徒然なか話

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「伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ」のナゾ

2024-10-15 20:37:12 | 伝統芸能
 江戸幕府の第8代将軍・徳川吉宗の対抗馬と目された尾張徳川家の徳川宗春という大名の尾張藩における治世を研究した「徳川宗春の実像」というサイトがあります。主宰者は名古屋在住の歴史研究家の方だろうと思います。
 この中に「伊勢音頭」が名古屋繁栄のキーワードとして登場します。そしてそこには本條秀美さんが唄われた「伊勢音頭」が埋め込まれています。YouTubeには「伊勢音頭」は多数投稿されていますが、そんな中で加藤清正が築城した熊本城本丸御殿でのこの「伊勢音頭」が選ばれたことはとても意義深いと感じています。
 この研究論文は下記アドレスで読むことができます。

【なごや新地巡り】西小路(2)伊勢音頭の謎
「西小路・富士見原の競合と伊勢音頭の成立」(eBook)

 私は「伊勢音頭」の歌詞について疑問を持っていることがあります。
 それはよく知られている「伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ」というフレーズです。ネット上でも時々議論になっているようですが、これは現在では伊勢市と津市の地理的(伊勢街道入口)な互恵関係ととらえる向きが多いようです。
 疑問のまず一つは伊勢音頭に唄われた「津」というのは本当にそうなのだろうかということです。伊勢音頭のもとになったのは「川崎(河崎)音頭」だというのは上記の研究論文にも書かれています。「津」というのは昔の言葉で「湊(みなと)」のことですが、河崎自体も勢田川舟運の要衝だったと言われています。つまり、河崎を「津」と言っているのではないかとも思われます。
 疑問の二つ目は「伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ」という歌詞は別の原詩を言い換えたのではないかということです。
 国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している「レファレンス協同データベース」には「伊勢音頭」についてのQ&Aが載っており、その中に次のような一節があります。
ーー「尾張名古屋は城でもつ」の由来は?
『伊藤整全集 23』に収録されている随筆「観海流発祥地の水難」p.417に「伊勢は津で持つ……名古屋は城で持つ」という歌も、土地の物知りの説明によると、加藤清正が名古屋城を築いた時に「石は釣って持つ、釣って持つ石は、尾張名古屋は城で持つ」というのを歌ったのが原形で」――
とあります。
 つまり、この原詩をもとに語呂合わせしたのではないかということです。

加藤清正石引の図

2012.5.26 熊本城本丸御殿 春の宴
立方:少女舞踊団ザ・わらべ
地方:本條秀美と秀美社中/中村花誠と花と誠の会


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