現在、国道3号線浄行寺交差点から子飼橋までの道路拡幅工事が進められている。これに伴い坪井の立町通りも拡幅の計画だという。既に用地買収され建物が解かれた箇所もあり、立田口大神宮の赤鳥居をくぐる道は脇道が設置され一方通行になる予定だそうだ。しかし、残りの用地買収は難航しそうだ。
立町通りのこの辺りは、旧藩時代、豊後街道の立田口構が置かれたり、参勤交代行列の供揃えをする勢屯りがあった地点。大津街道(豊後街道)の杉並木はここから大津宿まで約四里にわたって続いていたという。
この歴史ある立町通りが拡幅工事でどのように変貌するのか見ものである。
立田口大神宮の赤鳥居
四里にわたって続く杉並木を進む肥後細川藩の御行列
万延元年(1860)10月の13代当主細川韶邦公の初御入部を描いた「御入国御行列之図」。「建町構」や「立田口構」の文字が見える。坪井竪町の立田口大神宮の赤鳥居前。跳ね上げ式の簀戸口が設けられ、御行列の到着を待つ家来たちが警備に当っている。
立町通りのこの辺りは、旧藩時代、豊後街道の立田口構が置かれたり、参勤交代行列の供揃えをする勢屯りがあった地点。大津街道(豊後街道)の杉並木はここから大津宿まで約四里にわたって続いていたという。
この歴史ある立町通りが拡幅工事でどのように変貌するのか見ものである。
立田口大神宮の赤鳥居
四里にわたって続く杉並木を進む肥後細川藩の御行列
万延元年(1860)10月の13代当主細川韶邦公の初御入部を描いた「御入国御行列之図」。「建町構」や「立田口構」の文字が見える。坪井竪町の立田口大神宮の赤鳥居前。跳ね上げ式の簀戸口が設けられ、御行列の到着を待つ家来たちが警備に当っている。
反対に歴史の足跡が壊されてしまうみたいですが、自然の成り行きなんですね。
有難うございました。
私が幼い頃と比べてもすっかり変わってしまいましたし、以前から交通渋滞のボトルネックになっていましたので拡幅工事もやむを得ないと思っています。