徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

今年忘れられない話(2) ~農兵節~

2024-12-14 13:47:47 | 日本文化
 7月24日に他界された民謡歌手の水野詩都子さんは、日々の出来事や思いなどを「詩暦(うたごよみ)」というタイトルのブログで語っておられました。
 そのブログの最後の記事が静岡県の民謡「農兵節」についてでした。YouTubeの東海風流チャンネルvol.68にアップされている「農兵節」を聞きながら、民謡歌手としての心構えを述べておられるブログを読み直しました。水野さんの表現者としての姿勢や人となりがしみじみと伝わってきます。
 あらためて民謡を通じて私たちに音楽の愉しみを届けていただいたことに心から感謝を申し上げます。

▼水野詩都子さんのブログ「詩暦(うたごよみ)」(2024.7.11)より
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 今月の「東海風流チャンネル」は静岡県の「農兵節」ですm(__)m
 実演家の私達は曲の成り立ちについてよく考えなくてはなりませんし、それに見合った表現が必要になることが必須ではあります。
 ただ、成り立ちに囚われるあまり、自分の凝り固まった表現やカラーに縛られ、伸びやかな民の唄の魅力を伝えることを忘れてしまうことがあります。何事も頃合いが大切。お勉強ではなく、伝えていくことの楽しさと喜びを忘れずにいたいと思いますm(__)m

 今回の「東海風流チャンネル」は静岡県の民謡「農兵節」をお届け致します。
 一説に、幕末頃、横浜野毛山下で行われた軍事訓練の様子を唄った「野毛山節」の替歌で、明治になってから三島の花柳界で流行り、全国に宣伝した曲と言われています。
 演奏開始は03分25秒頃からとなります。

東海風流チャンネルvol.68「農兵節」編
動画へのリンク:https://www.youtube.com/watch?v=tzOXBKiTh4I
からご覧頂けます。御覧頂けたら幸いです。
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今年忘れられない話(1) ~受け念仏~

2024-12-13 20:13:55 | 日本文化
 今年聞いた話の中で最も印象深かった話はなんだろうと考えたとき、まず頭に浮かんだのは「受け念仏」の話だった。
 今年、父の二十五回忌を迎えた。命日の5月19日にはわが家に近親者のみ集まってささやかな法要を営んだ。最後に菩提寺ご住職から次のような法話があった。

――私の恩師がアメリカのシアトルに招かれて広島県出身の信徒に法話をされたことがあります。その時、今日、日本ではほとんど行われなくなった「受け念仏」が300人以上の信徒によって行われ、感動的だったそうです。「受け念仏」とは、説教者のお話の中で、聴き手が「いいお話をいただいた」と感じた時はその都度手を合わせ「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と唱えることです。その信徒たちは広島県からアメリカに移民として渡った人たちの三世・四世の人たちで、父母や祖父母などからそうするように教わって育ったそうです。日本では既に廃れてしまった宗教的風習が、遠く離れたアメリカの地に残っていたことに恩師は感銘を受けたそうです。――

 故郷から遠く離れたアメリカの地に渡り、おそらく筆舌に尽くしがたい苦労を重ねて今日を築いて来られた広島県出身の方々に、昔の日本人の風習が脈々と息づいていることに感動を覚える。
 ちなみに、今日、お笑いなどで「受けた」とか「受けない」などという「受け」の語源は「受け念仏」から来ているという。

明日は正月事始め

2024-12-12 20:22:31 | 日本文化
 明日12月13日は早くも正月事始め。毎年正月を迎えるための準備を始める日です。すす払い、松迎え(まつむかえ)、餅つきなどの準備を行い、年神様をお迎えする準備をします。松迎えとは縁起ものである正月用の飾松や門松を切りに行くことをいいます。松は常緑樹で樹齢も長いことから、古くから 「不老長寿」の象徴として縁起の良い木といわれており、また年神様の依代(よりしろ)とも考えられています。正月の門松・松飾りを立てておく期間のことを 「松の内」ともいいます。
 京都ではこの日、芸舞妓が芸事の師匠やなじみの店を回って、この1年のお礼や新年を迎える挨拶をする「事始め」の行事が年末の風物詩となっています。
 さまざまな松を謡い込んだ端唄「松づくし」で舞妓さんの舞はいかが。


婦人像(紫調べ)

2024-12-11 19:46:27 | 美術
 東京駅から八重洲通りを5分ほど歩くと「アーティゾン美術館」がある。かつての「ブリヂストン美術館」である。もっとも僕が東京勤務の頃は、このビルにはブリヂストン本社が入っていたので「ブリヂストン美術館」はその中の一部を使っていた。2020年に本社部門の移転に伴い、このビルが改修され「ミュージアムタワー京橋」の中の「アーティゾン美術館」として再スタートした。
 この地は江戸時代には中橋広小路と呼ばれたところで、江戸初期まで今の八重洲通りは紅葉川という川だったそうである。東海道(今の中央通り)は紅葉川に架かった中橋を渡って日本橋の方に向かっていた。紅葉川が埋められ、中橋の名前だけが残って中橋広小路となった。この中橋界隈は、江戸歌舞伎の発祥の地でもある。京から江戸に下った初代猿若(中村)勘三郎が寛永元年(1624)に「猿若座」の櫓をあげたのがこの中橋南地だったという。現在、ずっと銀座寄りの京橋3丁目に「江戸歌舞伎発祥の地」の記念碑が建てられているが、建てる場所がなくてやむなくそこに建てられたもので、実際の発祥の地とは随分離れている。つまりこの中橋界隈は昔から文化の薫り高い地区だったわけである。 
 その「アーティゾン美術館」の所蔵品の中で、僕が最も好きな作品が岡田三郎助の「婦人像(紫調べ)」だ。岡田は佐賀県出身の洋画家で、女性像を得意とし、明治から昭和にかけて活躍した。
 副題の「紫調べ」というのは、鼓(大鼓、太鼓、小鼓)で使用される紐、「調緒(しらべお)」のことで、小鼓の調緒は縦横に入っており、調緒の握りで音色を変化させることもできる。調緒の色は朱色が一般的だが、上級者は紫色を使う場合もあるという。

蓑里会・うらら会・花と誠の会

Life is very short and there’s no time

2024-12-10 16:58:45 | 音楽芸能
 昨日は師走恒例の親戚挨拶回りをした。今年は親戚の不幸も多く、人生の儚さを感じることが多かった。同じ時代を生きて来た親戚も同じように高齢化していたことを今さら思い知らされた。

 僕が大学3年の頃、ビートルズの「We Can Work It Out」という歌をラジオでよく聞いた。今でもビートルズナンバーの中では最も好きな曲なのだが、それはジョン・レノンが作ったというサビの部分の歌詞

 "Life is very short and there's no time for fussing and fighting my friend."

が強く心に残ったからだと思う。
「人生はとても短い。騒ぎや喧嘩をしているひまなんてない、友よ!」
というような意味だと思う。そしてこのフレーズの終わりかけに、ワルツに転調するところが人生の流転を感じさせて印象深い。
 この曲を初めて聞いてから既に58年。八十路も見えて来た今、あらためてこの歌詞の深い意味に思いを致している。


今年忘れられない風景(2)

2024-12-08 16:34:20 | PC
 8月6日、白内障の手術を受けた。右眼を覆っていた眼帯が取れ、術後10日ほど経ってから、久しぶりに立田自然公園を訪れた。これまで数えきれない程訪れているのに、まるで初めて見たかのような新鮮な感動があった。夏の青い空と白い雲、新緑の輝きなど目に映る風景の鮮やかな色彩に感動した。子供の頃、初めて総天然色の映画を見た時のような感動があった。長い間、よほど色彩感覚が鈍っていたのだろう。あらためてわれわれが住む地球の色彩の見事さとそれを感じ取る人間の視覚の凄さを再認識した。


立田自然公園・茶室仰松軒

    この素晴らしき世界(ルイ・アームストロング)

I see trees of green, red roses, too,
I see them bloom for me and you.
And I think to myself what a wonderful world.

I see skies of blue and clouds of white
The bright blessed day, the dark sacred night.
And I think to myself what a wonderful world.

The colors of the rainbow, so pretty in the sky
Are also on th faces of people goin' by.
I see friends shakin' hands sayin' "How do you do"
They're really sayin' "I love you"

I hear babies cry, I watch them grow.
They'll learn much more than I'll ever know.
And I think to myself what a wonderful world.
Yes, I think to myself what a wonderful world.

今年忘れられない風景(1)

2024-12-07 21:10:02 | 
SL人吉の引退
 1922年に製造された蒸気機関車「8620形58654号機」愛称「ハチロク」は「SLあそBOY」として、また「SL人吉」として101年の永い間頑張ってきたが、機関車の老朽化、部品調達や技術者の確保が難しくなった等の理由により、今年3月23日のラストランを以て引退した。
 釜尾町の井芹川に架かる鶴野橋の上から見送ったが、汽笛を鳴らしながら去って行く「ハチロク」を見ていると、僕の生きた時代が遠い彼方へ過ぎ去って行くようで万感胸に迫るものがあった。


「別れの汽笛」が胸に響く




大河ドラマ「いだてん」(2019)では綾瀬はるかが「ハチロク」を追って爆走した

音楽の力

2024-12-06 17:36:47 | 音楽芸能
 ちょうど3年前の今頃、放送されていた朝ドラ「カムカムエヴリバディ」がお昼に再放送されている。歴代の朝ドラの中でも高い評価を受けているが、その大きな要因は「音楽の力」ではないかと思う。まず物語のテーマでもある「On The Sunny Side Of The Street」は音楽史上に燦然と輝く名曲である。加えてAIが歌うこのドラマの主題歌「アルデバラン」(森山直太朗作詞作曲)は朝ドラ主題歌の中でも傑作中の傑作。この二つの「音楽の力」は圧倒的である。

 映画もテレビドラマも音楽についての考え方は基本的に同じだと思うが、2013年1月にNHK Eテレで3回にわたって放送された「スコラ 坂本龍一 音楽の学校 ~映画音楽編~」では映画音楽の技法をアカデミックに説明してくれた。
 映画音楽というのは、記憶の中の映画を具体的にイメージする媒体として、映画そのもの以上に愛着が強い。僕の70年に近い映画鑑賞歴を通じて経験的に知っていたことを、「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」ではひとつひとつ腑に落ちる説明が加えられた。
 例えば、キャラクターを際立たせるための「ライトモチーフ」の技法だとか、雰囲気を盛り上げる「アンダースコア」の技法などだ。小学生の頃から映画館通いを始めた僕は、「風と共に去りぬ(1939)」のヴィクター・フレミング監督と音楽のマックス・スタイナー。「北北西に進路を取れ(1959)」のアルフレッド・ヒッチコック監督と音楽のバーナード・ハーマン。「シェーン(1953)」のジョージ・スティーブンス監督と音楽のヴィクター・ヤング。「荒野の決闘(1946)」のジョン・フォード監督と音楽のアルフレッド・ニューマン。「赤い河(1948)」のハワード・ホークス監督と音楽のディミトリ・ティオムキン等々、セットで憶えていたことを思い出す。
 音楽は映画やテレビドラマのクォーリティを決定づける最重要のファクターであることはずっと変わらないだろう。

   ▼ルイ・アームストロング「On The Sunny Side Of The Street」


   ▼AI「アルデバラン」

Write Myself A Letter

2024-12-05 22:40:39 | 音楽芸能
 郵便局の年賀状プリントサービスのポスターを見て、あゝもうそんな時季かと思う今日この頃、喪中はがきも届き始めた。高齢化社会の表れか、「年賀状じまい」の年賀状テンプレートまであるようだ。今はほとんどパソコンで年賀状作成しており、あまり負担にも感じないので体がゆうことを聞く間は年賀状は続けようと思う。年賀状が届かなくなった正月はそれは随分寂しいに違いない。

 年賀状の季節になると聞きたくなるのがジャズのスタンダードナンバー「手紙でも書こう」(I'm Gonna Sit Right Down and Write Myself a Letter)という曲である。愛しい人から自分あての手紙を自分で書こうという切ない曲なのだが

    ♪ 腰をかけて自分宛に手紙でも書こう
      そして君からその手紙が来たつもりになろう

   ▼ペリー・コモ(I'm Gonna Sit Right Down and Write Myself a Letter)


   ▼ニューオリンズ・ストンパーズ(I'm Gonna Sit Right Down And Wright Myself A Letter)

石垣復旧の現場

2024-12-04 19:19:44 | 熊本
 散歩で週3回は通る熊本城監物櫓(国の重要文化財)を支える石垣の復旧工事が行われている。通る度にしばらく立ち止まって見物するのだが、ここはおそらく熊本地震で崩落した熊本城石垣の中でも最も近くからその復旧工事を見ることができる場所じゃないかと思う。石垣の復旧方法については城内各所に説明板が設置されているのでだいたいのことは理解しているのだが、実際の現場ではそんな簡単にはいかないと思う。いったん解体した後、土の部分を整え、栗石を敷く。今回は樹脂系の補強材を間に何層か敷いていくらしい。築石はナンバリングされているとは言っても元の位置にうまく収まるのだろうか。1日にせいぜい5,6個しか積めないと聞くのでまさに根気のいる工事だ。だが、そんな工事を見ることができるのは今しかないわけで、できるだけ足を運んで見ておきたい。


監物櫓下の石垣復旧工事


監物櫓

サツマイモ & いも焼酎

2024-12-03 19:41:14 | 日本文化
 長嶺でパソコン教室を開いていた頃、習いに来ていたMさんにはいまだにお歳暮として阿蘇西原村産のサツマイモをいただく。ありがたいことだ。今では多くの自治体などで品種改良を重ねたブランドサツマイモが生産されているが、かつてはサツマイモが日本人の命を支えてきた。
 サツマイモとそれを原料とするいも焼酎のエピソードを二つ。

 父が天草の大矢野島(現在の上天草市)の上村小学校に赴任した昭和10年頃の様子を記した備忘録によれば、父が受け持ったクラスには40名ほどの生徒がいたが、その4分の3が、弁当に「かんちょ(上天草の言葉でさつま芋のこと)」を持ってきていたと記されている。当時の天草は貧しい地域で、「口減らし」として子守奉公に出されたり、「からゆきさん」として売られていく少女たちもいたという。「かんちょ」は貧しく哀しい当時の人々の生活の象徴だったのである。

 今でもサツマイモの生産量は鹿児島県が1位だそうである。その生産量の30%ほどが焼酎の原料になっているという。
 今から56年ほども前のこと、僕は仕事で南九州を車で巡る旅をした。水俣・出水を経て霧島の方へ進むと、大口を過ぎたあたりで日が暮れた。川内川沿いに菱刈温泉という小さな温泉場があったので、一軒の古い旅館に泊まることにした。夕食も終わり、温泉で疲れを癒した後、さて就寝しようとしたのだが、別の部屋で行われている宴会の歌声や手拍子、そして小さな旅館内に、燗したいも焼酎の匂いが充満してとても眠れる状態ではなかった。当時は僕は焼酎は一切口にしたことがなく、いも焼酎の匂いがキツかった。やがて「鹿児島おはら節」を唄い始め、宴会はますます盛り上がった。そのうち酔っぱらった人が僕の部屋に転がり込んできたりして、とても寝ていられる状態ではなくなった。やむなく何度も風呂に退避するしかなかった。とんだ菱刈温泉の夜の思い出である。


師走の朔日

2024-12-01 18:34:15 | PC
 今日から師走。ということで朝食にお赤飯をいただいて朔日のお詣りに行った。藤崎八旛宮は摂社・末社の祭事もあり、例月の朔日よりも参拝者で賑わっていた。
 師走と聞くと、次の芭蕉の句を思い出す。

  節季候の 来れば風雅も 師走哉 (せきぞろの くればふうがも しはすかな)

 かつては師走になると「節季で候(せっきでそうろう)めでたいな めでたいな」と囃しながら、家々を回って歩く「門付芸人(かどづけげいにん)」がいたという。明治の半ばには姿を消してしまった門付芸の名残が俗謡「節季候(せきぞろ)」として阿波徳島に残っている。芭蕉の俳句から江戸中期には「せきぞろ」を唄う門付芸人たちがいたということがわかる。
 そしてその「せきぞろ」が門付芸人たちによって江戸に伝わり、花柳界で洗練されて「せつほんかいな」へと変わっていった。唄の中で囃子詞(はやしことば)として何度も「せつほんかいな」と繰り返される。「せつ」というのは「せっき」が変化したもので、「ほんかいな」というのは端唄でよく使われる「しょんがいな」と同じような一節を締める囃子詞と考えられる。
 下の﨑秀五郎さんが唄う「せつほんかいな」をお聞きいただきたい。



﨑秀五郎さんの唄う端唄「せつほんかいな」