一昨年、熊本市歴史文書資料室で謡曲「檜垣」の詞章を調べたことがある。謡曲「檜垣」といっても、有名な世阿弥の「檜垣」ではなく、寂心さんの大クスで知られる鹿子木寂心(親員)が作ったという謡曲。資料室の所員さんにも手伝っていただいて探したが、結局見つからなかった。
ところが先日、昭和初期に発行された「熊本市史」を見ていたらこれが載っていた。それが下記の詞章である。
世阿弥の「檜垣」のもとになったともいわれるが、もし、鹿子木寂心の作であるならば、寂心は世阿弥より後の時代の人だから、むしろ世阿弥の「檜垣」に影響を受けた作品なのか、それとも世阿弥より前の時代の別の人の作品なのか。ナゾは残ったままだ。

檜垣媼が草庵を結んだ白川の辺

檜垣の塔(蓮台寺)
ところが先日、昭和初期に発行された「熊本市史」を見ていたらこれが載っていた。それが下記の詞章である。
世阿弥の「檜垣」のもとになったともいわれるが、もし、鹿子木寂心の作であるならば、寂心は世阿弥より後の時代の人だから、むしろ世阿弥の「檜垣」に影響を受けた作品なのか、それとも世阿弥より前の時代の別の人の作品なのか。ナゾは残ったままだ。
思ひも深き小夜衣の、袂の露の玉だすき、
影しらかわの月の夜に、底澄む水をいざ汲まん。
釣瓶の水に影落ちて、袂を月や登るらん。
いや增りする思ひの色、くれなゐの涙に身をこがす、
つるべのかけ縄くり返し、憂き古へも、紅花の春のあした、
紅葉の秋の夕ぐれも、一日の夢とはやなりぬ。
― 謡曲「檜垣」―
影しらかわの月の夜に、底澄む水をいざ汲まん。
釣瓶の水に影落ちて、袂を月や登るらん。
いや增りする思ひの色、くれなゐの涙に身をこがす、
つるべのかけ縄くり返し、憂き古へも、紅花の春のあした、
紅葉の秋の夕ぐれも、一日の夢とはやなりぬ。
― 謡曲「檜垣」―

檜垣媼が草庵を結んだ白川の辺

檜垣の塔(蓮台寺)