徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

梅は咲いたか ~ しょんがいな

2023-02-11 17:41:38 | 音楽芸能
 護国神社の紅梅も早咲きの木はもうだいぶ咲いていた。
 毎年この季節になると口ずさみたくなるのが「♪ 梅は咲いたか 桜はまだかいな」という一節。この唄は今日では出だしの「梅は咲いたか」という題名で知られているが、もともとは江戸初期頃からずっと唄われ続けている「しょんがいな節」とも「しょんがえ節」とも呼ばれる俗謡。

 1年ほど前、明治10年の西南戦争のさなか、籠城戦を強いられた熊本鎮台(熊本城)の陣中でも歌われていたということが、鎮台参謀副長・児玉源太郎少佐が残した「熊本籠城談」の中に記されているという話をブログで紹介した。
 「酒は見てるが煙草はまだかぇな、旅団は植木でトテチリシャン、音ばかり、ションガイナ」

 この「しょんがいな節」は全国各地でバリエーションを加えながら唄い続けられているが、わが熊本でも親しまれて唄われていたことが、昭和16年出版の「郷土民謡舞踊辞典」(小寺融吉 著)の中に書かれている。

▼しょんがえ
 熊本県飽託郡松尾村地方(現熊本市西区松尾町)の盆踊歌。「祝いめでたのコラコラ、若松様よ、枝も栄ゆりゃ コラコラ、葉もしげるションガエ」。また、「思て三年コラコラ、通よたが五年ナ、通よた五年のコラコラ面白さションガエ」。

▼しょんがぶし
 熊本県球磨郡久米村、湯前村(現球磨郡多良木町、湯前町)に行われる。踊にも田の草取りにも歌う。「腰の痛さや畝町の長さ、四月五月の日の長さ」。ションガウタともいう。

▼しょんがらぶし
 〔俚謡集〕の熊本県玉名郡の項に見える。「正月の二日の晩の初夢に、新造つくりてけさおろす」云々の船おろしの極り文句で、終りにションガイという。


護国神社梅園の紅梅



7年ぶりに夏目漱石内坪井旧居へ

2023-02-10 18:11:09 | 熊本
 昨日から「夏目漱石内坪井旧居」が7年ぶりに公開されたので、さっそくその復旧状況を見に訪れた。熊本地震前、いつ行ったのか調べてみたら2016年1月7日に訪れていた。この年から始まった「漱石記念年」に合わせて熊本市が作成したPRパンフレットをもらうのが目的だった。この年は夏目漱石の没後100年および来熊120年に当たる年で「漱石記念年」として様々なイベントが行われたのだった。
 さて復旧ぶりだが、小説「道草」(大正4年)の漱石直筆原稿などの展示はあるものの以前に比べるとまだちょっと殺風景な印象。これから徐々に充実して行くのだろう。
 

授業の一環なのか、お隣りの熊本中央高の女子生徒たちがクラス全員で来ていた。


座敷から庭を眺める。長女筆子が産湯に使った井戸が見える。庭全体にまだ緑が足りない印象。


南に面した縁側。門人たちが陽光を浴びながら談笑したことだろう。


洋室。在熊の画家松永健志さんが描いた漱石の肖像画が展示されている。


座敷の掛軸の句「菫ほどな小さき人に生まれたし」


寺田寅彦ゆかりの馬丁小屋

鞠智城のはなし。

2023-02-09 21:48:55 | 歴史
 NHK熊本のローカル情報番組「クマロク!」の今日の話題の一つは「鞠智城(きくちじょう)」。かつて「久々知の城(くくちのき)」とも呼ばれた古代山城である。山鹿市と菊池市にまたがる標高約90m〜171mの丘の上に約1350年前(飛鳥時代)ヤマト政権が築いた山城。663年の朝鮮半島における白村江の戦いで大敗したヤマト政権は、唐や新羅の侵攻に備えて西日本の守りを固めるため各地に山城を築いた。ここ鞠智城は、九州を統治していた大宰府やそれを守るための大野城、基肄城に武器や食糧を送る基地だったと考えられている。東京ドーム12個分の広大な面積を守ったのが「土塁」。番組ではその土塁を歩いて回り、スケールの大きさと、大宰府と狼煙で通信したという意外な高さをリポートしていた。県の発掘調査の成果に基づき、八角形鼓楼、米倉、兵舎・板倉などが復元されている。


八角形鼓楼と米倉


朝廷に納めていたという古代米(赤米)と八角形鼓楼

▼米原長者口説き歌
 鞠智城がある米原地区に、鞠智城が築かれた頃から語り継がれている「米原長者伝説」。暮れる太陽を呼び戻し、一晩で三千町歩の田植えをしたという長者伝説をもとに作られた歌。


少女スプリンター

2023-02-08 22:17:34 | スポーツ一般
 先日、NHK熊本局のローカル情報番組「クマロク!」で、熊本中央高校の陸上部短距離・山形愛羽選手を紹介した。爆発的なスピードで今シーズンの飛躍が期待される山形選手に密着していた。
 高校1年の時の国体で4位入賞し、2年生となった昨年のインターハイは、100mは7位、200mは4位と十分立派な成績なのだが本人は不満足な結果だったようだ。放送では走法の改善に取り組む姿を映していた。彼女の特徴はピッチ走法。そのピッチは落とさずストライドを伸ばそうという作戦だ。歩幅を1足分伸ばしたマーカーを置いて矯正している。それともう一つの強化ポイントはスタートダッシュ。身長154cmの小柄な山形選手は出遅れたら挽回するのは難しい。高校最終年の今年、こうした強化がうまくいって念願のインターハイや国体での優勝をつかみ取れることを期待している。
 下の映像は昨年6月、熊本県民総合運動公園スタジアムで行われた熊本県高校総体陸上・女子100m決勝で優勝した山形選手。



 山形選手より10年前、熊本には野林祐実さんという小柄なスプリンターがいた。九州学院高2年の時のインターハイでは100mおよび200mを制した。野林さんが達成した全国制覇の夢を11年ぶりに山形選手にかなえてほしい。
 映像は2012年の熊本県高校総体陸上・女子100m決勝で優勝した野林さん。

投稿動画800本へ!

2023-02-07 14:14:05 | Web
 今日、YouTube のデータを確認したところ、マイチャンネルの投稿動画本数が、公開・非公開合わせて798本になっていた。投稿を始めて10数年経つので「塵も積もれば山となる」結果なのだろう。800本まであと2本だが、さて新作はといっても差し当たって具体的な予定はないが何か記念になるものを考えてみたい。
 ビデオ撮影そのものは2008年頃から、ミニDVテープ式の古い型のビデオカメラで撮っていた。ただ、その頃は明確な目的意識もなく、当時の映像はほとんど残っていない。2009年10月に「少女舞踊団ザ・わらべ」に出逢ったことが大きかった。投稿動画の大半は「ザ・わらべ」およびその後身である「舞踊団花童」の動画。彼女たちに出逢わなければこんなに投稿することはなかっただろう。彼女たちの存在を一人でも多くの人たちに知ってもらいたいと、彼女たちの舞台に足を運んではせっせと撮りまくった。投稿を始めた最初の頃、あまりの反応の無さに驚いた。多くの人たちに見ていただいていることを実感できるようになったのは投稿を始めて5、6年経ってからのことだ。
 この10数年の間には、彼女たちが度々メディアに取り上げられたり、時にはYouTubeに投稿した動画がテレビや各サイトでご紹介いただいたことが視聴者が増えた大きな要因となった。


初めて動画を投稿した2010年8月8日の「城華まつり」(古桶屋町・普賢寺)

 視聴者を増やす大きな要因の一つとなった「世界の民謡・童謡」サイトにご紹介いただいた動画
(クリックして各ページへ)
南部俵積み唄(青森県民謡)
銚子大漁節(千葉県民謡)
伊勢音頭(三重県民謡)
春は嬉しや(京都俗謡)
おてもやん(熊本県民謡)
正調 田原坂(熊本県民謡)
ひえつき節(宮崎県民謡)

民謡魂 ふるさとの唄 ~富山県砺波市より~

2023-02-05 21:24:22 | 伝統芸能
 今日の「民謡魂 ふるさとの唄」(NHK-G)は富山県砺波市からの放送。富山県を中心に石川県、福井県の北陸地方の民謡が紹介された。全国的に有名な「越中おわら節」や「こきりこ節」「山中節」など、この地方はまさに民謡の宝庫と言えそうだ。今日演奏された曲目は
 越中おわら節/加賀ハイヤ節/三国節/五箇山追分/チューリップ乙女
 といちんさ節/能登麦屋節/麦屋節/お小夜節/こきりこ
 こきりこ節/山中節/帆柱起こし音頭


 なかでも全国的に郷土芸能の実力校として知られる南砺平高校郷土芸能部の「こきりこ」などが特に印象に残った。

南砺平高校郷土芸能部 五箇山民謡

熊本の風景今昔 ~ 一日亭の夢の跡 ~

2023-02-04 20:02:03 | 歴史
 ここは熊本城二の丸の国立病院機構熊本医療センター附属看護学校である。
 この地は古城の上段にあり、江戸期には熊本城二の丸重臣屋敷地で、江戸後期、ここには「一日亭」と呼ばれた熊本藩主細川氏の筆頭家老八代松井氏の下屋敷=御茶屋として細川藩主家をもてなす迎賓館としての機能を持っていた。明治4年7月の廃藩置県及び鎮西鎮台設置により八代松井氏の熊本城内屋敷からの退去下城と「一日亭」の解体が行われる。解体された「一日亭」は、坪井立町の三浦栄次という人物に払い下げられ、三浦は「一日亭」を新堀町に移築、「一日亭」の名前のままで営業を続けた。 
 また、この地に設置された鎮西鎮台病院は、その後、衛戍病院、熊本第一陸軍病院を経て終戦を迎える。戦後の昭和20年12月には厚生省に移管され国立熊本病院として発足する。平成16年には国立病院機構熊本医療センターとなる。昭和19年に熊本陸軍第一病院の陸軍看護婦養成所としてスタートした看護教育は、昭和20年国立病院の発足とともに附属看護学校となる。その後、母体病院の名称変更に伴い、現在の国立病院機構熊本医療センター附属看護学校となり、平成16年10月、この歴史ある地に新築した現在の校舎に移転した。
※参考資料:熊本城遺跡群古城上段(発行:熊本県教育委員会)


現在の国立病院機構熊本医療センター附属看護学校


一日亭 春秋真景図屏風(秋景)江戸時代後期 松井文庫所蔵


明治初期の一日亭


陸軍衛戍病院遺存建物(昭和後期)


平成16年の看護学校新築に当り行われた発掘調査により加藤清正の熊本城築城時、資材を運んだ木馬道が発見された。

少女と紅梅

2023-02-03 18:00:00 | 
 今日は節分。加藤神社の節分祭へ。「厄除け虎くぐり」をした後、本殿に参拝しお祓いを受けて福豆をいただいた。お母さんに連れられて来ていた2歳くらいの小さな女の子が何度も虎くぐりをする姿が可愛らしく癒された。



 その後、護国神社の紅梅の咲き具合を見に行ったのだが、今年は例年より開花が遅いようだ。毎年最も早く開花する木も開いているのは5~6輪にとどまっている。あと数日で一斉に咲き始めるだろう。熊本城マラソンが行われる19日あたりが見ごろになると思われる。


宇土櫓石垣復旧 工法見直し

2023-02-02 20:32:33 | 熊本
 今日の熊日朝刊の「宇土櫓石垣復旧 工法見直し」という記事が目を引いた。そして「やっぱりな…」と思った。


 昨年9月、熊本市は熊本城宇土櫓石垣の復旧について「はばき状石垣のコンクリート工法」による復旧で検討を進める方針であることを熊日紙が伝えた。それを読んで、「はばき石垣」で修復する方が現実的なのかもしれないが、あの宇土櫓石垣の美しい曲線の美観が損なわれはしないかとブログに書いた。「はばき石垣」というのは地震で膨らみなどの変化が表れた石垣の外側にさらに石垣をかぶせるように築いて安定させる工法のことだ。江戸時代から何度も地震に見舞われた熊本城には「はばき石垣」で修復した石垣が何ヶ所もある。例えば下の「櫨方三階櫓跡(現加藤神社)」の石垣などである。
 やはり、熊本城修復検討委員会の中でも美観を損なうことを懸念する意見も出たようだし、また、空堀の下に遺構が埋まっているという新しい発見もあったようで今後の工法検討の推移に要注目だ。


櫨方三階櫓跡(現加藤神社)のはばき石垣


現在、櫓を鉄骨の素屋根を組み立てて覆う工事が進行中

「はばき(脛布)」というのは脚絆のこと。御田植祭の早乙女たちのように脛に巻きつけて紐で結んだ布のこと。

戻りにゃ本土瀬戸徒歩わたり

2023-02-01 19:21:06 | 伝統芸能
 今日、NHKのローカルニュースで、天草市の本渡道路(天草未来大橋)が完成間近だと言っていた。FBに「市政だより天草」の紹介があったので最新号を天草市のサイトで見てみたら次のように書かれていた。

 熊本都市圏と県内主要都市を90 分で結ぶ「90 分構想」の実現などを目的に進められている熊本天草幹線道路。この区間の一つとして、平成25 年に着手した本渡道路(天草未来大橋)と、それにつながる本渡令和橋が2月25日に開通します。天草上島と下島をつなぐ新しい橋として多方面での効果が期待されています。

 かつて天草市の本渡には仕事で度々、上島と下島を結ぶ天草瀬戸大橋を渡った。熊本天草幹線道路が完成すれば熊本から行きやすくなる。
 ところで天草と言えば「牛深ハイヤ節」だが、この唄の象徴的な長囃子に

〽エーサ 牛深三度行きゃ三度裸
  鍋釜(なべかま)売っても酒盛りゃしてこい
   戻りにゃ本土瀬戸(ほんどせと)徒歩(かち)わたり

 この最後の「戻りにゃ本土瀬戸 徒歩わたり」というフレーズがずっと気になっていたのだが、「市政だより天草」の中に「せど橋今昔物語」というページがあり、橋ができるまでの「徒歩わたり」の様子が写真付きで解説されていて「牛深ハイヤ節」の歌詞も納得した。