一昨日、花園公民館図書室へ借りていた本を返しに行ったついでに本妙寺の桜の開花状況を見に行った。ソメイヨシノはまだまだの状態だったが、本妙寺大本堂や塔頭・東光院の枝垂桜は見ごろになっていた。桜馬場を歩いていると塔頭・妙心院の本堂に入って行く人が数人見えた。遅れてきた一人の女性に声をかけてみると「彼岸の法要」があるのだという。数年前、この本堂で金春流中村会の仕舞や連吟を見たことを思い出した。
この妙心院は別名「役者寺」と呼ばれている。その由来について入口の標柱には次のように書かれている。
――当院は、慶長年間に加藤清正公に伴われて来熊した太閤旧家臣で金春流武家能役者中村靭負(五百石)、嫡子同伊織(細川忠利より千石)、分家同作左衛門(二百石)及び江戸時代初期から共に活躍した友枝家、小早川家の菩提寺である。――
墓地には明治維新後存続の危機にあった肥後の能楽を支えたシテ方喜多流能楽師・友枝三郎の墓や和泉流狂言方・小早川家累代の墓などもある。
そんなことを考えていると、ふとその前々日に見た熊本城薪能のことを思い出した。この数年、熊本城薪能は観世流が仕切ることになっているようだが、今、熊本の観世流を実質的に支えているのは菊本澄代・美貴の姉妹。たしかにお二人とも上手だとは思うが、見終わってから今一つ物足りなさが残った。7年前に喜多流の狩野琇鵬先生が亡くなられてから熊本の能楽が下火になっているような気がしてならない。
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本妙寺大本堂と枝垂桜
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妙心院(役者寺)
この妙心院は別名「役者寺」と呼ばれている。その由来について入口の標柱には次のように書かれている。
――当院は、慶長年間に加藤清正公に伴われて来熊した太閤旧家臣で金春流武家能役者中村靭負(五百石)、嫡子同伊織(細川忠利より千石)、分家同作左衛門(二百石)及び江戸時代初期から共に活躍した友枝家、小早川家の菩提寺である。――
墓地には明治維新後存続の危機にあった肥後の能楽を支えたシテ方喜多流能楽師・友枝三郎の墓や和泉流狂言方・小早川家累代の墓などもある。
そんなことを考えていると、ふとその前々日に見た熊本城薪能のことを思い出した。この数年、熊本城薪能は観世流が仕切ることになっているようだが、今、熊本の観世流を実質的に支えているのは菊本澄代・美貴の姉妹。たしかにお二人とも上手だとは思うが、見終わってから今一つ物足りなさが残った。7年前に喜多流の狩野琇鵬先生が亡くなられてから熊本の能楽が下火になっているような気がしてならない。
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本妙寺大本堂と枝垂桜
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妙心院(役者寺)