが、イラストの原画づくりには「水彩7」というソフトを使うことにした。パソコン上でまさに水彩画タッチの絵が描けるソフトだが、これがなかなか実際の水彩画のようにはいかない。いろんな機能を使いこなすのには時間がかかりそうだ。でも写真から下絵が描けるようなのでこれをマスターするだけでも重宝しそうだ。たしかNHKの「趣味悠々」でもこのソフトを使った講座をやっていたようなのでテキストを買ってくるか。
この絵もYさんが描いた、昭和16年頃の熊本市京町の旧国道3号線における往生院の開山忌の様子である。開山忌(かいさんき)とは、往生院を開いたと伝えられる弁長の命日のことで、その2月28日には国道沿いに市が立って、植木や駄菓子、綿飴、金物類その他いろいろな品物の店が並び、大勢の人々が集まって大変な賑わいだったそうだ。
現在の往生院前・旧国道3号線の様子
「公子」のシナリオ化と並行して、子ども向けバージョンをスライド化することにした。先日作成したシノプシスをもとに、まず手書きで絵コンテを作成しようと思ったが、かえって面倒なので、直接パワーポイントで試作してみることにした。子ども向けとなるとナレーションの言葉使いも気をつけなければならないので、絵本のWEBサイトで童話を立ち読みさせてもらい、参考にしながら進めていきたい。一部は写真も使うが、スライドの中心となるのはイラストになるのでこれが問題だ。自分で描いてみるか、それとも誰かにお願いするか、悩ましいところだ。
この絵は昭和16年頃の坪井川の風景である。Yさんが幼い頃の記憶を呼び起こしながら水彩画で再現したもの。今日ではこんな美しい風景が失われてしまった。以下はYさんが付けたキャプション。
■池田小学校の水泳指導(昭和16年頃)
学校にはプールが無いので、田中の大堰で泳いでいました。学校では、水泳指導として、土橋商店前の坪井川で、全校生徒が2列になり川を渡る事でした。上級生は背が高くすいすいと渡るのですが、背が小さい私はピョンピョン跳んで息をしなければなりません。中程では溺れるかと思うくらいで、怖かったことを思い出します。
現在の同じ場所(打越橋周辺)
最近とんとお呼びがかからなかったパソコンのヘルプが今日は3件もあった。なぜかヘルプ依頼は集中して発生する。しかも、その内容ときたらバラバラだ。1件目はパワーポイントを使ったプレゼンテーションに動画を貼り付けたいというもの。ビデオカメラの映像をMEDIAエンコーダでコンバートしたり、ムービーメーカーで編集したり、ふだんあまりやったことのない作業にひと苦労。2件目は「やよいの青色申告」を古いパソコンから新しいパソコンに移したいというもの。このソフトは使ったことがないので、結局、やよいのコールセンターの指導を受けながらの作業となった。3件目はJW-CADで作成した図面の一部を、他の図面にコピーし、修正を加えたいというもの。CADの操作などとんとご無沙汰だったので、これまたひと苦労。なんだか慌しい1日だった。
Windows ムービーメーカー
やよいの青色申告
JW-CAD
やよいの青色申告
JW-CAD
シナリオのシノプシス第一稿がやっと出来たので、原作者のK先生へ届けに玉名まで行った。だいぶ添削があるかもしれない。ついでに荒尾まで足を延ばして、シナリオロケハンを行なった。K先生から、海達公子ゆかりの場所を巡回できるしおりをいただいたので助かった。1日では周りきれなかったので、もう一度日を改めて行くことにした。
公子が親友と夜祭を楽しんだ玉名市岱明町のお社
荒尾市境崎にある公子の墓碑と詩碑
公子の出身校、荒尾第二小学校にある詩碑とブロンズ像
公子の家の近くにある宮島神社。寄進者名の中に父松一の名がある。
公子が親友と夜祭を楽しんだ玉名市岱明町のお社
荒尾市境崎にある公子の墓碑と詩碑
公子の出身校、荒尾第二小学校にある詩碑とブロンズ像
公子の家の近くにある宮島神社。寄進者名の中に父松一の名がある。
ちょうど1年前の今日、3月1日は大変な1日だった。4ヶ月前から準備してきた馬頭琴奏者のリポーさんのコンサート当日。用意万端怠りないつもりではあったが、いざ本番となると不安なことだらけ。なにしろコンサートの総合プロデュースは30年ぶりのことだったので無理もなかったと思う。しかし、スタッフの皆さんに実によく働いていただいた。会場となった熊本市国際交流会館ホールもおかげで満席。一生懸命やっていれば皆さんの協力も得られ、願いは通じるもんだなとあらためてしみじみと思った1日だった。
昨年3月1日、中国・内モンゴルの馬頭琴奏者リポーさんのコンサートを開いてちょうど1年が経とうとしているが、このほど今度は日本人の馬頭琴&ホーミー奏者、岡林立哉さんの演奏会が阿蘇西原村の「カフェギャラリー壹(わん)」で開かれることが決まった。実は昨年のコンサートの際、カフェギャラリーわんさんには当日の運営で大変お世話になった。今回は微力ながら何かお手伝いができればと思っている。日にちは4月3日(木)に決まっているが、詳細はまだ決まっていないようなので決まり次第ご連絡ということで、奏者の岡林立哉さんについて少しご紹介しておきたい。
≪岡林立哉さんのプロフィール≫
モンゴルを訪れること数知れず、計2年以上の滞在期間中の遊牧民との生活、歌を求めての奥地への旅、それ以後の放浪生活で培った、素朴で伸びやかな馬頭琴の音、繊細かつ力強いホーミーの音は、国家、民族を超えて、幅広い支持を得ている。ホーミーの宇宙的響き。馬頭琴の素朴な暖かさ。「音」そのものの持つ力を表現することをテーマに演奏活動中。
岡林さんのホームページ http://www.khoomiiman.info
※リポーさんとの接点などについてホームページに書かれているのでご覧いただきたい。
現在苦労しながら書き進めているシナリオの主人公は、昭和初期に天才少女詩人と謳われながら16歳の若さで夭折した海達公子だ。この公子を支援し、影響を与えた人物に児童文学者および詩人である与田準一という人がいる。与田は北原白秋に師事していたが、公子も児童雑誌「赤い鳥」への投稿で白秋にその才能を認められ、支援を受けていた。与田の息子さんは橋本淳といって、いしだあゆみの大ヒット曲「ブルーライトヨコハマ」などの作詞家として知られるポップミュージック界の大御所だ。さて、北原白秋の晩年の作品に「帰去来」という故郷を懐かしむ詩があり、故郷の柳川にはその句碑も建っている。「帰去来」といえば山田洋次監督の「男はつらいよ」の第28作「寅次郎紙風船」を思い出す。死期が近いテキ屋仲間の常(小沢昭一)を秋月の自宅に見舞った寅さん(渥美清)が、ふと部屋の片隅に「帰去来」の句碑の拓本が掛かっていることに気付くシーンがある。実はこれ、柳川出身の山田監督のお父様が亡くなる前の風景を再現したシーンだそうだ。なお、山田監督はこの作品の次の第29作「寅次郎あじさいの恋」のマドンナにいしだあゆみを起用している。
シナリオの背景となる人のつながりを調べていくと、これみんな偶然ではなく、必然だと思えてくる。
シナリオの背景となる人のつながりを調べていくと、これみんな偶然ではなく、必然だと思えてくる。
てっぺいが生まれて7ヶ月。最近、顔つきがめっきり男の子らしくなってきた。赤ちゃんは短期間で急激に顔が変わる。匍匐(ほふく)前進による行動力が凄く、ちょっとも目が離せない。そこで姉のみわが使っていたベビーゲートが再登場した。かるた取りをやっていると隙間から割り込んできてかるたをかきまぜる。みわが赤ちゃんだった時よりも特に足の力が強く、今にも立ち上がりそうな勢いだ。早い子は7ヶ月くらいから歩き始めるというからひょっとしたら来月あたりは・・・。みわの機嫌が悪い時はいじめられることもあるようだが、案外平然としているようで将来が楽しみだ。
目下の課題であるシナリオの筆が一向に進まない。アイディアが枯れ果てたって感じだ。ぼんやり天井を眺めていると、ふと、以前に見たNHKの「トップランナー」に人気脚本家の渡辺あやさんが出た時、「脚本に詰まるとキャラクターたちが語り始める…」てなことを言っていたことを思い出した。彼女が描く「ジョゼと虎と魚たち」や「天然コケッコー」などのビビッドな人物描写が大好きだが、おそらくキャラクターのイメージが彼女の中で確立しているのだろう。自分の場合、まだまだ「キャラクターたちが語り始める」ような境地に達していない。しかも時代設定が昭和初期なので、その時代の人たちのものの考え方がわからない。その時代に近い母の意見も聞いてみよう。