先日行われた「“SOSEKI”トークス2015」で講演会の前に、熊本県立大学教授の半藤英明氏による「熊本の漱石」クイズというのが行われた。そのクイズの何問目かに「草枕の主人公である画工の好物は羊羹か饅頭か?」という問題が出た。那古井の宿で青磁の皿に盛られた青い煉羊羹を見て「余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好きだ」というくだりがある。また、馬子の源兵衛が城下から買ってきたものだという那美さんの説明もある。半藤先生は、これは漱石自身が羊羹が好きだったのだろうが、熊本のどこの店で買ったのだろう、というような話をされた。
その話を聞いて、父の幼い頃の話を思い出した。泰勝寺の長岡家のお坊っちゃまの遊び相手として毎日伺候した父は、毎日おやつとしてふるまわれたお菓子が楽しみだったという。そして、その当時、名店といわれた菓子舗として福栄堂や米屋の名前を上げている。二つの店とも現在は存在しないが、文献を調べてみると、明治から大正にかけて古町界隈にも菓子の名店がいくつもあったようだ。父の幼い頃というのは大正初期なので、漱石が熊本にいた頃から20年ほど経っているが、ひょっとしたら、父も漱石と同じ羊羹を食べたことがあるのかもしれない。
漱石の羊羹好きの話はもう一つあって、漱石を師と仰ぐ寺田寅彦の随筆「夏目漱石先生の追憶」の中に「(先生は)草色の羊羹が好きであり、レストーランへいっしょに行くと、青豆のスープはあるかと聞くのが常であった。」というくだりがある。ここでいう羊羹とは熱々の吸い物のことらしく、羊羹の語源である中国伝来の羊の肉を煮込んだ料理のようなものだという。

草枕の道(石畳の道)
その話を聞いて、父の幼い頃の話を思い出した。泰勝寺の長岡家のお坊っちゃまの遊び相手として毎日伺候した父は、毎日おやつとしてふるまわれたお菓子が楽しみだったという。そして、その当時、名店といわれた菓子舗として福栄堂や米屋の名前を上げている。二つの店とも現在は存在しないが、文献を調べてみると、明治から大正にかけて古町界隈にも菓子の名店がいくつもあったようだ。父の幼い頃というのは大正初期なので、漱石が熊本にいた頃から20年ほど経っているが、ひょっとしたら、父も漱石と同じ羊羹を食べたことがあるのかもしれない。
漱石の羊羹好きの話はもう一つあって、漱石を師と仰ぐ寺田寅彦の随筆「夏目漱石先生の追憶」の中に「(先生は)草色の羊羹が好きであり、レストーランへいっしょに行くと、青豆のスープはあるかと聞くのが常であった。」というくだりがある。ここでいう羊羹とは熱々の吸い物のことらしく、羊羹の語源である中国伝来の羊の肉を煮込んだ料理のようなものだという。

草枕の道(石畳の道)