徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

講演会「細川家と熊本のお茶」

2024-11-12 16:00:06 | 熊本
 昨夜は、福榮堂さんからおさそいを受けていた細川護光氏(細川護熙氏の長男)の講演会「細川家と熊本のお茶」を聴きに行った。会場は上通の菓舗まるいわ。1階の茶室でまるいわ名物の「あんさんどら」とお抹茶をいただいた後、3階に上がって講演会に臨んだ。細川護光氏は現在、陶芸家のほか永青文庫(東京都文京区)の理事長や水前寺成趣園の出水神社宮司を務めるなど多忙な日々を送っておられるという。講演の概要は
 鎌倉時代に足利氏の孫である足利義季が下野国から三河国細川郷に移り住み細川姓を名のったことに始まる細川家の歴史。文武に秀で近世細川氏の祖となった細川幽斎。千利休に傾倒し「利休七哲」の一人に数えられた細川三斎。そして三斎や細川忠利に請われ利休の教えを守る「肥後古流」の祖となった茶頭・古市宗庵の話などが語られた。
 講演後、福榮堂さんはかつて泰勝寺(現細川家立田別邸)とのご縁があった銘菓の復活に励んでおられることを参加者の皆様にプレゼンでき、また護光氏にも直接ご挨拶ができて今回の目的を果たされたようで良かった。僕も福榮堂さんのお話しを補足する資料を護光氏にお渡しできて安心した。

 細川幽斎公といえば、「九州道の記」に書かれた、天正15年(1587)、九州平定のために出陣した関白秀吉を福岡・筥崎宮で陣中見舞いし、瀬戸内を船で帰る途中、山口、国府天神(防府天満宮)を廻り、田島(現山口県防府市)へ乗る船が着くまでの間、鞠生浦(まりふのうら)で催された連歌の会の話を読むと、今から40数年前に住んでいた頃の防府、田島や鞠生浦跡の風景を思い浮かべて懐かしさを感じたものだ。


まるいわ名物「あんさんどら」         細川護光氏作陶の茶碗で抹茶を