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――先生の教授法は一種独特のものであった。例えば文法を教えらるるにも教科書を用いらるるでなし、また口授筆記をさるるでなし、教場に入られて、出訣(欠)をつけらるる。それからクルリと振り返って、黒板に向い、チョークを取って、左の上の隅から文法を書き始められる。生徒は黙々としてそれを写す。その書かるるのはいささかの渋滞なく、時間の終わりの鐘のなるまで続く。鐘が鳴ると一礼して退出さるる。かくして写しきった筆記帳を放課後読んでみると、秩序整然、しかも日本学生にとって最も適切な文法上の注意が与えられている。先生は一片の原稿もなく、全時間いささかの淀みなく書き続けられ、しかもそれが極めて整ったものであったのは驚くべき技倆と思う。これは先生の天稟の文才もあったろうが、教場に出らるるまでには、頭の中で十分練って来られたことと思う。――
時代背景が異なるので一概にどうとは言えないが、もしハーンの時代に、パソコンやパワーポイントやプロジェクターがあったなら、同じような使い方をされたかもしれない。
講話の内容は現代社会と呼応する新しいハーンの世界が見直されているという話が中心だったが、それについては別の機会に取り上げたい。
ハーンが10年間を過ごしたニューオーリンズでは、毎年2月に行われるマルディグラ・カーニバル(謝肉祭)において、ハーンにちなんだ山車がつくられ、100万人の観客の前を練り歩いたという話があったので「マルディグラ・イン・ニューオーリンズ」を聴いてみた。