今日は1年前の胃カメラ・大腸内視鏡検査後の経過観察のために新町の服部胃腸科に受診した。受診後、家内に迎えに来てもらうまでしばらく時間があったので北岡自然公園まで歩いてみた。ここを訪れるのは何年ぶりだろう。熊本地震後訪れた時、山門前石橋の酷い崩壊ぶりを見て絶句したものだ。久しぶりに見ると個々の石に一部欠けたものもあるが地震前と同じように美しい石橋が復元されていた。
北岡自然公園は江戸時代、細川家の菩提寺である妙解寺があったところで、昭和初期の河川改修で井芹川が流路を西の方に変えられるまで、この石橋の下を井芹川が流れていた。そして150㍍ほど下流で坪井川と合流していたのである。明治初期には妙解寺は廃寺となり、細川家北岡別邸が置かれた。
「おてもやん」の作者として知られる永田イネは、幼い頃、井芹川の遊舟上での唄声が、細川家北岡別邸まで聞こえ、細川護久公の所望によって舞や唄を披露し、脇差を戴いたこともあるという。
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修復された旧妙解寺(北岡自然公園)山門前の石橋
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かつてこの石橋の下を井芹川が流れていた。
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江戸後期の古地図「古地図で歩く 城下町くまもと」(熊日新聞)より
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昭和初期、河川改修前の井芹川と坪井川の合流点(一駄橋の上より)
北岡自然公園は江戸時代、細川家の菩提寺である妙解寺があったところで、昭和初期の河川改修で井芹川が流路を西の方に変えられるまで、この石橋の下を井芹川が流れていた。そして150㍍ほど下流で坪井川と合流していたのである。明治初期には妙解寺は廃寺となり、細川家北岡別邸が置かれた。
「おてもやん」の作者として知られる永田イネは、幼い頃、井芹川の遊舟上での唄声が、細川家北岡別邸まで聞こえ、細川護久公の所望によって舞や唄を披露し、脇差を戴いたこともあるという。
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修復された旧妙解寺(北岡自然公園)山門前の石橋
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かつてこの石橋の下を井芹川が流れていた。
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江戸後期の古地図「古地図で歩く 城下町くまもと」(熊日新聞)より
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昭和初期、河川改修前の井芹川と坪井川の合流点(一駄橋の上より)