徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

消えゆく?建仁寺垣(けんにんじがき)

2023-03-15 18:05:05 | 日本文化
 散歩で通る往生院の建仁寺垣を眺めながら、最近、建仁寺垣を見なくなったなぁと思う。しかしよく見ると材質は合成樹脂系のようだ。建仁寺垣とは、割り竹の表を外側に向けて並べ、縄で結んだ垣のことで京都東山の建仁寺で始まったのでその名が付いたらしい。
 泰勝寺跡(細川家立田別邸)を囲っていた建仁寺垣も数年前に鉄のフェンスに変わったし、他でも建仁寺垣を見なくなった。寺田寅彦の「夏目漱石先生の追憶」の中に次のような一節がある。漱石熊本五番目の内坪井の家の様子を書いたもので

――庭はほとんど何も植わっていない平庭で、前面の建仁寺垣の向こう側には畑地があった。垣にからんだ朝顔のつるが冬になってもやっぱりがらがらになって残っていたようである。――

 とある。しかし、ここも現在はプラスチックの支柱を立てたサザンカの生垣に変わっている。やはり、建仁寺垣は組むのもメンテにも手間がかかるだろうし、耐久性も劣るのだろう。京都に始まった日本文化の一つである建仁寺垣も消えゆく運命にあるのかもしれない。


往生院の建仁寺垣(竹垣風の合成樹脂か?)


漱石内坪井旧居は現在、プラスチックの支柱を立てたサザンカの生垣になっている


数年前まで泰勝寺跡を囲っていた建仁寺垣


   建仁寺のある京都東山の風情を感じさせる「京都慕情」

水泳仲間の大江さん

2023-03-14 10:22:24 | ニュース
 小説家でノーベル文学賞受賞者でもある大江健三郎さんが亡くなった。特に大江さんの作品のファンというわけでもない僕が、大江さんと出会ったのは今から40年ほど前のこと。実はこの大江さん、僕の東京勤務時代の水泳仲間である。毎日、中央線で通勤していたが、週に2日は帰りに中野のTACというスポーツクラブに立ち寄って泳いでいた。その時、いつも同じ時間に来ていた仲間の一人が大江さんだ。お互いプライベートなことは聞かない暗黙のルールみたいなものがあって、名前を名乗りあうことはなかったが、みんな大江さんのことは知っていた。会話もほとんど水泳に関することしかした記憶がないが、とてもざっくばらんな方で世界的な文学者というイメージは全く感じられなかった。その後僕は転勤で東京を離れたので大江さんとお会いすることもなかったが、昨日のテレビの訃報の中で趣味の水泳の話が出てきて、あゝその後も続けておられたのだと思い嬉しかった。今あらためて大江さんの作品を読んでみたいと思う。
 心より哀悼の意を表します 合掌

和太鼓と民謡

2023-03-13 17:47:42 | 音楽芸能
由館高校和太鼓部
 今、熊本城は「春のくまもとお城まつり」期間中。昨日は二の丸広場で行われた「太鼓響演会」を見に行った。お目当ては必由館高校和太鼓部。全国に知られた実力校で数々の受賞歴やイベント出演も多数。この学校は高等女学校として始まり、戦後、男女共学となったが、今も生徒数は女子が男子の倍以上を占める。そんなわけで和太鼓部も女子が大半。その凛々しい演奏ぶりは観客を惹きつける。



謡「男なら」
 二の丸広場に行く前に、花園公民館の図書室へ予約していた本を受取りに行った。受け取って帰ろうとすると、どこからか「オーシャーリシャーリ」という民謡「男なら」の一節がかすかに聞こえてきた。この唄は僕にとって懐かしい山口の思い出の曲。何かやっているのかなと公民館入口の行事予定表を見ると、「ホール 中山民俗舞踊」と書かれていた。ちょっと覗いてみようとホールのドアを少し開けてみると着物を着た女性数人が音楽に合わせて踊っていた。どうやらクローズドのお浚い会のように見えたので中に入るのは遠慮し、ドアの外でしばらく音楽を聞いていた。

新幹線が来たバイ!

2023-03-12 21:22:19 | 熊本
 昨日、東日本大震災から12年ということは、その翌日から開業した九州新幹線鹿児島ルートは今日12日が開業12年ということになる。何しろ大災害の翌日とあって開業記念イベントはすべて中止、祝賀ムードを自粛し、喜びも極めて抑制された形でのスタートだった。当初は前途多難を危ぶむ声も多かったが、その後利用者は順調に増え、観光やビジネスの足として定着した。近年の新型コロナの影響で利用者の落ち込みはあったものの徐々に回復して行くものと思われる。12年経った今、九州新幹線開業で地域振興を図る「新幹線くまもと創りプロジェクト」はどの程度の成果を上げたのだろうか。


通り過ぎる新幹線の疾走音にも慣れた


熊本駅新幹線口


新幹線到着も初めは熊本の風景とは思えなかった

1年後、くまもと森都心プラザのイベント広場で行われた開業1周年イベントでのザ・わらべのステージ

東日本大震災から12年

2023-03-11 19:44:54 | 鎮魂
 今から6年前の2017年3月29日、宮城県仙台市の電力ホールで行われた「東日本大震災七回忌追善公演 ふるさとの春まつり」に熊本から舞踊団花童が出演した。これは2014年に38歳の若さで夭逝した作詞家おのりく(園田凌士)さんと花童とのご縁で実現したものだった。おのさんは少年時代を熊本で過した方で、十代から音楽活動を始め、作詞家となってからは多くの歌手に歌詞を提供している。この「ふるさとの春まつり」では、おのさんが生前、東日本大震災被災地の復興への願いを込めて贈った歌を花童が踊った。
 その中の1曲「平泉讃歌」は、奥州平泉で非業の最期を遂げた源義経をモチーフとした叙情歌。この世の未練断ち切りがたい義経の魂が高館の杜を彷徨っていると、どこからか迦陵頻伽の妙なる歌声が幽かに聞こえて来て、やがてひとすじの希望の光が差し、阿弥陀如来が来迎、義経の魂はお浄土へと導かれるという、義経の物語に仮託しながら東日本大震災のすべての犠牲者を供養するおのさんの想いが込められている。
 東日本大震災により犠牲となられたすべての方々及びおのりく様にあらためて心より哀悼の意を表します。

この動画は、仙台での公演を熊本の玄宅寺で再現した時の様子

「八重洲界隈」閑話

2023-03-10 19:47:45 | 
 東京駅前の複合施設「東京ミッドタウン八重洲」が今日グランドオープンしたそうだ。東京を離れて30年、八重洲界隈の風景もすっかり変わったことだろう。僕が二度、合わせて10年勤務したブリヂストン本社ビルは、八重洲通りと中央通りが交差する京橋1丁目にあった。言ってみれば八重洲界隈はホームタウンだった。地下街も含め、昼食のご飯屋さん、夜の飲み屋さん、休憩時間によく利用した八重洲ブックセンター等々。その八重洲ブックセンターも閉店するらしい。現在は、本社ビルは移転し、跡にはアーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)が入る23階建て高層ビル「ミュージアムタワー京橋」が建っている。再開発がどんどん進み、今訪れたらおそらく浦島太郎状態だろう。

 「ミュージアムタワー京橋」が立つこの地は江戸歌舞伎発祥の地である中橋南地にあたる。江戸初期までは今の八重洲通りは紅葉川という川で、東海道は紅葉川にかかる中橋を渡って日本橋の方に向かっていた。後に紅葉川は埋められ中橋広小路となった。慶長12年(1607)、江戸城天守閣が落成、この年、京で人気の出雲阿国を江戸へ招き、江戸城本丸・西の丸にある、観世・金春の能舞台で、女歌舞伎がお披露目された。その後、その亜流の芸能者が陸続と江戸へ下り、中橋南に小屋掛けして興行を行うようになった。寛永元年(1624)に京から江戸に下った猿若(中村)勘三郎が中橋南地に猿若座の櫓をあげ、江戸歌舞伎の歴史が始まった。斯様にこの地は江戸初期から文化の薫り高い地域だったのである。現在、ここから中央通り(東海道)を500㍍ほど下ったところに「江戸歌舞伎発祥之地」の石碑が立っているが、立てられる場所がなかったため、やむなくそこに立てたものらしい。


かつてのブリヂストン本社ビル


現在はアーティゾン美術館が入る23階建て高層ビル「ミュージアムタワー京橋」となった。





中橋広小路の賑わい


猿若狂言之古図

女子フットボーラーを悼む

2023-03-09 20:21:05 | 鎮魂
 今週末はまた「3.11」がやってくる。あっという間に12年が過ぎた。当時投稿したブログ記事を再掲し、あらためて犠牲になられた方々に哀悼の意を表したい。

▼消えた女子フットボーラーを悼む(2011年8月6日)
 つい先日まで、東日本大震災による悲劇の中に、遠く離れた熊本にもこんなに悲しい話があるとは知らなかった。それはかつて益城ルネサンス熊本FC女子サッカーチームに所属し、中心メンバーとして活躍していた佐藤恵利子さんが大津波にさらわれて亡くなっていたというのだ。彼女は宮城県の聖和学園高校の出身で、卒業と同時に熊本にやってきたチームの創立メンバーだそうである。2007年まで約10年ほど在籍し、その後、宮城県に帰っていたらしいが熊本への愛着は強かったらしく、その後も度々熊本を訪れていたそうだ。3月11日の大津波の後、行方がわからなくなり、3週間後に遺体がご家族によって確認されたという。僕は彼女のことはこの話を聞いて初めて知ったのだが、なぜか涙が止まらなかった。遠い熊本まで遥々来てくれてありがとう、と心から言いたい。

小泉八雲熊本旧居にて

2023-03-08 17:55:03 | 歴史
 今日は上通の熊本市現代美術館を訪れたついでに小泉八雲熊本旧居を訪れた。5,6年ぶりだと思う。展示物は前回訪れた時にほとんど見た覚えがあり、その時いただいた資料も読んでいたので特に目新しいものはなかったが、唯一、神棚を見た記憶がなかったので興味深く見せていただいた。次のような説明書が掲示されていた。
▼神棚
 ハーンがこの家を借りた際、家主の赤星氏に依頼して作ってもらった神棚。彼は毎朝拍手を打ってこれを拝んだ。熊本で執筆した最初の文章は「家庭の祭壇」(The Household Shrine)である。

 帰ってから調べてみると「知られぬ日本の面影(下)」の中にその項目があった。
 館長さんとしばらく話し込んだが、わが家の本籍地がハーンの「石仏」の冒頭に書かれた「このあたりの黒髪村の人たちは今ではもっと離れた区域を墓地としている。」のうちの一軒であることを話すととても興味深そうな面持だった。僕が民俗学者としてのハーンに興味があり、ニューオリンズにいた頃、地域の民謡や習俗の採集を行なったことについて調べているというと参考になる文献をいくつか教示いただいた。


玄 関


神 棚


 ハーンが愛したクレオールの民俗音楽をモチーフとして1927年にデューク・エリントンが作った
「クレオールの恋歌」を聞いてみた。

地平線はどこだ!

2023-03-07 17:11:46 | 映画
 現在公開中のスティーブン・スピルバーグ監督の最新作「フェイブルマンズ」について、フォローさせていただいているブログ「ミューズの声聞こゆ」さんが紹介しておられる。この映画はスピルバーグ監督の自叙伝的作品だといわれているが、その中のエピソードにスピルバーグ監督が敬愛してやまないジョン・フォード監督と出会った時の「地平線はどこだ!」のくだりが映像化されていると紹介されていた。この「地平線はどこだ!」のくだりとは、10数年前にBS放送で見たピーター・ボグダノヴィッチ監督によるジョン・フォードに捧げるドキュメンタリー「Directed by John Ford」の中でスピルバーグ監督自身が語っていたエピソードで、この作品の中で最も印象深かった。僕は自叙伝的な映画はあまり好きではないので「フェイブルマンズ」も見ようという気は起きなかったのだが、「ミューズの声」さんのブログを拝見し、ジョン・フォード映画をこよなく愛した少年時代を思い出し、見てみようかなと思い始めている。また、「フェイブルマンズ」の中でジョン・フォード監督に扮しているのはデヴィッド・リンチ監督であることや、ジョン・フォード監督作品「荒鷲の翼」(1957)に登場するジョン・フォード監督(役名ジョン・ダッヂ)はワード・ボンドが扮していたことなどが紹介されていた。フォードをダッヂに替える自動車ネタのユーモアはいかにもフォード監督らしい。この「荒鷲の翼」は小学生の頃に見た懐かしい映画。「錨を上げて」の勇ましいメロディが浮かんできた。
※写真はモニュメント・ヴァレーを背景にディレクターズチェアに座るジョン・フォード監督

 数ある「錨を上げて」の映像の中から、横浜市消防音楽隊の素敵な演奏とポートエンジェルス119のキレッキレのドリルの映像を選んでみた。

河津桜としげさ節

2023-03-06 21:23:54 | 音楽芸能

坪井川遊水地の河津桜の向こうに金峰山を遠望する

 今日は坪井川の土手道を散歩した。熊本電鉄上熊本―北熊本線の線路に近い坪井川遊水地に植えられた河津桜が見ごろになっていた。遠く西の彼方に金峰山が綺麗に見えていた。

 坪井川の流れを眺めながら土手道を歩いていると、なぜか昨夜「ナニコレ珍百景」(テレ朝)で見た「しげさ節」が浮かんできて頭の中でリフレインし始めた。お客さんへのサービスに民謡を歌う理容店という客にとってありがたいのか迷惑なのかわからないようなサービスなのだが、店の女将が唄い、息子の理容師が三味線を弾くのが「しげさ節」。隠岐の民謡ということだが、元唄は新潟県の「三階節」だという。その昔、北前船の船乗りによって伝わったものらしい。とにかく妙に心に沁みる唄だった。ちなみに「しげさ」とは「出家さん」が変化したものといわれるが諸説あるようだ。


隠岐は絵の島 花の島 磯にゃ 波の花咲く 里にゃ人情の 花が咲く
忘れしゃんすな 西郷の港 みなとの灯影が 主さん恋しと 泣いている
遠い昔を 今もなお 忍ぶ 後鳥羽 後醍醐 歴史に残る 隠岐ノ島

熊本城で会おう

2023-03-05 20:11:05 | イベント
 毎春恒例の「春のくまもとお城まつり」が始まり、昨日・今日の二日間、熊本城二の丸広場では、熊本城おもてなし武将隊結成十周年を記念して「熊本城で会おう 武士の魂2023」と題して全国の武将隊13隊が集うというイベントが開催された。特設ステージでは各武将隊のパフォーマンスが順番に披露され会場は大いに盛り上がっていた。
 着物レンタルのイベントも併せて開催されたので着物姿の観客も多く、会場は一見コスプレ大会の様相を呈していた。


熊本城おもてなし武将隊の八十姫のお出まし


推しの武将とファンの交流があちこちで


あいち戦国姫隊


謎のコスプレ?


熊本城おもてなし武将隊の清正公


やまがた愛の武将隊

町興しなるか 企業進出

2023-03-04 16:49:02 | 熊本
 一昨日の熊日新聞は「世界的な半導体メーカーTSMCの熊本県菊陽町進出に絡み、関連企業として、半導体の製造工程で生じる排ガスの浄化装置を製造するカンケンテクノ(京都府)の新工場が1日、玉名市安楽寺の梅林小学校跡地で着工した。操業開始は10月を予定で約1万平方㍍の敷地に5年で計5棟を建設する計画。地元から約100人を雇用する予定。」と報じた。

 実はここは僕の妹夫婦が住む段丘の真下に当たり無関心ではいられない。工場要員の雇用や移入などにより地域の町興しにつながればありがたいことだ。また、この地区の伝統行事であり熊本県指定重要無形民俗文化財でもある「梅林天満宮流鏑馬」は近年、人口の減少や高齢化、少子化などで、祭りの担い手が減少し継承していくことが極めて厳しくなっている。若い人たちがこの地域に移入することによって新しい祭りの担い手が増えればこんなに喜ばしいことはないのだが。


梅林小学校跡地


梅林天満宮鏑流馬(梅林天満宮例大祭)


400年近い歴史を有する鏑流馬

水が出ない「鳴岩の湧水」

2023-03-02 18:20:00 | 熊本
 平成の名水百選に選ばれている「金峰山湧水群」の一つ「鳴岩の湧水」(熊本市西区花園町)の湧水が止まってもう2、3ヶ月経っているようだ。
 昨年暮れ久しぶりに覗いてみたら水が止まっていたので驚いた。そのうちまた出るようになるかなと思っていたが、今日再び訪れてみたら排水溝には落葉がうずたかく積もり長い間水が止まっていることをうかがわせた。
 熊本地震の前までここによく水を汲みに来た。地震の後、赤水が出たという話を聞いてから汲みに行かなくなった。赤水はその後出なくなったらしい。この湧水は江戸時代から名水として知られていたらしく、肥後国志にも次のように書かれている。

 柿原村「鳴岩 懸巌ノ内ニ常ニ流水激瀬ノ音ノミアリテ巌壁ノ間ヨリ小流ノ清水湧出ス」

 下を流れる成道寺川は相変わらず清流が流れているが、たしか成道寺川と同じ水系と聞いていたので、市の担当課にたずねてみた。何らかの理由で水脈に変化があったのだろうと推測しているが調べようがないという返事だった。
 いつの日かこの湧水が復活してくれれば嬉しいのだが。


鳴 岩


成道寺川

文豪の道

2023-03-01 20:56:26 | 世相
 今日から3月。恒例の氏神様への朔日詣りで藤崎八旛宮へ徒歩で行った。実はこの道、僕は勝手に「文豪の道」と名付けている。道々、文豪ゆかりのスポットを通るのである。

まずは新坂下り口。明治29年、五高に赴任するため池田ステンショ(現上熊本駅)に降り立った夏目漱石が人力車でここにさしかかり、眼下に広がる熊本の市街地を初めて眺めた地点である。


漱石内坪井旧居パンフレットより


漱石内坪井旧居(熊本第五の旧居)


内坪井旧居で生まれた長女筆子と鏡子夫人(内坪井旧居パンフレットより)



壷井橋から広丁通りを真っすぐ進み、藤崎宮の表参道へ入る。楼門をくぐり拝殿で朔日のお詣りをすませる。



帰りは表参道の途中で右折、漱石北千段畑旧居(熊本第六旧居)の前を通る。



子飼商店街からの道(八雲通り)に出て3号線を渡ったところにある種田山頭火が得度した報恩禅寺に参る。


この後、八雲通り沿いに漱石合羽町旧居(熊本第二旧居)跡があったのだが、今ではその痕跡もなし。


八雲通りを進み最後は小泉八雲の坪井西堀端旧居(熊本第二旧居)跡で記念碑を見て帰る。